2016年3月27日日曜日

幼稚なイデオロギー

1873年6月、スペインの新議会は連邦共和政を宣言し、主導権を握っていた連邦派のピ・イ・マルガルを大統領に選びました。

しかし、連邦派は政治的民主主義を目指す程度の政策しかもち得ず、民衆はローカルな世界で問題を解決しようと議会政治から距離を置くことになります。

こうして共和国となったスペインの統治はいっこうに安定せず、大統領が短期間に次々と入れ替わる異常事態となったのです。

1874年にはカンポス将軍主導のクーデターが起こり、共和政は2年足らずで終焉を迎えます。そして、王政の回復に国の安定を託すことになります。

イサベルの子アルフォンソ12世が国王に即位、スペインは再びボルボン家の王政国家になったのです。


歴史家のハイメ・ビセンス・ビーベス=写真、wiki=は、その著『スペイン――歴史的省察』で短期間ながらスペイン人が史上初めて体験した共和政について次のように総括しています。

「スペイン史上初の民主主義の体験を通してわかったことは、スペインには少数派ながら善意の人々が存在するものの、民衆はおよそ民主主義のための訓練を欠いているという事実にほかならなかった。普通選挙を通じて国政の担い手になることが望まれた当の国民は現実生活の重圧下に喘ぎ、到底選挙どころの騒ぎではなかった。半島北部のカトリック農民の不満を直接受け継いだ形でカルロス党の動きが再び活発化し、その影響がナバーラとカタルーニャ両地方に広まっていった。だが、政府が闘う相手はまだほかにもいた。第一は当時のセクト主義的風潮で、これは協調というものをことごとく不可能にした。第二は知性がすっかり萎えてしまった官僚界だった。そして第三には思想界で、ここでは思いもよらなかった自由が与えられたがために、次々と神がかり的で幼稚な内容の新しいイデオロギーがはびこり始めていた」

王政回復の立役者は、イサベル時代末期に閣僚を務めたカノバス・デル・カスティーリョでした。保守党を結成して1876年1月の総選挙で圧倒的多数を獲得すると、すぐさまカルリスタ戦争を平定し、カルリスタの一部を保守党に取り込みました。

カノバスは、単なる王政復古ではもはや体制を維持していくことができないことを知っていました。イサベル時代の法律や制度を復活させたものの、「革命の6年」の勢力を一掃することもありませんでした。革命の混乱期を超えた新秩序を作ろうとしたのです。

0 件のコメント:

コメントを投稿