2017年4月29日土曜日

中原中也「早春散歩」⑨

  空は晴れてても、建物には蔭があるよ、
  春、早春は心なびかせ、
  それがまるで薄絹ででもあるやうに
  ハンケチででもあるように
  我等の心を引千切〈ひきちぎ〉り
  きれぎれにして風に散らせる

  私はもう、まるで過去がなかつたかのやうに
  少くとも通つてゐる人達の手前さうであるかの如くに感じ、
  風の中を吹き過ぎる
  異国人のやうな眼眸〈まなざし〉をして、
  確固たるものの如く、
  また隙間風にも消え去るものの如く

  さうしてこの淋しい心を抱いて、
  今年もまた春を迎へるものであることを
  ゆるやかにも、茲〈ここ〉に春は立返つたのであることを
  土の上の日射しをみながらつめたい風に吹かれながら
  土手の上を歩きながら、遠くの空を見やりながら
  僕は思ふ、思ふことにも慣れきつて僕は思ふ……


全3連、各連6行のワクにおさめながらも、「空は晴れてても、建物には蔭があるよ、」といったふうに、のびやかで親しみやすい口語表現でつづられている「早春散歩」。

詩そのものは、とくに難しいところもなく、すらすらと読んでいけます。参考に、中村稔の『名詩鑑賞 中原中也』から、この詩の一つの読みかたを引用しておきます。

〈「早春散歩」という題は明るいものですし、たしかに「春が立返つた」ことをたのしんでもいるのですが、うたわれている内容には寂寥があふれています。

早春の光の中での寂寥、はなやぎそめた光に照らしだされるさびしさ、それがこの作品の主題です。

この作品の第一行は、「空は晴れてても、建物には蔭があるよ、」と書かれています。陰があるのは建物だけではありません。散歩する詩人の心にも陰があるのです。

その心を、早春の風が、薄絹か、ハンカチのように、ひきちぎり、きれぎれにして風にとばせるのです。

この詩は朗読してみると気づくことですが、リフレーンが頻用されており、それが幾重にも詩人の心のわびしさを読者にたたみかけるように訴えてきます。

第二聯で、「まるで過去がなかつたかのやうに」「少くとも通つてゐる人達の手前さうであるかの如く」「確固たるものの如く」「隙間風にも消え去るものの如く」と、四度もくりかえしています。

第三聯では、「春を迎へるものであることを」「春は立返つたのであることを」とかさね、「風に吹かれながら」「歩きながら」「見やりながら」とくりかえし、「僕は思ふ、思ふことにも慣れきつて僕は思ふ……」とくりかえしています。

そのたびに、水が池に滲み入るように、明るい外光の中の寂寥が、読者の心に滲み入ってくるのです。この作品で注目されることには、もうひとつ、第二聯に告白された心境があります。

ここで詩人は、「過去がなかつたかのやうに」とうたい、「風の中を吹き過ぎる 異国人のやうな眼眸をして」と言い「確固たるものの如く、 また隙間風にも消え去るものの如く」と自己を表現しています。

こういう脱落感、人間失格感は、「ゆきてかへらぬ」をはじめとする「永訣の秋」の詩編と共通しているものです。少なくとも、「永訣の秋」の詩情の萌芽がすでにこの作品に認められるのです。〉

春の日といえば、うららかで、明るいイメージがします。俳句に、春日影という季語があります。影という字が入ってはいますが、春の日の光、春の陽光、春陽のことを意味します。

しかし、この詩人の目にある春の風景にも、心のなかにも「蔭」がはっきりとあるのです。紗(しゃ)や絽(ろ)のように生地のうすい薄絹かハンケチででもあるかのように、早春の風が、詩人らの心をきれぎれにひきちぎり、散らします。

風がさっとひきちぎるほど、詩人の心は薄く、もろい状態なのでしょう。中也で、リフレーンというと、すぐに、有名な「汚れつちまつた悲しみに……」が頭に浮かんできます。

  汚れつちまつた悲しみに
  今日も小雪の降りかかる
  汚れつちまつた悲しみに
  今日も風さえ吹きすぎる

  汚れつちまつた悲しみは
  たとえば狐の革裘(かわごろも)
  汚れつちまつた悲しみは
  小雪のかかつてちぢこまる

  汚れつちまつた悲しみは
  なにのぞむなくねがうなく
  汚れつちまつた悲しみは
  倦怠(けだい)のうちに死を夢(ゆめ)む

  汚れつちまつた悲しみに
  いたいたしくも怖気(おじけ)づき
  汚れつちまつた悲しみに
  なすところもなく日は暮れる……

この詩は口語詩ですが、基本的に七五調。小唄のように心地のよいリズムを刻んでいます。「汚れつち」の「つ」の促音によって「汚れ」のイメージを押し出し、リフレーンによって「悲しみ」の大きさがつたわってきます。

「早春散歩」のリフレーンは、「汚れつちまつた悲しみに……」のように大っぴらで声高なものではなく、詩の中にはまり込んで幾重にもつきまとっていきます。

それほどに、詩人の「淋しい心」はかなり深となって根差し、「蔭」となっているのでしょう。リフレーンがそれを、静かに浸みわたらせていきます。

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