2016年3月17日木曜日

二つの「道程」⑤

「パンの会」における狂乱怒濤との「契合点」というのは、光太郎にとって日本の旧い体制に対する反逆を意味していました。

「本当の青春の無鉄砲が内に目ざめた」以上、偽物だらけに思える日本の社会に安住することはできず、その反逆がデカダンの方向をとることになったのでしょう。

堀江信男は、「そのように日本の根本的改革を求め、個人の絶対的自由を求めた光太郎が、『旧体制』の厚い壁に突き当たり、その衝突からくる精神の不均衡が、かれを駆ってデカダンの情炎に行かせたとすれば、そこからの脱却は、対社会、対家族の関係において、精神の均衡を回復する何らかの変化がなければならないはずである。それは何だったのであろうか」と問いかけたうえで、それは「やはり自然に対する対し方の深化というか、変化である」(『高村光太郎論 典型的日本人の詩と真実』)として、「自然」に注目しています。

それを裏付けるように実際、光太郎は29歳だった1911年、デカダンの生活からの脱却して自然へ向かおうとした行動とみられる北海道移住を計画しました。

北川太一編の年譜によると「五月、精神の危機を感じ、酪農で生活を立てようと北海道移住を志し、経営難の琅玕洞を人にゆずって月寒にいったが、月末には失望して帰る」とされています。


「道程」はもともと100行を超える長い詩で、その最後の7行を中心に、詩人の伝えたい本質を象徴的に9行に凝縮させました。この初期形からは、光太郎のそうした「自然」への思いをうかがい知ることができます。
  
  どこかにつうじてゐる大道を僕は歩いてゐるのぢやない
  僕の前に道はない
  僕の後ろに道は出来る
  道は僕のふみしだいて来た足あとだ
  だから
  道の最端にいつでも僕は立つてゐる
  何といふ曲りくねり
  迷ひまよつた道だらう
  自堕落に消え滅びかけたあの道
  絶望に閉ぢ込められたあの道
  幼い苦悩にもみつぶされたあの道
  ふり返つてみると
  自分の道は戦慄に値ひする
  四離滅裂な
  又むざんな此の光景を見て
  誰がこれを
  生命の道と信ずるだろう
  それだのに
  やつぱり此が生命を導く道だつた
  そして僕は此処まで来てしまつた
  此のさんたんたる自分の道を見て
  僕は自然の広大ないつくしみに涙を流すのだ
  あのやくざに見えた道の中から
  生命の意味をはつきり見せてくれたのは自然だ
  僕をひき廻して眼をはぢき
  もう此処と思ふところで
  さめよ、さめよと叫んだのは自然だ
  これこそ厳格な父の愛だ
  子供になり切つたありがたさを僕はしみじみと思つた
  どんな時にも自然の手を離さなかつた僕は
  たうとう自分をつかまへたのだ
  恰度その時事態は一変した
  俄かに眼前にあるものは光りを放射し
  空も地面も沸く様に動き出した
  そのまに
  自然は微笑をのこして僕の手から
  永遠の地平線へ姿をかくした
  ……………

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