2017年5月30日火曜日

吉野弘「I was born 」③

 確か 英語を習い始めて間もない頃だ。

 或る夏の宵。父と一緒に寺の境内を歩いてゆくと 青い夕靄の奥から浮き出るように 白い女がこちらへやってくる。物憂げに ゆっくりと。

 女は身重らしかった。父に気兼ねをしながらも僕は女の腹から目を離さなかった。頭を下にした胎児の 柔軟なうごめきを 腹のあたりに連想し それがやがて 世に生まれ出ることの不思議に打たれていた。

 女はゆき過ぎた。

 少年の思いは飛躍しやすい。 その時 僕は<生まれる>ということが まさしく<受身>である訳を ふと諒解した。僕は興奮して父に話しかけた。
――やっぱり I was born なんだね――
父は怪訝(けげん)そうに僕の顔をのぞきこんだ。僕は繰り返した。
――I was born さ。受身形だよ。正しく言うと人間は生まれさせられるんだ。自分の意志ではないんだね――
 その時 どんな驚きで 父は息子の言葉を聞いたか。僕の表情が単に無邪気として父の眼にうつり得たか。それを察するには 僕はまだ余りに幼かった。僕にとってこの事は文法上の単純な発見に過ぎなかったのだから。


受身形(受動態)とは、能動態のように行為をするものが主語にはならず、行為を受ける対象が主語となる文の形態をいいます。

たとえば「イチローはハナコを愛している」を受身形にすると、「ハナコはイチローに愛されている」となります。

受身形は日本語ではふつう、「れる」「られる」を用いて表現します。

中学校で習ったのを思い出してみると、英語の場合の受身形は、「be動詞+過去分詞」という特別な形を取っています。「Ichiro loves Hanako.」は、受身形だと「Hanako is loved by Ichiro.」ということになるのか。

「bear(生む)」の過去分詞は「born(生まれて)」。私の手元にある辞書(研究社『新英和中辞典(第7版)』)の「born」を見ると、「元来はbearの受身形であるが、byは用いない」とあります。つまり「~によって」というような使われかたはされないということでしょうか。

「He was born at 7 in the morning.(彼は朝7時に生まれた)」、「He was born on January 7,1932.(彼は1932年1月7日生まれだ)」といった例文に続いて、「He was to [of] Italian parents.(彼はイタリア人の両親のもとに[両親から]生まれた)」とあります。

ということは、「両親が生んだ」「両親によって生まれた」と、「両親」が生むという行為の主体としてあるわけではなく、(たまたま)両親の「もとに」生まれた、授かったと考えられていることになるでしょう。

「天からの授かりもの」「神さまのおくりもの」ともいわれるように、あえて「生む」主体を探していけば「天」や「神」ということになるのだろうが、まさしく詩の中の「父」が言うように「人間は生まれさせられるんだ。自分の意志ではないんだ」。神の意志かなにかは知らないが、人間は「生まれさせられ」た被造物なのです。

ポーランド出身の言語学者アンナ・シェヴィエルスカが、世界の373の言語について行った調査によれば、典型的な受動態を持つ言語は、英語や日本語を含む全体の44%にあたる162で、残りの211の言語には見られなかったといいます。

受身の助動詞「(ら)れる」には元来、人間が意志的に行うのではないことがらを表現する「自発」の働きにあったといいます。そのため場合によっては、その働きが受身か自発かはっきりしないことも少なくありません。

日本語よりも主体やその対象をはっきりとさせる、英語という、それまで知らなかった新たな言語の世界をのぞきはじめた少年が発見した、受身形で表現される「I was born.」。

そんな感受性の鋭い少年の視線が、こちらのほうも“未知”ではあるけれども、生まれて生きている自分という存在の由来に直結していることは疑いのない、身重らしき「女の腹」をとらえて離しません。

「頭を下にした胎児の 柔軟なうごめきを 腹のあたりに連想し それがやがて 世に生まれ出ることの不思議に打たれていた」のです。

それにしても、夏の宵に「青い夕靄の奥から浮き出るように 白い女がこちらへやってくる。物憂げに ゆっくりと。」といった、「生」のありかとの遭遇を予感させる導入部分の描写はなんとも見事だと思います。

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