2017年7月21日金曜日

日夏耿之介「寂寥」「神領追憶記」

 きょうも『転身の頌』から二つ詩を読みます。

   寂寥

身を抱擁(だき)しめる秋の沙(いさご)
白くひかる
波の穂がしら
たはむれ遊ぶ異民の女(をみな)らよ
心は塩垂れ ためらひがちに
身は弱く生命(いのち)の息を圧(お)して
ああ 心寥(さび)し
漁人(ぎょじん)よ 白鴎(はくおう)よ 若き散策者らよ
大地も秋に 覚醒(めざ)め
海光のみかぎりもなく
日を孕(はら)みて蕩揺(たうよう)する海辺に

   ◇

「塩垂れ」は、みすぼらしいようすになる、元気がないように見えること。「しょぼしょぼと塩垂れた姿で帰って来る」(花袋「田舎教師」)。

「白鴎」は、全身白色で全長73センチほどある大型のカモメ。北極圏で繁殖し、冬鳥として北日本の沿岸でみられます。

「蕩揺」は、ゆり動かすこと、ゆれ動くこと。「春は何時しか私の心を―し始めたのである」(漱石「硝子戸の中」)


   神領追憶記

わが神を
かの幻惑と威力と抱擁との
凄まじき統一者の神領をわれ想ふ

黔首(まちびと) あまた住みあひて
定業(さだめ)られたる小事業いそしみぬ
われも亦心狂へるみそさざいのごとく
翔(と)びかつ舞へり
ひと日虚空に颱風の羽ばたきありて
神苑の長者天降(あも)りたまひぬ
形相(かたち)なく色調(いろ)とてなし
況(ま)してその道(ことば)をや
怕(おそ)れ慄へる心の上にわれはただ響を感ず
かくて畢(つひ)に凄惨だるかの末日は来りにけり
その夕(ゆふべ)あまた人の子おとしめられつ
そは悉く盲目(めし)ひたる牧人なりき
黔首はいと自誇(ほこ)れる悲鳴を放ちあひ
居残れる男 女と袂別(わか)れゆきぬ
ただ一人 裸形女人は発狂の発作著しく
『とどめたまへ』と繰り返し繰り返し
人人のあはひを縫ひぬ

いく人かおとしめられし
いく人か居のこれりしを
忘却(しら)ず ただ懐(おも)ふ
偉(おほい)なる野のわが神なつかしく
怕ろしき神領の白宵(ゆふべ)白宵を

   ◇

「神領」は、神社の領地、社領をいいます。明治維新以前、全国の神社にその運営の経済的基盤等のため、神地、神田、神戸、神郡、御厨、御園、朱印地、黒印地などとよばれる地があり、神社がそこを管理して収入を得、ときにその地の行政権、司法権ももっていました。

「黔首」(けんしゅ)は、むかし中国で庶民はかぶりものをせず黒髪を出していたことから、人民、庶民の意。

「怕れ」は、(神を)おそれ多く思うこと。

2017年7月20日木曜日

日夏耿之介「堕ちきたる女性」「野心ある咳」

 きょうも『転身の頌』から二つ詩を読みます。

   堕ちきたる女性

昏黒(くらやみ)の霄(そら)たかきより 裸形(らぎやう)の女性(をんな)堕ちきたる
緑髪(かみ)微風(そよかぜ)にみだれ
雙手(もろて)は大地をゆびさす
劫初(ごふしよ)の古代(むかし)よりいままで 恒に堕ちゆくか
一瞬のわが幻覚(まぼろし)か
知らず 暁(あけ)の星どもは顔青ざめて
性急に嘲笑(あざわ)らふのみ

   ◇

「昏黒」は、ふつうは「こんこく」と読んで、日が暮れて暗くなること、日没のことをいいます。

「霄」は、大空、はるかな天。

「劫初」は、仏語で、この世の初めのことをいいます。


   野心ある咳

心 孤(ひと)つ身
たまたま泪(なんだ)に浴(ゆあ)みしけり
慄(ふる)へ揺くさまざまの血脈よ
聖(きよ)き刹那の法悦に色青さめし生命(いのち)の貌(おもわ)よ
もの哀しき前(さき)の世のまぼろしよ
ああ 野心ある咳(しはぶき)の音(ね)よ

   ◇

「揺く」(あよ・く)は、ゆらぐ、ゆれることです。「群玉 (むらたま) の枢 (くる) に釘刺し固めとし妹が心は揺くなめかも」(万葉集、4390)



「刹那」はもともと、仏教でいう時間の最小単位で、一つの意識の起こる時間をいいます。『正法眼蔵』には、「一弾指の間に六十五の刹那ありて」と、1回指を弾く間に65の刹那があるとされます。

2017年7月19日水曜日

日夏耿之介「海底世界」「憤怒」

 きょうも『転身の頌』から二つ詩を読みます。

   海底世界

青き水面(みなも)を透(すか)して
日はほの赤くさせり

魚鱗(ぎよりん)のむれ 乱れ擾(さや)ぎて
海草の隙(あはひ)に匿れ しばしば
雑色(ざつしき)の埃及(えじぷと)模様を織りなせしかば
なかば錆びたる沈没船の砕片は
黒色(こくしよく)砂山のいただきに金字塔を築きたり
水死者の蹠(あなうら)たかきよりきたる

魚鱗のむれみだれさやぎ いま
若き新来者(まらうど)を相抱擁(いだき)たり
覩(み)よ ここにして不思議なる観念(こころ)の裡(うち)に
青ざめし死者の笑顔を
死者は踊れる也 狂へる也
魚は魚とむすび 貝は貝とむすび
悪(ああ) 人と人は相接すなり

まとゐは尽きねど
水死の人 人魚と化(な)り
砕片は塔をなす
滄溟(おほわだ)の底(そこひ)にして
人すべて鱗族(りんぞく)たるをえうす

ああ 日はほの赤くこの世界を訪るる

   ◇

「魚鱗」は、文字通りに読めば、うろこのことですが、うお、さかな、そのものを指すこともあります。また、兵法で、魚のうろこの形のように、中央部を突出させて人の字形に配置した陣形をいうこともあります。

「蹠」は、あしうら、あしのうら。

「滄溟」は、青海原。

「鱗族」は、うろこのある動物、魚類のことです。


   憤怒

白金の烈夏の熱砂の街頭に
緑髪のもの仆れたり
心敏(こころさと)き風とく砂礫を運び来て
物静けき埋葬に忙(いそ)げば
勇敢なる雄蟻はために行潦(にはたづみ)に憤死せり
ひそやかに含羞草(おじぎさう)の青さめし表情に心そそげ
愛すべきくさかげろふの狂舞歇みはて
疲憊(ひはい)に頭(かうべ)うなだれし雑草の小陰に
われは重傷せる地蜂の盲目(めしひ)たる歓語を聆(き)く
毀(こぼ)たれし舶来玩具の各(おのおの)に痴呆対話あり
燃えはてし葉巻の頑迷(かたくな)なる怨声(ゑんせい)を聆くや
女人の屍(しかばね)にも日光の顫音(せんおん)あり
噫(ああ) 黽勉(びんべん)なる日のひかりの営みを覩(み)よ
屍(しかばね)は神に還元(かへ)りゆく也
かかる自然の各部につきて観察せよ
午後の街上に憤怒はわが心情(こころ)を拊(う)つ

   ◇

「行潦」は、雨が降って、地上にたまり流れる水のこと。

「疲憊」は、動けないほどに疲れること、疲れ弱ること。

「聆く」は、きく、さとる、と読んで、聞く、悟る、了解するといった意味があります。

「黽勉」は、つとめはげむこと、精を出すこと、里見弴の「今年竹」に「黽勉よく努めて忽ち世の認むるところとなった」とあります。

2017年7月18日火曜日

日夏耿之介「さかしき星」「闇の化怪」

 きょうも『転身の頌』から二つ詩を読みます。

   さかしき星

すさまじき滄溟(おほわだ)に泛(うか)び漂ふ
小(ち)さく醜く古風なるわれに
さかしき星の青く淋しく揺れ揺れて
波間に泛き沈むをややながめてあれば
生命(いのち)はじじと燃え下(さが)り
水沫(うたかた)ふかく消え亡びむとおぼゆ
かかる淋しき星の稟性(こころ)よ
畏れ崇(たふと)び恋ひしたふはわれなり

   ◇

「うたかた」というと普通は「泡沫」という字を使いますが、ここではふつう「みなわ」と読む「水沫」。もともと「みなあわ」の音変化で、こちらも水のあわ、はかないことのたとえに使われます。

「滄溟」は、ふつうは「そうめい」と読んで、あおく広い海、青海原のこと。

「稟性」は、「ひんせい」、生まれつきの性質、天性の意です。


   闇の化怪

化怪(けくわい)は光れり
土蛍(つちほたる)のごとし
化怪は夥し 尽きざる也
あらゆる夢を産卵しつつ
闇の徂徠(ゆきか)ふこの夜(よる)をあゆめり
悲嘆するは何人ぞ
夜を誰何(すゐか)するあるは何人ぞ
悪(ああ) 化怪は世にみちみちわたれり
われは何故にかく夜を安臥しうるか

   ◇

「怪」とは化け物、変化(へんげ)、もののけ。

オーストラリアの洞窟などにいる、幼虫が青白い光を発するヒカリキノコバエという昆虫が「土蛍」として知られています。日本で土蛍というと、ホタル類の幼虫=写真、wiki=、中でもマドボタルの幼虫を指すことが多いようです。

2017年7月17日月曜日

日夏耿之介「抒情即興」「かげ」

 きょうも『転身の頌』から二つ詩を読みます。

   抒情即興

あたたかい日 あかるい日
この晴れた秋空高い由比ケ浜
沙(いさご)の上に臥(ふ)しまろぶ
身は熱に口かわき
心は杳(とほ)き神の息吹きに口かわく
あたたかき沙のやはらかさ こまやかさ
天恵(めぐみ)ふかい太陽は
大海(おほわだ)にぴかぴか光る宝玉(ほうぎよく)をばら撒いて
空に眩しい銀網(ぎんまう)をいつぱいに張りつめ
波にくちつけ 沙にまろぶ
あまりに昏黯(くら)い肉身と
病める心と

   ◇

「由比ケ浜」は、いまの鎌倉市南部、相模湾に面した海岸。鎌倉時代には御家人同士の激戦地で、処刑場でもありました。

「杳」はふつうは「よう」と読んで、はるかに遠い、奥深く暗いという意もあります。


   かげ

日はまなこ病み
世は痙攣(けいれん)す
叫喚死(さけびし)し
どよもし亡(ほろ)び
なべては皆偶像なるか
時ありて
かげのごとくきたり
かげのごとくそふ

   ◇

「叫喚」は、「阿鼻叫喚」というように、大声でわめきさけぶこと。

「どよもし」の「どよ(響)もす」とは、音や声を響かせる、どよめかせる意があります。

2017年7月16日日曜日

日夏耿之介「死あらむのみ」「花の中の死」

 きょうも『転身の頌』から二つ詩を読みます。

   死あらむのみ

太陽(ひ)のもと
老幼男女狂奔(ひとびとはし)り煩(まど)ひ
吹くそよ風咳(しはぶ)きゆきすぎ
操兵の菰(らつぱ) 天心に傲(おご)りて
狐いろの小径(こみち) ひんがしに邪(よこしま)を織る
死あらむのみ

   ◇

「咳き」は、せきをすること、またはせきばらいのこと。

「菰」(こも)は、通常は、マコモを粗く編んだむしろ、こもむしろのことを指します。ここでは、兵士を訓練・指揮するラッパにこの漢字を用いています。

「狐いろ」(きつね色)は一般に、名前の通りキツネの体毛のような、薄い茶褐色を指します。


   花の中の死

朱夏(なつ)の日の後園(こうえん)に燃えたつ花は
恒にやはらぎて睡(ねむ)れる也
燃えかつ睡れるは ただ花あるのみ
日はひねもす
ものかなしき小さき花の片丘に光の塔を築く
寒風(かぜ)すさみ 日も亡びし宵(ゆふべ)
睡れる花のさなかに逝かむ

   ◇

「朱夏」は、五行思想で赤色を夏に配するところから、夏の異称として用いられます。また人生の真っ盛り、30代前半から50代前半くらいをそれに喩えていうこともあります。

「後園」は、家のうしろにある庭園や畑。

「片丘」は一般的には、一方が切り立て他方がなだらかになっている丘をいいます。

2017年7月15日土曜日

日夏耿之介「海光」「災殃は日輪にかがやく」

 きょうも『転身の頌』から二つ詩を読みます。


   海光

ふか海は もの哀れに日光(ひざし)を招(よば)ひしかば
明(あか)き光 ことごとく蒼海にとり忙(いそ)ぐ
ああ すべて光は波に入らむ
この宵(ゆふべ) 海に散りしく無数の船よ
船に乗れる逞ましき白水郎(あま)だちよ
おん身ら大海に何をか漁(すなど)れる

丘に攀ぢ松吹く風と一(ひとつ)の海景とを眺めてあり

   ◇

「白水郎」の「白水」は中国の地名。水にもぐることのじょうずな者がいたというところから、漁師、海人(あま)のことを白水郎(はくすいろう)というようになったそうです。

「攀」の読みは、ハン、よじる。よじ登る、上の人にすがりつくの意です。


   災殃は日輪にかがやく

災殃(まがつび)は日輪(ひ)にかがやく
黔首(くび)あたま 現生(ここ)もとに生まれいでなば
すさまじき神の息
かならず大地を割らむ
昨夜 寒き夜の曠野(あれの)にたちて
黟き森 眠れる濁江のうち
醜く蟠居(うづく)まれる街巷(まち)より
かすかなる神の奇しき塏笑(あざけり)を聴き得たり

   ◇

「黔首」(けんしゅ)の「黔」は黒い色のこと。古代中国で、一般民衆は何もかぶらず、黒い髪のままでいたことから、人民、庶民のことをいいます。

「災殃」はふつうは、「さいおう」と読んで、わざわい、災難のこと。

「黟」の音読みはエイ、 イ。訓読みは、こくたん。ここでは「くろ・き」でしょうか。

「蟠居」は、蟠踞(ばんきょ)、根を張って動かないこと、その地方一帯に勢力を張っていることをいいます。