2016年3月28日月曜日

キューバ独立

世界が帝国主義段階に入った1890年代になると、王政回復後の比較的安定したスペインの政治状況も一転します。

ラテンアメリカの多くの国を失う事態になっても確かな政策を持ちえなかったスペインは、列強の世界分割に加われず、残った支配地の防衛だけに専念するありさまでした。

そんなところに、かねてから独立問題がくすぶっていたキューバで反乱が再燃したのです。反乱は1895年に始まり、臨時政府が樹立され、キューバ共和国憲法が制定されました。


王政復古(1874)後に首相となり、ゲリラを孤立させるべく強硬策に出たカノバス(1828-97)=写真、wiki=は、独立戦争の最中に暗殺されてしまいます。一方でカリブ海を勢力圏にしようとしていた米国もキューバ問題に介入し、独立を要求します。

スペイン側に立つ列強はありませんでした。ハバナ湾で米国海軍の戦艦「メイン」が爆発・沈没した事件をきっかけに1898年4月、米西戦争が勃発しますが、スペイン軍はすべての戦線で完敗に終わりました。

同年12月、パリ講和条約でキューバの独立が認められ、グアムやフィリピンも合衆国に引き渡されることになります。米西戦争の敗北で、スペインは海外のほとんどすべての領土を失い、政治は行き場を失い、経済や社会も疲弊を極めることになりました。

こうした敗北に際し、スペインの現状を批判しつつ、あるべき未来像と真のスペインを見出そうとする一群の作家たちが登場してくるのです。前出の歴史家ビーベスは、次のように記しています。

「じっとしていることを知らないスペイン人の性格は、表面上は平静を保った王政復古体制の下でもいかんなく発揮された。まず第一に知識人達の活躍がある。つまり、当時のスペインの実情に満足できないさまざまな知識人グループが現われたのである。政治は彼らにとっては副次的なものにすぎず、彼らの不満はもっぱら祖国の歴史的本質及びスペインとヨーロッパ文化との関係に起因していた」 。

そうした「知識人グループ」の代表格が、後に「1898年世代」とよばれる人々でした。

すなわち、文学のジャンルでもきわめて重要な作品を残し、続く世代の作家たちに大きな影響を与えた思想家ミゲル・デ・ウナムーノ、ヘミングウェイがその作品を愛読したといわれる小説家のピオ・バローハ、耽美的な作風の小説を通して痛烈な社会批判を行ったラモン・マーリア・デル・バリェ=インクラン、そして、透明簡潔な文体で独自の叙情性を醸し出す作品を残した詩人アントニオ・マチャードたちだったのです。

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