2016年3月14日月曜日

二つの「道程」②

二つの「道程」。それは後に日本とスペインの近代詩に大きな足跡を残すことになる東西の詩人が、たまたま同じような時期に同じような詩を作っていた、ということではありますが、果たして単にそれだけ、にとどまるのでしょうか。

私にはどうも、そう簡単に済ますことができない両国の時代背景が深くかかわっているように思えてなりません。

二つの「道程」、さらには同時代に生を受けた二人の詩人の間には、資質や文学性、さらには「近代」に対峙せざるをえないというお国事情など、多くの共通項が見えてくるのです。

コロンブスがアメリカ大陸にたどり着いてから、世界のあちこちに「植民地」を築き、かつては〝太陽の沈まない国〟といわれたスペイン。

しかし19世紀になると「植民地」だった中南米諸国が次々に独立し、1898年の米西戦争の敗北でついに最後に残っていたキューバも失って大帝国は完全に崩壊しました。国家的な危機で経済は沈滞し、国民は疲弊の極に達したのです。

こうしたどん底のスペインを根本から見直し、ゼロからの再生の道を探る、後に〝1898年世代〟と呼ばれる知識人たちがこの時期に活動を始めます。アントニオ・マチャードは、その主要メンバーの一人です。

マチャードは光太郎より8年前の1875年、温暖なスペイン南部のアンダルシア地方、セビーリャに生まれました。


1906~1909年の欧米留学中に経験した光太郎と同じようにマチャードも、20代のとき、文学で言えばボードレール=写真、wiki=をはじめ、ヴェルレーヌ、マラルメ、ヴァレリーなどとと続く象徴主義が芳醇に花を開いていたパリで、覚醒的な「洗礼」を受けています。

そして1898年に本格的に詩を書きはじめます。ちょうど米西戦争に敗北した年のことでした。まさにゼロの状態から、彼も、スペインも歩み出さなければならなかったのです。

世界に広がっていたすべての道は失われ、八方ふさがり。道などそこにはない。未来につながる道など見えない。それでも歩くしかない。歩いてはじめて道になるのだ。歩いたあとが、かけがえのない独自の道になっていく。

「Camino(道程)」は、こうした時代に生まれた一人の詩人の人生の道であるとともに、過去の栄光にしがみついているうちにいつの間にかヨーロッパの近代化から取り残され、行く先の見えない状態に追いこまれた祖国スペインとその国民に、精神的な道しるべを示そうとしているようにも思われます。

0 件のコメント:

コメントを投稿