2016年4月26日火曜日

不在の妻

きのう見た「夢の会話(Los sueños dialogados)Ⅰ」を、清水憲男さんの論文を頼りに、詳しく読んでみることにします。

詩の中でマチャードは、自らが存在していながら妻は不在であるという、恐ろしい時間的落差を痛感して「私の言葉が呼び覚まされる(Mi parabra evoca)」(2行)、「従順な思い出(al recuerdo obediente)」(5行)といいます。

しかしこれと対照的に、死んだレオノールに対して、「君は見るのか(¿Ves?)」(9行)、「見て(Mira)」(11行)、「妻よ(esposa)」(12行)と3回呼びかけているのです。

最初の2連で、死という、起こってしまった過去の事実が肯定されますがが、マチャードはどうしてもあきらめきれず、彼女に虚しく呼びかけます。絶望的な叫びへの答えはただ「静まりかえった午後(la tarde silenciosa)」だけです。


「ドゥエロが流れる(Tras el Duero)」は、2人がよく散歩をしていた「ドゥエロのほとり(orillas del Duero)」と対応し、「紫色に染まっている(Se amorata)」という表現は、訪れる暗夜、すなわち死に向けての時間的転移を暗示しています。

前半の4行連ではソリアと結びつけられたレオノールの思い出が、後半の3行連では、それを背景にした抗い難い現在が語られます。しかし、この隔たりの間で、ソネットが唐突に分断されてしまうようなことはありません。

2人の堅い結びつきが「私の(el mió)」から「私たちの(el nuestro)」を導き出します。こうしてソネットの前半と後半が結びつきますが、「el mió」と「el nuestro」が別の連に離れて置かれていることによって、バルコニーの共有が崩されてしまった印象をも醸し出します。

そして2人のものでなくなった断絶感の直後に、「¿Ves?」という虚しい問いかけが効果的に響いているのです。

フランス象徴主義詩の影響なのか、最初の3行連の「モンカヨの山脈 白 バラ色(la sierra de Moncayo, blanca y rosa)」には2人の希望を、「炎(incendio)」や「緋色の雲(esa nube grana)」は燃え立つ愛の炎を、そして12行目の「星(estrella)」は2人の宿命を象徴しているのでしょう。

また、たそがれ時の星という取り合わせには愛と死の意味が二重写しになっているともとらえられるし、最後の2行にも空間と時間という二重性を詩の中に潜ませています。詩人としての力量の確かさをうかがわせるマチャードならではの巧みな技法、といえるのでしょう。

こうした点に注目しながら清水さんはこの詩について、次のように指摘しています。

「マチャードは、ある意味では神秘主義詩人に似て、伝達を本来目的とした言語では言い表せない感覚的深みにまで直感を媒介にして自己沈潜してゆき、その成果をありきたりの言葉でさり気なく暗示ないし象徴する。ソシュール用語をもって言い換えれば、表現したい“所記”に相応する“能記”が無いゆえに、あえて直接的能記をあきらめ、黙し、ごく当たり前の単語・構文の微妙な組み合わせを試み、その裏を読者の感受性、解釈力、直感に再度委ねたのである。歴史、文化の重みを秘めた言語の腰の強さ、柔軟性、単語同士の隣接から生まれる相乗効果、緊張などを確信し、それに自らの存在を賭けたマチャードの姿をここに十分見て取ることができる」 。

このようにレオノールの死に対し、詩作によって向きあうことで、マチャードのカスティーリャ体験はひとまず終焉を迎えることになるのです。

それは、「歴史、文化の重みを秘めた言語の腰の強さ、柔軟性、単語同士の隣接から生まれる相乗効果、緊張などを確信し、それに自らの存在を賭けた」と清水さんのいう詩人マチャードが、その創作のピークを迎えた時期でもあったのでしょう。

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