2017年6月25日日曜日

日夏耿之介「海の市民」

   海の市民

透明なれば
こころは 空(くう)に泛(うか)べり
日輪(ひ)は照り波唱(うた)ひ 緑明の虚空(そら)澄みわたりぬ
ああ 肉身(み)はかろく
智慧(ちえ)はおもきかな
吹きおこる疾風を截断して
香気(にほひ)高き積雲の丘に翔ばむ

大地(ち)はつめたく黙(もだ)し寂慮(しづも)り
ここに 聖火(ひ)の秘密を封ず
喧擾(どよもし)は都市(みやこ)を蕩揺(ゆすぶ)り
人人(ひとびと)かくもその生存を咆吼するか
こころは日光(ひかり)のごとく
依的児(ええてる)の洪波にまたがり
かく翔(と)びゆくはいと快き福祉かな

「寂慮」(せきりょ)は、しんみりと静かに思うこと、寂念。

あはれ 渚に臥しまろぶ大魚のむれを視たまひしか
めいめいの白沙(びやくさ)は陽の天恵(めぐみ)を獲(か)ちえて
暖かく亡びし有情(もの)を裛(つつ)みけり
海の市民ほろびしか
夥(おびただ)しき幸の獲物を購(え)ま欲しと集ひ匝る人人よ
悲しき沖の弔音をこのとき聴く歟(か)

『久遠』の呼吸(いぶき) 神の寵児(めぐしご)
わが赴(ゆ)く丘の露けき朝(あした)をともにともに歌謳(うた)はなむ

あはれ 海の異族のほほゑみを覩(み)たまひしか

赴(ゆ)かむかな
悲哀(かなしみ)は涙(なんだ)とともに涓(なが)れたり
心肉(み)は浄(きよ)くかろく 智慧はおもきかな
落日(ひ)の謝しゆくかなた 積雲の丘へ
風を截(き)り 雲かきわけて忙(いそ)がなむ

久遠の生命(いのち)の僚友(とも) 海の市民


「寂慮」(けきりょ)は、しんみりと静かに思うこと、寂念。

「依的児(エーテル)」は、化学では、有機化合物のひとつ。古来天界の物質として考えられ「天に帰ろうとしている物質」と思われていたこともあるそうです。19世紀以前の物理学の世界では「宇宙はエーテルで満たされている」とされ、光などが空間を伝わる際の媒質となっていると考えられていました。それを否定したアインシュタインは、エーテルを物質を表す言葉とせずに、真空であっても重力場や電磁場が存在することから、こうした空間をエーテルと呼ぶことを提唱しました。

「洪波」は、おおなみ、洪濤(こうとう)。

「裛」は、音読みは、オウ、ヨウ、ユウなどで、訓読みはだと「ふくろ」。

「匝」の音読みはソウ、訓読みは、めぐる。周囲をぐるりとひと回りする、という意味があります。基本字は「帀」で、「匝」は俗字のようです。

「覩」は、見る、でも、目睹、じかに見る、という意味があるようです。

2017年6月24日土曜日

日夏耿之介「雙手は神の聖膝の上に」と「空気上層」

きょうは『転身の頌』から「雙手は神の聖膝の上に」と「空気上層」の二つの詩です。

   雙手は神の聖膝の上に

雙手をあげよ
こころゆくまで
脈搏途絶えて
火(も)ゆる血行の ことごとく萎えはてむまで

天心たかく――眶(まかぶち)ひたと瞑(と)ぢて――
気澄み
風も死したり
ああ 善良(よ)き日かな

雙手はわが神の聖膝(みひざ)の上にあらむ

   ◇

「雙手」(そうしゅ)は、 両方の手、両手、もろて。「雙手を挙げて賛成する」などと使います。片手は、隻手(せきしゅ)。

「眶」は、目のふち、まぶち、まなかぶら、「小男の眶を痛く突きたりければ」〈今昔・29・30〉



   空気上層

空気上層を翔(かけ)る
人よ
衆庶(なんだち)なにものぞ
翼 烈風を截断(せつだん)して
手を拡げ 霊(たましひ) 陽光を吸ふ
点在するは弱少幺微(えうび)体。
普天にうごく神のおもみをわれ感ず

   ◇

「幺微」の「幺」(ヨウ)は、もともと糸束(いとたば)を描いた象形文字。絲(シ)を構成する糸は糸束に紐を結んだかたちですが、幺は紐の結びがない状態。糸から下部の小を省いた幺となり、糸たば、細い糸、糸の先、さらには、ちいさい、ほそい、かすかなものを表します。

そして、似た意の「微」と結びついた「幺微」も、小さい、細かいといった意味。ただ、「弱少幺微」というように、ここまで微弱なイメージの漢字を連なると、その細かさにも極めつくされたものの感があります。

*写真はwikipediaから。

2017年6月23日金曜日

日夏耿之介「快活なVILLA」

    快活なVILLA

快活なわがVILLAの四檐(めぐり)に雨降る
新緑の初春の朝(あした)也
おもたき草木の睡眠(ねむり)も新鮮に夢めざめ
大地は 橙黄色(とうくわうしよく)に小唄(さうた)へり
力ある律動の快感哉
かかるとき
都市(みやこ)よりの少人(せうじん)らが
紅きBALCONにゐならび歌(うたうた)へるを听(き)けよかし
野の鳥は口噤(くちつぐ)みはて
性急の筧(かけひ)もいまは呼吸(いき)を呑みぬ
少人(せうじん)らよ
爾ら 無念(ぶねん) 銀声するとき
柔らかきその小胸(こむね)ふかく
滴り落つる透明の泪(なんだ)の奥ぶかく
かの所有者を幻に矚(み)む


きょうの詩には、フランス語が二つ。「VILLA」は、別荘、邸宅。「BALCON」は、バルコニー、バルコニーの手すりのことです。

「檐」は、訓読みでは、のき。屋根の下の、建物の外壁から張り出した部分。庇(ひさし)の意味で用いることもあります。

「噤」は、訓では「つく(ぶ)」と読んで、口をとじる、だまる、つぐむこと。

「筧」は、懸け樋。地上にかけ渡して水を導く、竹や木の樋(とい)。かけどい。

「銀」は、美しい白い光沢を放ち、月と関連づけて語られることも多いのですが、「銀声」は、そんな混じりけのない鋭い色彩を、「少人」すなわち子どもの叫びの喩えに用いているのでしょうか。

「矚」の音読みは、ショク、ソク。「みる」とくに、「注視する」意のようです。

2017年6月22日木曜日

日夏耿之介「非力は褻瀆也」

   非力は褻瀆也

本然のもの 身自(みづから)のもの
万法(すべて)を白金の針金もて縛(いまし)めるよかし
霊性(たましひ)の秘奥(おくが)より そこに泉のごとく
湧きいづるなにものかあり
午後一時の小雨に小濡(さぬ)れて
青春(わか)き海人(あま)も白堤(はくてい)に漁(すな)どれりけり
舞ひ騰(のぼ)る煤煙の力は大海ふかく潜(い)り
海鷗(かもめ)は檣(メイン・マスト)の上に回春の賢き夢を見む
此世界に於て われ
大地に栄えわたる神のひかりと
その孕(はら)みたる暗緑の陰影とを相(み)る
また 工場の大鉄槌(だいてつつゐ)の轟音(とどろき)と
その姉妹なる自動艇(じどうてい)のエンジンとを聴く
なにゆゑに かく爾(なんぢ)は 泪ぐめる
若く かよわき 光なき庶人(やから)よ
烏乎(ああ) 非力は褻瀆也



「褻瀆」は、「せっとく」と読み、尊いものをけがすこと、また、けがれることを意味します。きょうは、この漢字が入った題の詩です。力のないことはけがれることである、とはどういうことなのでしょう。

「本然」の読みは「ほんぜん」あるいは「ほんねん」でしょうか。自然のままで人の手が加わっていないこと。もともとの姿であること。

「白堤」は、中国の浙江省の省都、杭州(ハンチョウ)にある、西湖=写真、wiki=の人工堤防。

東の断橋から錦帯橋を通って西の平湖秋月まで、長さ1キロにわたって西湖を東西に分断する形で造られました。

古くは「白沙堤」と呼ばれ、宋時代には「孤山路」とも呼ばれました。堤防の上には外側に桃、内側に柳が植えられ、春になると桃の花の薄紅色と柳の新緑とのコントラストが美しいことで有名です。

唐代の詩人、白居易が杭州の長官だったとき、西湖の開拓と大規模な水利工事を行ったことから、後世「白堤」と呼ばれるようになったそうです。

「檣」は、音読みは「ショウ」で、訓は「ほばしら」、すなわちマストです。

「鉄槌」は、大形のかなづち、ハンマー。「鉄槌を下す」などと、厳しい命令、制裁の喩えにも使われます。



「自動艇」は、モーターボートのことです。

2017年6月21日水曜日

日夏耿之介「喜悦は神に」

 きょうも、ずいぶんと難しい漢字がつぎつぎと出てくる詩です。

   喜悦は神に

頑迷(かたくな)なる人の子 われに
冀くは白金(はくきん)の手斧を賜(た)びたまへ
固牢(かた)く鎧へるすべての性を脱離(ぬけい)でて
われは遙(とほ)き原始(いにしへ)の故関(こくわん)に復帰(かへ)らなむ
ああ 日輪(ひ)かがやき 雑草(くさ)の葉さざめき
渚に波の美宴(うたげ)あれど
なにものの跫音(あのと)ぞ
逝けるわが寵児(めぐしご) 白薔薇の愁訴を齎(もたら)し来るは
かつて磔刑(たくけい)の嬰児(みどりご)のごとくも
われは響音(ひびき)ある泪もて雙瞳(ひとみ)を洒淅(あら)ひたりき
視よ 当来の仲夏の艶楽の幻像の契点(さなか)に
細微(ささや)かなる蠕蟲(はむし)のかくも産卵せるを
燃え昌(さか)る巨巌は蠢動(うごめ)きいで
蒼白(あをざ)めし金鳳花(きんぽうげ)の一房もどよめきたり
ああ 八方の地平をして力あらしめよ
日輪(ひ)は さだかに照りわたり
波もまた銀声を点(てん)ず

喜悦(よろこび)は神に



「冀く」(こひねがはく)は、頼み事や願い事をするときなどに使う、なにとぞ、お願いだから。

「故関」は、夷狄の侵入から都を防衛するために置かれたむかしの関所のことでしょうか。

日本では、646年の大化改新の詔に「斥候(うかみ)、防人とともに関塞(せきそこ)を置け」とあるのによって、伊勢(三重県)鈴鹿関、美濃(岐阜県)不破関、越前(福井県)愛発(あらち)関の三つの関所が設けられました。

平時には国司が警備をしますが、反乱、譲位、天皇・上皇・皇后の崩御、摂政・関白の死去に際しては、朝廷は固関使を派遣して固めさせました。

789年に廃止されてからは、愛発関が逢坂関にかわって三故関といわれたそうです。

「白薔薇の愁訴」つまりバラがつらさを嘆き訴え、「嬰児」つまり幼児は「磔刑」になるというのです。

「蠕蟲」(ぜんちゅう)は、ミミズ、ヒルなど、体が細長く、蠕動によって運動する動物の俗称です。

「金鳳花」というと卵型の愛らしい黄色い花が目に浮かびますが、それが「蒼」ざめている。凝りすぎの感すらある独特の漢字使用が、そうした雰囲気や色彩感を醸し出すのに大きな役割を担っているようにも思われます。

2017年6月20日火曜日

日夏耿之介「Jouissance」

 きょうの『転身の頌』の詩は「Jouissance」。このフランス語の題は、手元の仏和辞典によれば、楽しみ、享楽、性的な喜び、快感、享受、享有、所有などの意味だそうです。

   Jouissance

われ讃美す
たしかなる自(みずから)のもちものについて
われは 最初にもつとも不可思議なる青春也
われは わが神のいと可憐なる侍童也
われは 嵐吹くがやうに 神よ 爾をおもひ
万物(もの)なべて大海のごとくに抱擁(いだ)きしめむ
われは わが生のかぎりなき持久性に感ず

わが力は 把手(はしゆ)なき玻璃(はり)の手斧にして
わが智は 煖炉の上に舞踏する黄蠟製傀儡(わうらふせいくわいらい)也
わが肉身は 街頭に渦巻く漏電にして
わが業績は 暴風のあしたの砂丘のごとく也
物欲をしてそれ自彊(みづから)にてあらしめよ

われは 孤(ひと)りなり
われは 青春(わか)く
われは 繊弱(かよわ)し
然れども われは 所有す
所有は五月の曲江(きよくかう)のごとく照りかがやき
孟夏の日輪のごとく撫愛(いつく)しむ


「把手」は、手に握る部分、取っ手。「玻璃」は、水晶あるいは、ガラスの異称。

「黄蠟」は、蜜蜂から分泌され、蜜蜂の巣の主成分をなす蜜蝋=写真、wiki=のこと。巣を加熱圧搾して採取します。主成分はパルミチン酸ミリシルなどのエステルで、化粧品やつや出し剤などの原料となります。

「傀儡」 (かいらい)は、操り人形、くぐつ。

自分の力は、取っ手のないガラスの手斧で、その智は、暖炉の上に舞う蜜蝋で作られた操り人形だというのです。

「自彊」はふつう「じきょう」と読み、みずから努め励むこと。「ひたすら自彊して倦(う)むことを知らず」

「曲江」は、唐の首都・長安の東南にある大池で、玄宗皇帝以来その周りは大歓楽街になっていたそうです。

杜甫は、宰相人事の発言に関して粛宗帝の怒りを買い、758年に地方へ追いやられました。その直前に、曲江を題材とした2つの漢詩を作りました。その1つから、70歳を「古希」と呼ぶようになったとか。



「孟夏」は、夏の初め、初夏、または陰暦4月の異称。

2017年6月19日月曜日

日夏耿之介「かかるとき我生く」

きょうは、「宗教」の次に出てくる、5行だけの短い詩「かかるとき我生く」です。

   かかるとき我生く

大気(き) 澄(す)み 蒼穹(そら)晴れ 野禽(とり)は来啼(な)けり
青き馬 流れに憩(いこ)ひ彳(た)ち
繊弱(かぼそ)き草(くさ)のひと葉ひと葉 日光(ひざし)に喘(あへ)ぎ
『今(いま)』の時晷(とけい)はあらく吐息(といき)す
かかるとき我(われ) 生(い)く


「彳」は、字音は「テキ」「チャク」、訓読みは「たたずむ」。「小步なり。人の脛の三屬相ひ連なるに象るなり」(説文解字)、「行は十字路の姿を描いた象形文字。十字路の左半分だけを描いたのが彳印」(漢字源)などとあります。「ついと前に進み出る」「少しずつ歩く」「佇む」といった意味のようです。

「時晷」の「晷」は、「咎(とが)める」などで使う「咎(キュウ、コウ)」のうえに「日」を載せた漢字です。「時計」ではなく「時晷」なのです。

『学研漢和大字典』によると「晷」の読みは「キ」。意味はーー

①ひかげ 地上にうつった柱のかげ。転じて広く、日光によって生じるかげのこと。「日晷(ニッキ)」(日かげ、日時計)、「晷刻(キコク)」(時刻、とき)

②ひどけい 影の長さで時をはかるとけい。▽昔、八尺(または十尺)の柱を地上にたて、その影の最長の日を冬至、最短の日を夏至と定めた。

③はかる 時をはかるまた解字として、咎は、人がつまずいて進めないこと。さしつかえ、とがの意に用いる。晷は「日+咎(つかえる、くぎる)」の会意文字で、日のかげによって時をくぎること。



とありました。こうして見てくると、「時計」ではなく「時晷」でなくては、この詩はしっくりしないことがわかってきます。