2017年1月1日日曜日

「ソリアの地」から「スペインの地へ」④

今年も、ゆっくりと少しずつですが、アントニオ・マチャードへの散策をつづけていきたいと思っています。よろしくお願いします。

マチャードがスペインの「醜い魂」を厳しい目で見つめ続けたのは当然、祖国への深い愛に支えられたもので、「たくましき腕のイベリアの男」に希望を託して、のことなのでしょう。

エントラルゴはさらに、「マチャードによれば、真の詩人は、時間の――己の時間の――はかなさを鋭く生き、同時に、それ独自の表現によって、それを永遠化しようとする。詩人がその野心的な目的を達成するには、そうした表現はどのようなものでなければならないのであろうか。

その答えは、詩的感動とは無縁な人の耳には逆説的に響くであろう。つまりその表現は、表現された瞬間の一回性とはかなさを、もっとも生きいきと暗示的に示さなければならないのだ。……

もし詩人が瞬間のはかない一回性を生きいきと暗示することができるなら、その一瞬は生き残り、生き続けるであろう。なぜなら詩人のおかげで、それは一種の不朽の美的永遠性を獲得したからである」と指摘しています。

マチャードの詩の対象は、エントラルゴが示唆するように、常に時間の中でとらえられています。

そして、詩人がいま見つめている「スペイン」という対象についても、過去から現在、そして未来へと流れていく時間、すなわち歴史の中でとらえていこうとします。

そうしなければ「時間のはかなさを鋭く生き」、その一瞬を生き残らせ、生き続けさせることはできないからです。そうした詩人の真意は、必ずしも読者に容易に伝わるものではないのですが。

「カスティーリャの景色の心理的解釈に、マチャードの場合、カスティーリャの歴史的解釈が加えられる。アントニオ・マチャードにとって――“98年代”の人々にとっても同様――カスティーリャの大地は、スペインの運命の瞑想に招く開かれた木のようなものである」 とヘスス・アリエタはいいます。

カスティーリャの悲しく、気高い大地の現実における低迷は、その岩山や荒野、荒んだ町とともに栄光の過去を詩人の胸に蘇らせます。

そして、過去の栄光と現在の衰退という光と影のコントラストによって浮きぼりにされた「時間のはかなさ」を、詩人は「鋭く生き、同時に、それ独自の表現によって」永遠化しようとするのです。

こうした「真の詩人」たる表現が典型的に見られるのが、以前に少し触れた「ドゥエロ川のほとりで(A oriillas del Duero)」でしょう。次回からは、この詩について、掘り下げて考えてみることにします。

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