2017年5月27日土曜日

「病牀六尺」の力⑨

夏目漱石の『吾輩は猫である』の中篇自序には、漱石がロンドンに居るときに受け取った子規からの手紙が引用されています。

「僕ハモーダメニナッテシマッタ、毎日訳モナク号泣シテ居ルヨウナ次第ダ、ソレダカラ新聞雑誌ヘモ少シモ書カヌ。手紙ハ一切廃止。ソレダカラ御無沙汰シテマス。今夜ハフト思イツイテ特別ニ手紙ヲカク。イツカヨコシテクレタ君ノ手紙ハ非常ニ面白カッタ。近来僕ヲ喜バセタ者ノ随一ダ。僕ガ昔カラ西洋ヲ見タガッテ居タノハ君モ知ッテルダロー。夫(それ)ガ病人ニナッテシマッタノダカラ残念デタマラナイノダガ、君ノ手紙ヲ見テ西洋ヘ往(いっ)タヨウナ気ニナッテ愉快デタマラヌ。若(も)シ書ケルナラ僕ノ目ノ明イテル内ニ今一便ヨコシテクレヌカ(無理ナ注文ダガ)
 画ハガキモ慥(たしか)ニ受取タ。倫敦(ロンドン)ノ焼芋(やきいも)ノ味ハドンナカ聞キタイ。
 不折ハ今巴里(パリ)ニ居テコーランノ処ヘ通ッテ居ルソウジャナイカ。君ニ逢(お)ウタラ鰹節一本贈ルナドトイウテ居タガ、モーソンナ者ハ食ウテシマッテアルマイ。……」


この手紙には「明治卅四年十一月六日灯下ニ書ス」と記されているので、子規が亡くなる一〇カ月前に書かれたことになります。漱石は「此手紙は美濃紙へ行書でかいてある。筆力は垂死の病人とは思えぬ程慥(たしか)である」としています。

それにしても、『仰臥漫録』もそうでしたが、ここにいたっても「倫敦(ロンドン)ノ焼芋(やきいも)ノ味」まで気にしている子規。食うことへの執着には驚嘆させられます。

それは、食わなくては生きていけない人間の「生」への執着でもあり、食わなくては書けない、書くことへの執念にもつながっているのでしょう。また、『墨汁一滴』には次のようにあります。

「人の希望は初め漠然として大きく後漸(ようや)く小さく確実になるならひなり。我病牀(びょうしょう)における希望は初めより極めて小さく、遠く歩行(ある)き得ずともよし、庭の中(うち)だに歩行き得ば、といひしは四、五年前の事なり。その後一、二年を経て、歩行き得ずとも立つ事を得ば嬉(うれ)しからん、と思ひしだに余りに小さき望かなと人にも言ひて笑ひしが一昨年の夏よりは、立つ事は望まず坐るばかりは病の神も許されたきものぞ、などかこつ程になりぬ。しかも希望の縮小は猶(なお)ここに止まらず。坐る事はともあれせめては一時間なりとも苦痛なく安らかに臥(ふ)し得ば如何(いか)に嬉しからん、とはきのふ今日の我希望なり。小さき望かな。最早我望もこの上は小さくなり得ぬほどの極度に迄達したり。この次の時期は希望の零となる時期なり。希望の零となる時期、釈迦(しゃか)はこれを涅槃(ねはん)といひ耶蘇(やそ)はこれを救ひとやいふらん」

「希望」が縮小しゼロに近づくほど、それに反比例して、子規の書くことへの執着心は増幅していったように思われます。どんなに優れたスポーツ選手でも、「病牀六尺」にあってはアスリートとして十分なパフォーマンスをすることはできません。

どんな情熱的なピアニストでも、寝たきりの状態で満足にピアノの演奏をすることは不可能でしょう。しかし詩人は、生が尽きる寸前まで、渾身の言葉を書きぬくことができるのです。それを奇蹟的なかたちで図太く実践したハイネや子規は、まさに不世出の詩人といえるでしょう。

消えて去る寸前の灯のような境涯にあれば、なおさらその発する言葉は凝縮した生の輝きを放ちます。私は近ごろ、そんなところに、書くという行為の底知れない魅力を感じています。

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