2016年12月23日金曜日

「ソリアの地」から「スペインの地へ」②

イアン・ギブソンは「ソリアの地」が「ドゥエロの地へ」として再出版されたころの詩集に対する地元の受け止め方を次のように見ています。

〈マチャードがソリアに滞在したのは1907年春ごろからだが、そのころこの地域の村では森林火災がひっきりなしに起こされ、殺人や他の暴力犯罪も多発し治まるきざしはなかった。

そうした中での憂鬱な意気をそがれる雰囲気が「ドゥエロの地へ」の下書きの多くの修正や抹消、見直しにみられ、最終的に詩が組み立てられるまでに長く困難な詩作の行程があったことは明らかである。

それはともかく「ドゥエロの地へ」は、幾人かの市民たちの激しい反発を招いた。ソリア全体の秩序を乱す攻撃だと解釈されたからだ(確かにそこには、オンカラ峠の5メートルの積雪の中で起きた冷酷で残忍な瞬間が描かれていた)。

よそ者による攻撃は受け入れられなかった。しかも、学校のフランス語の教師が発言したということであればなおさらのことだ。イデアル・ヌマンシア(Ideal Numantino)」という新聞の1月13日の紙面には次のように記されている。


私たちが読んだマチャード氏の「ソリアの地」は美しい詩である。しかし、その内容は薦められるものではない。「ソリアの地」の住民たちをマチャード氏は公正に見ていると考えることはできない。

中には確かにマチャード氏が指摘するような悪い行為もある。しかし、詩人が作品の中では認めていない多くの美徳のなかのごくまれな例外的なものでしかないことは明白だ。

最も強力な攻撃をしたのは、1月14日付の「ソリア・ニュース」だった。

「この詩は悪意と遊びに満ちたパロディであり、間違いであり、盗作に近いものである。言及されているような破滅的な光景など見られず、ソリアの農民たちは高潔で森に火をつけることなどできないし、まして殺人を犯すことなどできはしない。」〉

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