2016年3月11日金曜日

『サラミスの兵士たち』

スペイン内戦について書かれた、ハビエル・セルカスの『サラミスの兵士たち』という小説があります。

スペインで2001年に出版されると、1年以上にわたって売り上げのトップを走り、スペイン語版の売上は60万部。

24カ国語に翻訳されて全世界で100万部を突破し、映画化もされました。

ノーベル賞作家バルガス・リョサは「近年読んだ中で最も優れた作品。大きなテーマを扱った重い文学が、読者をひきつけることを知らしめてくれる」とスペインの有力紙で絶賛しています。

スペイン内戦は1936年7月、第2共和国政府に対する軍部の蜂起で始まりました。

人民戦線とも呼ばれる共和国陣営は、アナーキストや共産主義者たち、それにマルローやヘミングウェイらが参加した国民義勇軍などとともに反乱軍を抑え込もうとしました。

しかし共和国陣営は、力尽きます。

フランコ率いる反乱軍は自らを国民軍と名乗り、ファランヘ党などファシズム勢力を取り込んで次々と都市を制圧、1939年4月に勝利を宣言したのです。


『サラミスの兵士たち』は、ファランヘ党の創設者の1人で理論的指導者だった作家サンチェス・マサスの銃殺未遂事件をテーマにしています。

作者と同じ名前の主人公の新聞記者ハビエル・セルカスはある日、内戦終結間近にカタルーニャ山中であった共和国軍による集団銃殺のエピソードを知ります。

フランス国境近くに連行されたマサスは、混乱に乗じて森に逃げ込んだものの、共和国軍の若い兵士に見つかってしまう。

ところが、兵士はなぜかマサスの目を見つめただけで去っていった、というのです。

主人公のセルカスは、この事件を扱った「本質的な秘密」という記事を書きます。

それは、内戦で非業の死を遂げたアントニオ・マチャードの内戦終結60年を記念した追悼特集の企画記事ということになっているのです。

その「企画記事」に、マチャードの最期が要領よくまとめられているので、ここに引用しておきましょう。

〈マチャードは、母と弟のホセとともにバレンシアを発ち、1938年4月、バルセロナに到着した。ホテル・マジェスティックに投宿した後、サン・ジャルバジ地区の古い豪邸カスタニェー邸に逗留した。

マチャードはバルセロナでも、反乱勃発時からしてきたことをしつづけた。つまり、共和国政府の正当性を擁護する文章を書きつづけた。だが老いて衰弱し、病をわずらい、もはやフランコは倒せないだろうと思っていた。

「もう終わりだ。バルセロナはいつ陥落してもおかしくない。戦略的にも政治的にも歴史的にも、われわれが敗れたのは自明のことだ。しかし、人間として見たらどうなのだろう? ひょっとして、勝ったのはわれわれかもしれない」こう書いている。

結びの文が的を射ているかどうかはともかく、前半はまちがいなく正しかった。

1939年1月22日の夜、フランコ軍によるバルセロナ制圧の4日前、マチャードは母と弟とともに貨物列車でフランス国境に向かった。道づれにはコルプス・バルガ、カルラス・リバといった作家がいた。

サルビア・デ・テールとフィゲラスに近いファシャット農場で泊まり、27日夜、雨の中を600メートル歩き、マチャード一行はとうとう国境越えを果たした。荷物は途中で置いていくしかなく、金もなかった。

マチャードはコルプス・バルガに助けられてコリウールにたどりつき、ブニョル・キンタナ・ホテルに投宿したが、ひと月もせず息をひきとった。母親もその3日後に後を追った。

アントニオ・マチャードの外套のポケットにあったメモを、弟のホセが見つけた。辞世の句の書き出しだろうか、そこには次のような文句が書かれていた。「この青き日々、幼き日の太陽よ」〉

アントニオ・マチャードは、これまでも見てきたように、スペインが米西戦争に敗れて世界中の植民地をすべて失った1898年に詩人として出発し、スペイン内戦が終結する1939年に亡命先のフランスで非業の死を遂げています。

その間、大きな屈辱を味わい混乱を極めたスペインの国民に対し、詩人として渾身の言葉を発し続けました。スペイン再生を夢み、模索し、しかし結局のところは挫折。その死の直後に、フランコ独裁による閉ざされた時代に突入しました。

しかしマチャードの夢は、次の世代の詩人たちにたしかに受け継がれていきます。20世紀は「イスパニア詩の第2の黄金世紀」といわれるほど、才能豊かで個性的な詩人たちがたくさん現れることになりました。

20年ほど前、スペイン人のギタリストに教えてもらってから、私は、衣服やお金には全く無頓着でありながら慎ましくも張りつめた繊細な心をもつマチャードに、すっかり魅せられるようになりました。

そしていま、この愛する詩人に関する私のささやかな研究を論文としてまとめる仕事を進めています。

このブログの中でも、これから折を見て、マチャード研究の私なりの成果についても少しずつ公表していきたいと考えています。その際は、ご一読いただければ幸いです。

最後に、マチャードが内戦のただ中、郷里バレンシアの近郊にあるロカフォールで1937年5月に作った「詩(うた)」(石田安弘訳)という作品をあげておきましょう。
 
オレンジ畑のうえに
月が昇りかけている
クリスタルの 小鳥のように
金星が 光っている

はるかな山脈を背に 空は
琥珀と 翡翠の色合いを留め
静寂な海を
青磁と 濃紫に染めている

すでに庭園は 闇に包まれ
――水路に 水の流れる音がするーー
香りの小夜鳴き鶯
ジャスミンの香りが 溢れかえっている

戦は 広々とした海原のうえで
眠りこけているかのようだ
いま 花ざかりのバレンシアは
グアダラビアール川の水を飲んでいる

多くの繊細な塔を擁え
香ぐわしい夜を抱く バレンシア
ぼくは いつもきみとともにいるだろう
きみを目にすることができなくなった時も
原野の砂が拡がり


すみれ色の海が 遠のいていく時も

0 件のコメント:

コメントを投稿