2017年5月7日日曜日

北村太郎「五月の朝」②

北村太郎(本名・松村文雄)は、1922(大正11)年11月17日、東京の日暮里の近く、当時の谷中村に生まれました。

父の徹は、逓信省簡易保険局の下級官吏。母の安江は長野県の安曇野出身。二人の間に生まれた四人兄弟の三男だった。長兄の敏夫は病気のため早世。次兄の英男は毎日新聞の記者を務め、双子の弟の武雄は「沖」所属の俳人として活躍しました。

かぞえ年七つだった1928(昭和3)年秋の昭和天皇の御大典、すなわち即位の礼が盛大に祝われた際に「当時の東京市電だったか玉川電車だったかの花電車」を父に手を引かれて見物に行ったのが、太郎の最初の記憶でした。

「闇のなかで、遠くからいやに明るい電車がゆっくり近づいてきて、ゆっくり去るのを、驚きながら見つめていた」といいます。


1923(大正12)年9月の関東大震災で自宅は焼失。一家は、いまの世田谷区の弦巻に引っ越します。小学生だった太郎は、まだ豊かだった自然のなかで元気いっぱい遊んでいましたが、人生で初めて虚脱感のなかに身を置くことになります。

〈一九三一年(昭和六年)夏、わたくしは小学校三年の生徒であった。その日、わたくしは新築間もない二階の六畳まで午睡したのだった。わたくしの家は世田谷・弦巻にあり、周囲は畠や原っぱが多くて、二階の家は低い天守閣のように、遠くから見えた。

たぶんトンボ釣りに疲れたのか、それとも玉川プールのひどく冷たい水で泳いでぐったりしたのだろうか、九歳のわたくしは青畳のうえで眠ってしまったのだ。数時間後、まだ日の永い夕暮れに目覚めて、わたくしは何を発見したのか。

それは、雪のふる夜の空を見あげているような虚脱感であった。わたくしはもちろん涙を流さず、しだいに夕焼け空が微妙に薄闇に変化してゆく窓をぼんやりながめていた。桃色の爪、なめらかに伸びた皮膚を持つ少年の、その夏の日の記憶は、わたくしの一生の静かな恐怖の始まりである〉(「パスカルの大きな眼」)。

1932(昭和7)年、小学3年を修了すると、現在の台東区の金竜小学校へ転校します。父のいとこが浅草で飲食店を二つもっていて、うち一軒のそば屋を譲り受けることになったのです。

浅草へと引っ越して、次第に「町っ子」へと変身していきます。路地裏でのメンコやベーゴマ遊び、紙芝居、やがて近くの映画館や芝居小屋へも足が向かうことになったのです。

1935(昭和10)年、東京府立第三商業学校に入学。国語の教科書に載っていた正岡子規の俳句や短歌に感銘し、東大国文科出身の家久甫教諭の講義に刺激を受けます。短歌や俳句、詩を読みあさり、自己流で作って投稿をはじめました。

〈振りかえってみると、一九三七年(昭和十二)年というのは、わたくしの一生の中でも格別忙しい年だったように思う。正岡子規や若山牧水に心酔して短歌づくりに精をだしたかと思うと、古本屋で詩集を買いあさり、同時に詩づくりにも熱心になった。

今氏先生の指導で知らない明治、大正期の詩人の作品をたくさん読んだりしたかと思うと、「若草」「蝋人形」などの若い詩人の投稿欄に絶えず刺戟されたりもするというあんばいだった。

朔太郎はもうそろそろ時代遅れだ情報も幼い頭にインプットされて、春山行夫、西脇順三郎なぞという名前が気にかかり始めてもいた。この年の七月七日、日中戦争が始まり、時局は穏やかでなくなったが、下町の文学少年の卵には、さして気になる動きではなかった。〉

1938(昭和13)年、雑誌「蝋人形」に短歌を投稿し、何度か特選になっています。「蝋人形」の読者のための欄で、中桐雅夫が主宰している同人誌「ルナ(のちのル・バル)」への参加を募る案内が載っていました。

その詩を読んで、「魅惑され」ていた鮎川信夫が加入していることを知っていた太郎は「こりゃすてきなチャンスだとばかり」に、作品数篇を送って申込の手続きをします。

太郎が「ル・バル」へ入ったときの同人は、編集の中桐雅夫をはじめ、鮎川、衣更着信、山川章など計17人。同人費は、月額2円でした。

親から10円ほどの小遣いをもらっていたものの「古本屋めぐりをして金を使うばかりか、生意気にタバコを吸ったり、夜な夜な喫茶店に出入りしたりしている身」には、ばかにならない出費だったようです。

さて、「ル・バル」16号に初めて太郎の作品が載りました。次にあげる「BOHEMIAN CHANSON」という詩でした。

  脚のない建築が
  虚空に乳色に睡ると
  沓い森の手風琴はもう聞えない
  やがて夕暮も
  白い翳をのこして
  消え去つてしまふ

     ★

  ああ!
  蒼い顔が崩れてゐる
  白蛾が笑つてゐる
  星座が疲れてゐる

  洋燈は莨のけむりに
  墓標のやうに息をはく

  颱風が夢に沈むとき



*写真は、御大典記念奉祝花電車

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