2017年5月2日火曜日

中原中也「早春散歩」⑫

最愛の息子、文也が死にました。中也は悲嘆に暮れ、激しい精神錯乱に陥ります。そんなころ、次のような詩を作っています。

     月の光 (その一)

  月の光が照つてゐた
  月の光が照つてゐた

    お庭の隅の草叢〈くさむら〉に
    隠れているのは死んだ児〈こ〉だ

  月の光が照つてゐた
  月の光が照つてゐた

    おや、チルシスとアマントが
    芝生の上に出て来てる

  ギタアを持つては来てゐるが
  おつぽり出してあるばかり

    月の光が照つてゐた
    月の光が照つてゐた

     (その二)

  おゝチルシスとアマントが
  庭に出て来て遊んでる

  ほんに今夜は春の宵
  なまあつたかい靄〈もや〉もある

  月の光に照らされて
  庭のベンチの上にゐる

  ギタアがそばにはあるけれど
  いつかう弾き出しさうもない

  芝生のむかふは森でして
  とても黒々してゐます

  おゝチルシスとアマントが
  こそこそ話してゐる間

  森の中では死んだ子が
  蛍のやうに蹲〈しやが〉んでる


詩人は月の光の照らす庭の芝生に、牧童たちがあらわれる幻影を見ています。その「隅の草叢に」は、「死んだ児」が隠れてみているのです。この児はもちろん、文也をイメージしているのでしょう。

「その一」では、執拗に「月の光が照つてゐた」が繰り返されて、悲しみを際立たせています。月光は、「ギタアを持つては来てゐるが/おつぽり出してあるばかり」である雑然とした庭を照らすのです。空洞となった詩人の心の闇に、むなしく月が降りそそいでいるのでしょう。

「その二」にも、「森の中では死んだ子が/蛍のやうに蹲んでる」という表現があります。失ったわが子の幻影を追う作者の心は、悲しくも、美しく、むなしい。その舞台を詩人は「なまあつたかい靄」もある「春の宵」に置いています。

「チルシス」と「アマント」というのは、ヴェルレーヌの詩「Mandoline(マンドリーヌ)」に出て来る牧童の名です。もともとは、古代ギリシャの詩人テオクリトスの『牧歌』に出てくる男の牧人の名前「ティルシス」と「アミュンタス」からきています。

これらの牧人名は、古代ローマの詩人ヴェルギリウスの『詩選』では、下働きの女性名と美少年の名前として使われました。その後、16世紀のイタリアの詩人タッソの牧歌劇『アミンタ』に、イタリア名「ティルシ」と「アミンタ」として受け継がれました。「チルシス」と「アマント」は、これらのフランス語読みです。

中也は原書の『ヴェルレーヌ全集』を、1926(大正15)年に購入しています。ここでは、川路柳虹訳の「マンドリーヌ」をあげておきましょう。川路はヴェルレーヌの訳詩集の訳者自註で、かれらを「滑稽役」として紹介しています。

  夜の調べのうたひて
  着飾つた聴衆、
  弾くひとの爪音〈つまおと〉に
  さわやかな舞台はひらかれる。

  チルジスもゐる、アマントもゐる、
  さては相変らずのクリタンドルも、
  情〈こゝろ〉ないひとに優しい歌をつたへるダミイも出てゐる。

  絹の短い胴着〈どうぎ〉をきて
  長い裳裾〈もすそ〉は後に曳く、
  その優しさ、その楽しさうな様子、
  そのしとやかな青い衣〈きぬ〉の影。

  うす薔薇色の月の光りに
  恍惚〈うつとり〉 取り巻かれ、
  そよ吹く軟らかな風につれて


  囀づりしきるマンドリーヌ。

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