2017年4月26日水曜日

中原中也「早春散歩」⑥

  天井に 朱〈あか〉きいろいで
    戸の隙を 洩れ入る光、
  鄙〈ひな〉びたる 軍楽の憶ひ
    手にてなす なにごともなし。

  小鳥らの うたはきこえず
    空は今日 はなだ色らし、
  倦〈う〉んじてし 人のこころを
    諫〈いさ〉めする なにものもなし。

  樹脂〈じゆし〉の香に 朝は悩まし
    うしなひし さまざまのゆめ、
  森竝〈もりなみ〉は 風に鳴るかな

  ひろごりて たひらかの空
    土手づたひ きえてゆくかな
  うつくしき さまざまの夢。

中也自身がが最も好きだったともいわれ、「この詩に近代文学の誕生を見る」(吉田健一)などと讃えられる有名な詩「朝の歌」です。

以前にも見ましたが、中也は「詩的履歴書」の中に〈大正十五年五月、『朝の歌』を書く。七月頃小林に見せる。それが東京に来て詩を人に見せる最初。つまり『朝の歌』にてほゞ方針立つ。方針は立つたが、たつた十四行書くための、こんなに手数がかゝるのではとガツカリす〉と記しています。

ここに中也は、自身の詩を見出した手応えを感じていたことになります。この詩はソネット風の五七調と、極めて古典的な形式で書かれています。しかし、そこに醸し出されているものは、従来の朝のイメージとは掛け離れています。


「小鳥らの うたはきこえず」、空は、ツユクサの花=写真、wiki=に見られる、はなだ色(薄い藍色)で、「土手づたひ きえてゆくかな/うつくしき さまざまの夢。」というのです。そこには、新たな日を迎えた溌溂とした雰囲気とは無縁の、心の倦怠感のようなものが漂っています。

「朝の歌」に関して、野田真吉は、次のように記しています(『中原中也――わが青春の漂泊』)。

〈至純で自由な幼児のような魂をもって生きようと希った中原は、それ故に世故たけた現実生活の恥辱にまみれ、ふみにじられなければならなかった。

文字どおり業苦のさなかに身を置き、生きなければならなかった。だが、その業苦を自らのものとしてうけとめ生きることに、彼は詩人が至純な魂をいだいて生きているしるしだと思った。

私が中原中也の詩からうける人間的感動はこのような業苦の世界のただなかにたえずゆれうごき、身も心も引き裂かれる至極赤裸な人間の魂の痛みを抒情詩としてたかめ、うたいあげられているところにある。

それは祈りであり、悔恨であり、迷いであり、愛慕未練の訴えである。〉

「朝の歌」が入っている詩集『山羊の歌』(1934年)の、この詩の前にも、私の好きな春の詩があります。初稿は「朝の歌」と同じころ書かれたとみられている「春の夜」です。

       春の夜

  燻銀〈いぶしぎん〉なる窓枠の中になごやかに
    一枝の花、桃色の花。

  月光うけて失神し
    庭〈には〉の土面〈つちも〉は附黒子〈つけぼくろ〉。

  あゝこともなしこともなし
    樹々よはにかみ立ちまはれ。

  このすゞろなる物の音〈ね〉に
    希望はあらず、さてはまた、懺悔もあらず。

  山虔〈つつま〉しき木工のみ、
    夢の裡〈うち〉なる隊商のその足竝〈あしなみ〉もほのみゆれ。

  窓の中〈うち〉にはさはやかの、おぼろかの
    砂の色せる絹衣〈ごろも〉。

  かびろき胸のピアノ鳴り
    祖先はあらず、親も消〈け〉ぬ。

  埋みし犬の何処〈いづく〉にか、
    蕃紅花色〈さふらんいろ〉に湧きいづる
        春の夜や。

蕃紅花色というと、サフランの雌しべで染めた黄色っぽい色と、うす紫っぽい花の色の二通りが考えられます。この詩の場合、どちらがしっくりいくでしょうか。

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