2017年5月3日水曜日

中原中也「早春散歩」⑬

生前、中也自身によって編まれた詩集/は、『山羊の歌』と『在りし日の歌』の2冊だけです。これまでに見たように、長男の文也が生まれた直後の1934(昭和9)年12月、中也27歳のとき、待望の第1詩集『山羊の歌』を出版しました。

その後、文也の死や、中也の精神疾患による入院の時期をはさんで昭和11年から昭和12年9月まで、何段階かの過程を経て、第2詩集『在りし日の歌』がまとめられたと推定されています。

原稿の清書作業は、昭和12年8月末から9月23、24日にかけて行われましたが、詩集が創元社から刊行されたのは、中也の死から半年たった昭和13年4月15日のこと。本になった『山羊の歌』を中也は見ていません。

そんな『在りし日の歌』の中から、ここで、今回の連載のテーマにしている「春」にかかわる詩を二つ読んでおきましょう。


「わが半生」と「春宵感懐」。どちらも時節は春宵。いずれにも、春のわきたつような明るさはなく、「空は晴れてても、建物には蔭があるよ、」ではじまる「早春散歩」と同じような空気が流れているように感じられます。

     わが半生

  私は随分苦労して来た。
  それがどうした苦労であつたか、
  語らうなぞとはつゆさへ思はぬ。
  またその苦労が果して価値の
  あつたものかなかつたものか、
  そんなことなぞ考へてもみぬ。

  とにかく私は苦労して来た。
  苦労して来たことであつた!
  そして、今、此処〈ここ〉、机の前の、
  自分を見出すばつかりだ。
  じつと手を出し眺めるほどの
  ことしか私は出来ないのだ。

     外〈そと〉では今宵、木の葉がそよぐ。
     はるかな気持の、春の宵だ。
     そして私は、静かに死ぬる、
     坐つたまんまで、死んでゆくのだ。

「わが半生」は、昭和11年5月の『四季』に発表されました。中也29歳。「私は随分苦労して来た」といいながらも、それまでの人生を淡々と静かに受け止めて、「それがどうした苦労であつたか、/語らうなぞとはつゆさへ思はぬ。」のです。

悩みの多かった青春に別れを告げ、「そして私は、静かに死ぬる、/坐つたまんまで、死んでゆくのだ。」と平静な気持ちで死を予感しています。

このころ幼い文也はまだ元気で、可愛い盛り。父親としての責任も身にしみていたのだろうが、ここでは「じつと手を出し眺めるほどの/ことしか私は出来ないのだ。」などと、生活感は感じられません。

つぎにあげるのは、「わが半生」と同じころ作られたと思われる「春宵感懐」という詩です。

  雨が、あがつて、風が吹く。
   雲が、流れる、月かくす。
  みなさん、今夜は、春の宵。
   なまあつたかい、風が吹く。

  なんだか、深い、溜息が、
   なんだかはるかな、幻想が、
  湧くけど、それは、掴〈つか〉めない。
   誰にも、それは、語れない。

  誰にも、それは、語れない
   ことだけれども、それこそが、
  いのちだらうぢやないですか、
   けれども、それは、示〈あ〉かせない……

  かくて、人間、ひとりびとり、
   こころで感じて、顔見合せれば
  につこり笑ふといふほどの
   ことして、一生、過ぎるんですねえ

  雨が、あがつて、風が吹く。
   雲が、流れる、月かくす。
  みなさん、今夜は、春の宵。
   なまあつたかい、風が吹く。

この詩について中村稔は『名詩鑑賞 中原中也』に、次のように記しています。

「この作品はくちずさんでたのしければそれでよいのです。しかし、この作品をたのしむためには、何らか人生の苦渋ともいうべきものを、読者が体験していることが必要でしょう。そして、中原中也が、それを道化にまぎらしているように、読者もまた、自らお道化〈どけ〉る必要があるでしょう。

道化には笑いの奥の悲しみがつきものですが、この作品の底にもやはり悲しみが流れているのです。」

*写真は、速水御舟の「春の宵」(http://czt.b.la9.jp/hayami-enbu.html から借用)

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