2016年3月9日水曜日

最愛のレオノール

日本で最も知られたスペインの詩人といえばたぶん、ガルシア・ロルカでしょう。マチャードはロルカの才能をいち早く認め、ロルカもマチャードを深く敬愛していました。

しかし2人のひととなりは、かなり違っていたようです。気鋭の劇作家として劇団を率いて各地を回り、音楽、絵画など多様な世界で華々しく才を発揮した、おしゃれでダンディーな感じのロルカ。それに対してマチャードは、なんとも野暮ったいのです。

若いころから詩人として尊敬されてはいましたが、身だしなみにはまったく無頓着で、職を求めてスペイン内を転々とするシャイで風采の上がらない一教師として、あまり豊かではない生涯を送りました。

ロルカが生まれた1898年、23歳だったアントニオは最初の詩を書いて、詩人としての第一歩を踏み出します。1907年には公立中高等学校のフランス語の正教員の資格を得て、この年の9月、スペイン北部の、古くからある小都市ソリアの学校に赴任します。


そこで下宿することになった家の夫婦には、まだ13歳の娘レオノール=写真=がいました。

マチャードは、20歳近く年下のこの少女に恋をします。そして、年齢差を気にしながらも、意を決して求婚しました。「汽車」という詩にはこんな一節があります。

  そして、私の愛する女の子
  ああ、結婚することができたなら
  ちっちゃな理容師と

レオノールも一生をマチャードに賭ける心を固めます。1909年7月末に、2人はソリアの教会で結婚式を挙げました。マチャード34歳、レオノールは16歳のことです。

1911年初め、マチャードは妻を伴って、フランス語の勉強のためパリへ留学します。

ところが、半年後の7月にレオノールは突然ひどい喀血に襲われます。パリ祭の夜のことでした。

マチャードは医者を求めてパリ中を狂ったように駆けめぐりました。9月にはソリアへ戻って懸命に看病を続けますが、快方に向かうことなく翌1912年8月、肺結核でレオノールは静かに息をひきとりました。結婚して3年、まだ19歳でした。

その1週間後、マチャードは逃れるようにしてソリアを去りました。レオノールの死から12年たった1924年に出された詩集『新しい歌』の中に、「夢の会話」という最愛の妻を失った孤独を描いたと思われるソネットがあります。

  きみの姿が高みを満たすように
  現れる! 私の言葉が呼び覚まされる
  緑の牧草地と乾いた平原
  満開のキイチゴ 灰色の岩

  そして従順な思い出 黒いカシ林
  川辺のポプラの下 土手は芽吹いている
  羊飼いが丘へと登っていく
  街のバルコニーが光る 私の

  私たちの。見える? 遠く、アラゴンまで
  モンカヨの山脈 白とバラ色……
  見て 炎 緋色の雲に

  そしてあっちの青空に星、妻よ
  ドゥエロの向こうに サンタナの丘
  静寂な夜 紫色に染まっている

マチャードはその後、二度と結婚をすることはありませんでした。(詩は、筆者の粗訳)

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