2016年4月24日日曜日

カスティーリャを去る

この年1912年の6月、きのう読んだ文章の中にあった「旅人よ。そこに道はない。歩くところに道はできる(Caminante, no hay camino, se hace camino al andar)」というフレーズを含んだスペイン人に馴染の深い短詩も入っている3冊目の詩集『カスティーリャの野(Campos de Castilla)』が出版されました。

題名の通り、98年世代が背負うことになった「カスティーリャ」に対するマチャードの体験と問題意識が色濃くあらわれている詩集です。


『カスティーリャの野』は文壇からは絶賛の声が上がったものの、詩集に収められた中には地域の住民からの激しい反発を招いた詩も少なくありませんでした。この詩集については、後に詳しく検討していくことにしたいと思います。

ところで、マチャードの懸命な看病の甲斐もなく1912年8月1日、肺結核に冒されていたレオノールは静かに息をひきとります。マチャードと結婚して3年目。まだ19歳の若さでした。

死の1週間後、マチャードは逃れるようにしてマドリードへと向かい、転出希望の届けを出しています。そして5年間にわたったカスティーリャでの生活から離れ、11月1日付で、やはりフランス語教師としてアンダルシア地方の田舎町バエサに移りました。

マチャードにとって、レオノールという存在なしにソリアにとどまる意味を見いだせなかったのでしょうか。愛するひととの思い出が詰まった地にいることが耐えられなくなったのでしょうか。

それとも詩集『カスティーリャの野』の出版を機に、カスティーリャでの生活に区切りを付けたかったのでしょうか。確かなことはよくわかりません。

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