2017年6月30日金曜日

日夏耿之介「愛は照る日のごとし」「怕しき夜の電光体」

 きょうも『転身の頌』から、詩を二つ。

   愛は照る日のごとし

神の聖座に熟睡(うまい)するは偏寵(へんちよう)の児(うなゐ) われ也
人畜(もの)ありて許多(ここだく)に寒夜(かんや)を叫ぶ
まことその叫喚(さけび)を聴くは我が身のみ
心かなしく枯坐(こざ)しつれば
狂譟(をめき)は しばし金色の愛なりけるを
あはれ 万有(すべてのもの)の稟性に光(みひかり)あれ

野(や)に躡詰小止(ふみたけびをや)みなけれど
雄叫(をたけ)ぶは夫(か)の力なき山野の人畜(にんちく)のむれにのみ歟(か)
その吠嘷(さけび) かならず惨(いた)ましき哉

わが愛は照る日のごとし
夜は きはみなく寒く
暗黮(やみ)にして人畜恒に哀嗷(かなしびな)けども
ただ道(い)はむのみ
その惕号昧爽(おらびよあけ)とともに消え逝くべしと

   ◇

「偏寵」は、特別にかわいがること、非常に気に入られること。

「許多」はふつうは、「女御・更衣あまたさぶらひけるなかに(源氏 ・桐壺)」のように「あまた」と呼んで、たくさん、多数、非常に、といった意です。

「躡」には、足音を忍ばせる、追跡する、尾行する、「惕」には、危険や誤ったことに対して心理的に警戒する、用心するといった意味があるようです。

「惕号昧爽」はよくわかりませんが、「惕」はつつしむ、「号」は叫ぶ、「昧爽」は、明け方のほの暗いときの意味があります。


   怕しき夜の電光体

電光 宵夜(よる)を光れりけり
色碧(あを)くいと凄惨(すさま)じきその放射熱哉
電光を凝視(みつ)めなば
生命(いのち)は石灰石のやうに凝固しなむ
傷哀の涙多(なんだ)く昊天(そら)に盈(み)ち満ちわたり
愛は燃え下りて白蠟(びやくらふ)のごとく溶解失(とけう)せなむ

光より放れしたまへ 否 否
光たらしめたまへ わが神よ

   ◇

「怕」の音読みは、ハ、ハク、訓読みは、おそ(れる)。おそれる、心配する、の意味があります。

「盈」には、満ちるという意のほか、だぶつく、余る、余分といった意味合いもあります。

2017年6月29日木曜日

日夏耿之介「魂は音楽の上に 」「心望」

 きょうも『転身の頌』から、詩を二つ読みます。

   魂は音楽の上に

魂(たましひ)は音楽の上に
狂ひ死したる女児(をみなご)の黒瞳(ひとみ)の追憶(おもひで)の契点(さなか)に
暛(ああ) わが生(せい)悉く色濃くもきらびやかに映れりき
わが怡悦(よろこび)はひそやかに茂林(もりん)の罅隙(ひまびま)を漫歩(そぞろあ)りく也

心の吐息(といき)を愛でいつくしめ
烏呼(ああ) わが七情(じやう)をばかの積雲の上に閃きいづる
賢き金星に鉤掛(かぎか)け
肉身(にくしん)は四月の夜の月光の香気中(にほひもなか)に溶解(とけ)しめよ

   ◇

「罅隙」は、通常「かげき」「こげき」と呼んで、氷河や雪渓の割れ目、クレバス、裂け目、割れ目、亀裂などの意味で用いられます。

「七情」は、7種の感情。「礼記(らいき)」では、喜、怒、哀、懼(く)、愛、悪、欲。仏教では、喜、怒、哀、楽、愛、悪(お)、欲をいいます。


   心望

あまたの泪 心ひとつにて
白日
神殿に額(ぬかづ)き祈る

こころ沈潜(しづ)み
肉は疼(いた)けれど
かく一心に瞑目跪坐(めいもくきざ)し礼拝する斯(こ)の我(み)也

嘻(ああ) 春の夜の朝ぼらけに
全き生活(いとなみ)の銀波だちいとたからかに唱(うたうた)ひ
果敢(いさま)しき揚雲雀ら来啼きそめて
若葉ども角(つの)ぐみ萌えいでては
あめ色の畦道(あぜみち)だも 泪にいとど霑(しめ)りぬる
こころは裸身 潔斎し
神よ 爾(おんみ)にぬかづきて
将(は)た なにものをも瞥(み)ず 聴かざる也

烏呼(ああ) 人間われらの泪をして
わが世を氾濫せしめたまへ
ねがはくは いまの時をして
奇蹟の上代(むかし)に復帰(かへら)しめたまへかし

我身をして さながら一本(ひともと)の艸本(くさだち)の根に復帰(かへら)しめたまへ

   ◇

「跪坐」は、ひざまずくこと。「仏間にはいって行き、跪坐合掌して念仏を称えたのだから」(里見弴「安城家の兄弟」)

「揚雲雀」=写真、wiki=は、空高く舞い上がってさえずっているヒバリ。繁殖期が始まるとオスが囀りながら高く上がり、縄張り宣言の行動を取ります。

「潔斎」は、神仏に仕えるため、酒肉や男女の交わりを避け、けがれた物に触れず心身を清らかにしておくこと。ものいみ。

2017年6月28日水曜日

日夏耿之介「吐息せよ」「ある宵の祈願の一齣」

 きょうも『転身の頌』から、詩を二つ読みます。

   吐息せよ

吐息(といき)せよ
巨いなる靭(つよ)き怡悦(よろこび)にて
幺(ちひ)さき悲哀(かなしび)の坩堝(るつぼ)のなかふかく
おんみの身(かたち)しつらへ
祭壇のもと 跪坐礼拝(きざらいはい)して
あらゆる爾(おんみ)とともどもに吐息せよ

   ◇

「吐息」は、ふつう、落胆したり緊張がゆるんだりしたときに思わず出る息のことをいいます。長め、深めの溜め息に対し、僅かで浅めの印象を受けます。古代ギリシャで「息」は「プシュケー」と言いましたが、この語はやがて命、魂、心まで指すようになりました。日本語でも「息」から「いきる(生きる)」という表現が生まれたようです。

「跪坐礼拝」は、神仏を敬って、ひざまずいてすわり拝むことです。


   ある宵の祈願の一齣

一人(にん)をして生存(いき)しめよ
千人みな死しはてんも
万象ことごとく蠢動(うご)かざらんも あはれ
あはれ かの高山(たかやま)に登攀(よぢのぼ)り
沈みゆく落日の悲壮に心かなしみつつも
内なる神の稜威(みいづ)を頌へむかな
一人をして生存しめよ

   ◇

「齣」(こま)は、切れ目の意。写真や映画で、フィルム上に記録されている枠取られた一画面、小説、戯曲などの一場面のことです。

「稜威」は、「りょうい」または「みいつ」と読んで、天子、天皇の威光の意。また「いつ (厳、稜威)」として、神聖である、斎み清められていること、勢いの激しいことなどを表します。『古事記』に 「稜威の男建(おたけび)踏み建(たけ)びて」とあります。

2017年6月27日火曜日

日夏耿之介「心を析け渙らすなかれ 」「黙禱」

 きょうも『転身の頌』から、詩を二つ。

   心を析け渙らすなかれ

心を析(わ)け渙(ち)らすなかれ
秋の日の林間に滴(したたり)落(おつ)る小泉の水沫(みなわ)を矚(なが)めよ
細微(すくな)い水量(みづかさ)は恒に神の黒瞳(ひとみ)のやうに澄み勝(まさ)る
きみが持てる古瓶(こべい)に注心(こころし)て夙(はや)く載(み)たせよ
脣(くち)うるほひ その心性浄化(こころきよま)りしか
まなこを矯(あ)げよ
海に消えゆく白帆(しろきほ)の行衛について知るか
瑠璃色の半霄(なかぞら)に 心三日月のやうに航しゆけど

   ◇

「析」にはこまかく分かつ、こみ入ったものを解きほぐす意、「渙」には水が広がり流れる、氷が溶けて水が広がるさまといた意味があります。

「半霄」は、「はんしょう」とも読み、中天、中空、半空、空の中ほどのことです。


   黙禱

黄色き地平のかなた――世界の隣室より
異相の幽人(ひと)窺へる
人人 俯伏せよ
ことごとく擲(なげう)て 悉皆(すべ)てみな拒け斥(き)れ
草木(さうもく)のひと葉ひと葉の真実(まこと)の道(ことのは)を彳み聴け
威(ちから)ある真実の道(ことば)は命運の将来せる二の世界か
爾(おんみ)はその不可思議なる霊(たましひ)の所在につき困(くるし)むならむ
およそ人間生の彼方につき臆(おも)ひ兜(まど)ふならむ
威ある道(ことば)の中有(そら)のかなたより生れいでて
われらに示唆(さと)すは二の世界也
神のみ姿 所現(あらは)れかつ沈潜(しづみ)ゆくとき
人間(われら)のあまた 枯れかつ萌え出(いづ)る也
神よ 爾の威(ちから)ある道(ことば)を我(ひと)に永劫ならしめたまへかし
稚淳(ちじゆん)なる草木の葉は 嵐を謙抑俯伏(けんよくふふく)しけり
我(ひと)かぎりなく駛(ゆ)きまどへるか
夙(と)く驕れる知見の触覚を亡(なみ)したまへかし
烏乎(ああ) 神よ われら久しくその道(ことば)を聆(き)く
われら頑迷(かたくな)の存在(ひとみな)をして
艸や木の一葉(ひとは)一葩(ひとひら)のごとく在らしめたまへかし

   ◇

「黙禱」は、古くは中国・唐の韓愈の詩にみられる言葉。国内で黙祷が浸透するようになったのは、1923(大正12)年9月1日に起こった関東大震災の1年後の慰霊祭で、地震発生時刻の午前11時58分にあわせて1分間の黙祷をする催しが行われてからのようです。

2017年6月26日月曜日

日夏耿之介「ある刹那に諷へる歌 」「白き雪の上の大反射」

きょうは二つの詩を読みます。

   ある刹那に諷へる歌

清潔(きよ)き身(からだ) 世界大にふくらみて
心 おともなく力籠めて地球を押す
騒音なく 更改なく 乖離なし
爾(おんみ) 素樸(そぼく)なる地球よ
臥(ふ)し転(まろ)び
一瞬の後爾は聴かむ
わが体内より鳴りひびく微かなる時圭(とけい)の音を

   ◇

「刹那」(せつな)は、仏教の時間における最小の単位。その長さについては諸説あるようですが、一説には、指をひとはじき(弾指)する時間が、65刹那にあたると言われています。

人間の意識は、一刹那の間に生成消滅を繰り返す心の相続運動である、と説かれることもあるとか。

「諷」の読みは「フウ」。訓読みはよくわかりませんが、「節をつけてとなえる」という意から「とな」へる、と読んでおくことにします。



   白き雪の上の大反射

厳(いかめ)しきとどろきと
鋭利なるその肯定と
噫(ああ) 笑み傾けし太陽の
真白き雪(みゆき)の上の大反射
万有(すべてのもの)銀(しろがね)に甦り 上天(じやうてん)碧(あを)く沈着す

何者かあり かく仮装せしめしぞや
愕ろきて自(おのづか)ら魂の秘奥(おくが)を訪へば
震慴(しんせふ)して 羞明(しうめい)せり矣

何処(いづく)に混色ありや 広く高く大傾斜面高唱するを
喜悦(よろこび)にうち坐乗(のり)てわれ
瞑目し 散策すれば
最黝(いとくろ)き物象の最幺(いとちひさ)き銀色世界の存在哉

さらば 純一鋭雋(えいしゆん)の爾(なんぢ) 世界
臨終(いまは)の心態(こころ)もて 爾を頌がむ也

   ◇

「震慴」は、ふるえ恐れる、ふるえおののくこと。「羞明」は、強い光を受けたとき、不快感や眼の痛みを生じることをいいます。

雪は入ってきた太陽光をほとんど吸収することなく、散乱光として送り出します。すべての波長を反射したときに見えるのが白。それで、雪は白く見えます。

2017年6月25日日曜日

日夏耿之介「海の市民」

   海の市民

透明なれば
こころは 空(くう)に泛(うか)べり
日輪(ひ)は照り波唱(うた)ひ 緑明の虚空(そら)澄みわたりぬ
ああ 肉身(み)はかろく
智慧(ちえ)はおもきかな
吹きおこる疾風を截断して
香気(にほひ)高き積雲の丘に翔ばむ

大地(ち)はつめたく黙(もだ)し寂慮(しづも)り
ここに 聖火(ひ)の秘密を封ず
喧擾(どよもし)は都市(みやこ)を蕩揺(ゆすぶ)り
人人(ひとびと)かくもその生存を咆吼するか
こころは日光(ひかり)のごとく
依的児(ええてる)の洪波にまたがり
かく翔(と)びゆくはいと快き福祉かな

「寂慮」(せきりょ)は、しんみりと静かに思うこと、寂念。

あはれ 渚に臥しまろぶ大魚のむれを視たまひしか
めいめいの白沙(びやくさ)は陽の天恵(めぐみ)を獲(か)ちえて
暖かく亡びし有情(もの)を裛(つつ)みけり
海の市民ほろびしか
夥(おびただ)しき幸の獲物を購(え)ま欲しと集ひ匝る人人よ
悲しき沖の弔音をこのとき聴く歟(か)

『久遠』の呼吸(いぶき) 神の寵児(めぐしご)
わが赴(ゆ)く丘の露けき朝(あした)をともにともに歌謳(うた)はなむ

あはれ 海の異族のほほゑみを覩(み)たまひしか

赴(ゆ)かむかな
悲哀(かなしみ)は涙(なんだ)とともに涓(なが)れたり
心肉(み)は浄(きよ)くかろく 智慧はおもきかな
落日(ひ)の謝しゆくかなた 積雲の丘へ
風を截(き)り 雲かきわけて忙(いそ)がなむ

久遠の生命(いのち)の僚友(とも) 海の市民


「寂慮」(けきりょ)は、しんみりと静かに思うこと、寂念。

「依的児(エーテル)」は、化学では、有機化合物のひとつ。古来天界の物質として考えられ「天に帰ろうとしている物質」と思われていたこともあるそうです。19世紀以前の物理学の世界では「宇宙はエーテルで満たされている」とされ、光などが空間を伝わる際の媒質となっていると考えられていました。それを否定したアインシュタインは、エーテルを物質を表す言葉とせずに、真空であっても重力場や電磁場が存在することから、こうした空間をエーテルと呼ぶことを提唱しました。

「洪波」は、おおなみ、洪濤(こうとう)。

「裛」は、音読みは、オウ、ヨウ、ユウなどで、訓読みはだと「ふくろ」。

「匝」の音読みはソウ、訓読みは、めぐる。周囲をぐるりとひと回りする、という意味があります。基本字は「帀」で、「匝」は俗字のようです。

「覩」は、見る、でも、目睹、じかに見る、という意味があるようです。

2017年6月24日土曜日

日夏耿之介「雙手は神の聖膝の上に」「空気上層」

きょうは『転身の頌』から「雙手は神の聖膝の上に」と「空気上層」の二つの詩です。

   雙手は神の聖膝の上に

雙手をあげよ
こころゆくまで
脈搏途絶えて
火(も)ゆる血行の ことごとく萎えはてむまで

天心たかく――眶(まかぶち)ひたと瞑(と)ぢて――
気澄み
風も死したり
ああ 善良(よ)き日かな

雙手はわが神の聖膝(みひざ)の上にあらむ

   ◇

「雙手」(そうしゅ)は、 両方の手、両手、もろて。「雙手を挙げて賛成する」などと使います。片手は、隻手(せきしゅ)。

「眶」は、目のふち、まぶち、まなかぶら、「小男の眶を痛く突きたりければ」〈今昔・29・30〉



   空気上層

空気上層を翔(かけ)る
人よ
衆庶(なんだち)なにものぞ
翼 烈風を截断(せつだん)して
手を拡げ 霊(たましひ) 陽光を吸ふ
点在するは弱少幺微(えうび)体。
普天にうごく神のおもみをわれ感ず

   ◇

「幺微」の「幺」(ヨウ)は、もともと糸束(いとたば)を描いた象形文字。絲(シ)を構成する糸は糸束に紐を結んだかたちですが、幺は紐の結びがない状態。糸から下部の小を省いた幺となり、糸たば、細い糸、糸の先、さらには、ちいさい、ほそい、かすかなものを表します。

そして、似た意の「微」と結びついた「幺微」も、小さい、細かいといった意味。ただ、「弱少幺微」というように、ここまで微弱なイメージの漢字を連なると、その細かさにも極めつくされたものの感があります。

*写真はwikipediaから。

2017年6月23日金曜日

日夏耿之介「快活なVILLA」

    快活なVILLA

快活なわがVILLAの四檐(めぐり)に雨降る
新緑の初春の朝(あした)也
おもたき草木の睡眠(ねむり)も新鮮に夢めざめ
大地は 橙黄色(とうくわうしよく)に小唄(さうた)へり
力ある律動の快感哉
かかるとき
都市(みやこ)よりの少人(せうじん)らが
紅きBALCONにゐならび歌(うたうた)へるを听(き)けよかし
野の鳥は口噤(くちつぐ)みはて
性急の筧(かけひ)もいまは呼吸(いき)を呑みぬ
少人(せうじん)らよ
爾ら 無念(ぶねん) 銀声するとき
柔らかきその小胸(こむね)ふかく
滴り落つる透明の泪(なんだ)の奥ぶかく
かの所有者を幻に矚(み)む


きょうの詩には、フランス語が二つ。「VILLA」は、別荘、邸宅。「BALCON」は、バルコニー、バルコニーの手すりのことです。

「檐」は、訓読みでは、のき。屋根の下の、建物の外壁から張り出した部分。庇(ひさし)の意味で用いることもあります。

「噤」は、訓では「つく(ぶ)」と読んで、口をとじる、だまる、つぐむこと。

「筧」は、懸け樋。地上にかけ渡して水を導く、竹や木の樋(とい)。かけどい。

「銀」は、美しい白い光沢を放ち、月と関連づけて語られることも多いのですが、「銀声」は、そんな混じりけのない鋭い色彩を、「少人」すなわち子どもの叫びの喩えに用いているのでしょうか。

「矚」の音読みは、ショク、ソク。「みる」とくに、「注視する」意のようです。

2017年6月22日木曜日

日夏耿之介「非力は褻瀆也」

   非力は褻瀆也

本然のもの 身自(みづから)のもの
万法(すべて)を白金の針金もて縛(いまし)めるよかし
霊性(たましひ)の秘奥(おくが)より そこに泉のごとく
湧きいづるなにものかあり
午後一時の小雨に小濡(さぬ)れて
青春(わか)き海人(あま)も白堤(はくてい)に漁(すな)どれりけり
舞ひ騰(のぼ)る煤煙の力は大海ふかく潜(い)り
海鷗(かもめ)は檣(メイン・マスト)の上に回春の賢き夢を見む
此世界に於て われ
大地に栄えわたる神のひかりと
その孕(はら)みたる暗緑の陰影とを相(み)る
また 工場の大鉄槌(だいてつつゐ)の轟音(とどろき)と
その姉妹なる自動艇(じどうてい)のエンジンとを聴く
なにゆゑに かく爾(なんぢ)は 泪ぐめる
若く かよわき 光なき庶人(やから)よ
烏乎(ああ) 非力は褻瀆也



「褻瀆」は、「せっとく」と読み、尊いものをけがすこと、また、けがれることを意味します。きょうは、この漢字が入った題の詩です。力のないことはけがれることである、とはどういうことなのでしょう。

「本然」の読みは「ほんぜん」あるいは「ほんねん」でしょうか。自然のままで人の手が加わっていないこと。もともとの姿であること。

「白堤」は、中国の浙江省の省都、杭州(ハンチョウ)にある、西湖=写真、wiki=の人工堤防。

東の断橋から錦帯橋を通って西の平湖秋月まで、長さ1キロにわたって西湖を東西に分断する形で造られました。

古くは「白沙堤」と呼ばれ、宋時代には「孤山路」とも呼ばれました。堤防の上には外側に桃、内側に柳が植えられ、春になると桃の花の薄紅色と柳の新緑とのコントラストが美しいことで有名です。

唐代の詩人、白居易が杭州の長官だったとき、西湖の開拓と大規模な水利工事を行ったことから、後世「白堤」と呼ばれるようになったそうです。

「檣」は、音読みは「ショウ」で、訓は「ほばしら」、すなわちマストです。

「鉄槌」は、大形のかなづち、ハンマー。「鉄槌を下す」などと、厳しい命令、制裁の喩えにも使われます。



「自動艇」は、モーターボートのことです。

2017年6月21日水曜日

日夏耿之介「喜悦は神に」

 きょうも、ずいぶんと難しい漢字がつぎつぎと出てくる詩です。

   喜悦は神に

頑迷(かたくな)なる人の子 われに
冀くは白金(はくきん)の手斧を賜(た)びたまへ
固牢(かた)く鎧へるすべての性を脱離(ぬけい)でて
われは遙(とほ)き原始(いにしへ)の故関(こくわん)に復帰(かへ)らなむ
ああ 日輪(ひ)かがやき 雑草(くさ)の葉さざめき
渚に波の美宴(うたげ)あれど
なにものの跫音(あのと)ぞ
逝けるわが寵児(めぐしご) 白薔薇の愁訴を齎(もたら)し来るは
かつて磔刑(たくけい)の嬰児(みどりご)のごとくも
われは響音(ひびき)ある泪もて雙瞳(ひとみ)を洒淅(あら)ひたりき
視よ 当来の仲夏の艶楽の幻像の契点(さなか)に
細微(ささや)かなる蠕蟲(はむし)のかくも産卵せるを
燃え昌(さか)る巨巌は蠢動(うごめ)きいで
蒼白(あをざ)めし金鳳花(きんぽうげ)の一房もどよめきたり
ああ 八方の地平をして力あらしめよ
日輪(ひ)は さだかに照りわたり
波もまた銀声を点(てん)ず

喜悦(よろこび)は神に



「冀く」(こひねがはく)は、頼み事や願い事をするときなどに使う、なにとぞ、お願いだから。

「故関」は、夷狄の侵入から都を防衛するために置かれたむかしの関所のことでしょうか。

日本では、646年の大化改新の詔に「斥候(うかみ)、防人とともに関塞(せきそこ)を置け」とあるのによって、伊勢(三重県)鈴鹿関、美濃(岐阜県)不破関、越前(福井県)愛発(あらち)関の三つの関所が設けられました。

平時には国司が警備をしますが、反乱、譲位、天皇・上皇・皇后の崩御、摂政・関白の死去に際しては、朝廷は固関使を派遣して固めさせました。

789年に廃止されてからは、愛発関が逢坂関にかわって三故関といわれたそうです。

「白薔薇の愁訴」つまりバラがつらさを嘆き訴え、「嬰児」つまり幼児は「磔刑」になるというのです。

「蠕蟲」(ぜんちゅう)は、ミミズ、ヒルなど、体が細長く、蠕動によって運動する動物の俗称です。

「金鳳花」というと卵型の愛らしい黄色い花が目に浮かびますが、それが「蒼」ざめている。凝りすぎの感すらある独特の漢字使用が、そうした雰囲気や色彩感を醸し出すのに大きな役割を担っているようにも思われます。

2017年6月20日火曜日

日夏耿之介「Jouissance」

 きょうの『転身の頌』の詩は「Jouissance」。このフランス語の題は、手元の仏和辞典によれば、楽しみ、享楽、性的な喜び、快感、享受、享有、所有などの意味だそうです。

   Jouissance

われ讃美す
たしかなる自(みずから)のもちものについて
われは 最初にもつとも不可思議なる青春也
われは わが神のいと可憐なる侍童也
われは 嵐吹くがやうに 神よ 爾をおもひ
万物(もの)なべて大海のごとくに抱擁(いだ)きしめむ
われは わが生のかぎりなき持久性に感ず

わが力は 把手(はしゆ)なき玻璃(はり)の手斧にして
わが智は 煖炉の上に舞踏する黄蠟製傀儡(わうらふせいくわいらい)也
わが肉身は 街頭に渦巻く漏電にして
わが業績は 暴風のあしたの砂丘のごとく也
物欲をしてそれ自彊(みづから)にてあらしめよ

われは 孤(ひと)りなり
われは 青春(わか)く
われは 繊弱(かよわ)し
然れども われは 所有す
所有は五月の曲江(きよくかう)のごとく照りかがやき
孟夏の日輪のごとく撫愛(いつく)しむ


「把手」は、手に握る部分、取っ手。「玻璃」は、水晶あるいは、ガラスの異称。

「黄蠟」は、蜜蜂から分泌され、蜜蜂の巣の主成分をなす蜜蝋=写真、wiki=のこと。巣を加熱圧搾して採取します。主成分はパルミチン酸ミリシルなどのエステルで、化粧品やつや出し剤などの原料となります。

「傀儡」 (かいらい)は、操り人形、くぐつ。

自分の力は、取っ手のないガラスの手斧で、その智は、暖炉の上に舞う蜜蝋で作られた操り人形だというのです。

「自彊」はふつう「じきょう」と読み、みずから努め励むこと。「ひたすら自彊して倦(う)むことを知らず」

「曲江」は、唐の首都・長安の東南にある大池で、玄宗皇帝以来その周りは大歓楽街になっていたそうです。

杜甫は、宰相人事の発言に関して粛宗帝の怒りを買い、758年に地方へ追いやられました。その直前に、曲江を題材とした2つの漢詩を作りました。その1つから、70歳を「古希」と呼ぶようになったとか。



「孟夏」は、夏の初め、初夏、または陰暦4月の異称。

2017年6月19日月曜日

日夏耿之介「かかるとき我生く」

きょうは、「宗教」の次に出てくる、5行だけの短い詩「かかるとき我生く」です。

   かかるとき我生く

大気(き) 澄(す)み 蒼穹(そら)晴れ 野禽(とり)は来啼(な)けり
青き馬 流れに憩(いこ)ひ彳(た)ち
繊弱(かぼそ)き草(くさ)のひと葉ひと葉 日光(ひざし)に喘(あへ)ぎ
『今(いま)』の時晷(とけい)はあらく吐息(といき)す
かかるとき我(われ) 生(い)く


「彳」は、字音は「テキ」「チャク」、訓読みは「たたずむ」。「小步なり。人の脛の三屬相ひ連なるに象るなり」(説文解字)、「行は十字路の姿を描いた象形文字。十字路の左半分だけを描いたのが彳印」(漢字源)などとあります。「ついと前に進み出る」「少しずつ歩く」「佇む」といった意味のようです。

「時晷」の「晷」は、「咎(とが)める」などで使う「咎(キュウ、コウ)」のうえに「日」を載せた漢字です。「時計」ではなく「時晷」なのです。

『学研漢和大字典』によると「晷」の読みは「キ」。意味はーー

①ひかげ 地上にうつった柱のかげ。転じて広く、日光によって生じるかげのこと。「日晷(ニッキ)」(日かげ、日時計)、「晷刻(キコク)」(時刻、とき)

②ひどけい 影の長さで時をはかるとけい。▽昔、八尺(または十尺)の柱を地上にたて、その影の最長の日を冬至、最短の日を夏至と定めた。

③はかる 時をはかるまた解字として、咎は、人がつまずいて進めないこと。さしつかえ、とがの意に用いる。晷は「日+咎(つかえる、くぎる)」の会意文字で、日のかげによって時をくぎること。



とありました。こうして見てくると、「時計」ではなく「時晷」でなくては、この詩はしっくりしないことがわかってきます。

2017年6月18日日曜日

日夏耿之介『転身の頌』から「宗教」

これから信州・飯田出身の詩人、日夏耿之介(1890-1971)の『転身の頌』の詩作品を読んでいきます。ですが、これまで読んだ「序」でもわかるように、耿之介の作品は、ざっと読むというだけでも一筋縄には行きません。

それは、私の教養が乏しいから、というだけでもなさそうです。耿之介を非常に高く評価してした清岡卓行ですら、『転身の頌』と同じ年に出版された萩原朔太郎の第一詩集『月に吠える』に「溺れているような状態であった」とき目にした『転身の頌』の詩について、次のように記しています。

「日夏耿之介の詩における、むずかしい漢字の使用、漢字の音訓がときどき特異であること、あるいは、文語で書かれているにしろ、文語的な口語で書かれているにしろ、言葉のリズムが多くの場合、最初の接触においては流麗ではないと感じられること、こうしたことなどにいくらか辟易したのであった」

それどころか私などには、耿之介の詩をワープロで打つというだけでも「辟易」させられるときがあります。ですが、苦労して漢字変換をしてみると、そこに言葉というものの幅広さ、奥深さが垣間見られたような、思わぬ発見にワクワク感を覚えることも少なくありません。

というわけで、いまの私に耿之介の詩をきちんと読み解く能力は、とてもありませんが、それを書き写して眺めてみるだけでも十分に楽しめる気がしています。

詳しい読みは別の機会にゆずり、これからしばらくの間、朔太郎の『月に吠える』と同じ年に出た、こちらもまた日本近代詩にとっての記念碑的な詩集『転身の頌』の全詩をざっと眺めてみることにします。きょうは、その冒頭の「宗教」です。


   宗教

孟春(はる) 朝(あさ)まだき
雨後(うご)のあした
ーー善良の「人の子」ら咸(みな)睡るーー
雑木林(ざふぼくりん)に擾(ささ)げる胸赤きROBINを矚(み)しか
心かなしみかぎりなく
大地に耳(みみ)ふせ
忌忌(ゆゆ)しき泪(なみだ)の脈拍(みゃくはく)を心に聴きて
泉のごとくに笑へる也
心ーーなんの歓喜(くわんき)ぞーー純白不二(じゅんぱくふじ)にして
杳かなる神に呼吸(いき)すれば
地は息忙(いきせは)しくわが瓦斯体を吸収(きふしふ)せむとす
かかるとき
水枝(みづえ)に来啼く野の禽(とり)のさけびを聴け
翼(つばさ)あるものは 歌(うた)うたへる也

心さびし
乱声(らんざう)の悲しき禽(とり)よ
おんみら亦ともに呼吸(いき)するや
烏乎(ああ) 地は萌えいづるもろもろの陰影(かげ)を察よ
春天(はる)は大地(たいち)とともに溶解(とけ)さりぬ

この呼吸を悟(し)る耶(か)

   ◇

詩の中の「ROBIN」は「Robin redbreast」の略で、胸の毛がだいだい色をしているコマドリ=写真、wiki=のことです。

2017年6月17日土曜日

日夏耿之介『転身の頌』序⑦

 きょうは『転身の頌』序の「十一」から、最後の「十三」までです。

十一

本集は七章に分れてゐるが、自分の心性を跡づけるものは、『古風な月』を第一とし『羞明』と、『黙禱』を経て『転身』に及ぶ。

『古風な月』は、内なるものが、未だ覚めなかつた稚醇時代の追憶の片身である。

外生の重積に圧せられて、歔欷と悲鳴と憤激とを継続しながら、尚最も静謐な万有の固有表情の芸術上内在美に憧れた一種偏失の情調であつた。

此の月光惝怳者は、単なる羅漫底格としては余りに古典的な――古雅、温籍、寂静、冷艶の様式美――歪んだ、曲つた、朧銀の燻つた光の心を所有してゐた。

古風な月の光は病弱な心身を照す。

稚き心は、今目覚めようとする孩子のやうに、明るみに眼をしぼしぼさせて、じつと心の海に波打つ声を聴いてゐる。

外生の襲撃にあへば、貝類のやうに忙しく蓋をしてしまふのであるが開かないでは止まない勢力に押し出されて、またおづおづと小心の瞳を瞠かむとする。

かすかに指し込む月夜の世界に躍り狂ふ己が心の化怪の姿に自づと魅惑せられて、次第に薄ら明るむ昧爽を苛立たしく誇らしく、心待ちに待つてゐた。

十二

『羞明』は来た。病弱の身と怯懦の心が欣求する楽欲の世界に吾れから闖入して絶望の自己狂歓が開かれた。

官能の理想主義者ガブリエエレ・ダヌンチヨに傾倒した十八歳より二十三歳に及ぶ数年間は、青春の血潮の変形である。

柔かい、脆い、そこはかとなくおぼろめく情趣から沸き上つた気軽な思想に狂ひわめいてゐたので、本性の肉体上脆弱に眼を閉ぢ、感覚の悦楽に只々心の触覚を指し向けてゐた。

されば、官能の対象に身を浴びても、快楽としてよりは寧ろ雙端の力の軋めきから生れる痛苦としてのみより多く残つた。

自ら肯定する歓楽の論理と実際とが余りに相抗の激しいものであるに愕き乍ら、他に執心の何ものをも獲得する術を自ら考慮しない為、苦笑して尚惰性的に焦燥の月日を過した。

享楽は自分にとつて多く概念的に終始した。

病が進み、血潮が衰へた時、わが父は狂者として爾後三年間、わが母と、兄弟との専念の看護により、生ける屍を照る日の下に横たへた。

自分の心の羞明は此の時赤道下を航下した。何者をも斥けた自分は殉情的に何者をも容れ、何者にも縋らんとした。

『黙禱』につづく、『転身』の時が来る。

『生涯には顔から火の出るやうな失敗の五六は誰にもあるもの』
 と世慣れたモンテイヌが著書に於て自分に教へた言葉にたより、狂熱の夢の間を過ぎ来つた自分はすべてを恥かしい懺悔に埋める。

十三

心緒の沈潜に伴れてスピノザが汎神論の万有観を予は凝視した。また、密林の水枝に神の顔を眺め、濁江の底に神の声をききかつ怕れた、稚き神観の経験者の凡て然るが如くに、予は朝祷し昼祷し、夜更けて尚黙禱静思した。

予の肉身は重き空気の中心から瓦斯体の如くに浮び出でた。触目するものは悉く皆回転しはじめた。遠方に叫ぶ野獣の姿を見た。青空の中に散布された星群を見た。

月光惝悦者は日輪の羞明を経て、カアライルが所謂久遠転身Perpetual Metamorphosesの星の瞬きを幻惑し、かつ祈り、かつ思ひ、読書とVisionとの閑寂な微笑の月日を躊躇せずに受け容れた。

策迷の触手は、なほ不断にあらゆる十方の物象を指さす。謬り肥え太つた擬文化の酸敗として今次の世界戦役が開かれた。此の文化。文化の断滅即ち人類の永遠――此の撞着せる命題に威嚇せらるる現代文化。

1917年2月22日誕辰 鎌倉 日夏耿之介


「十一」に出てくる「羅曼底格」。漱石の友人で『吾輩は猫である』に登場する美学者・迷亭のモデルとされる大塚保治の論文「ロマンチックを論じて我邦文芸の現況に及ぶ」(1902年)の別タイトルは、「羅曼底格論」となっています。

「孩子」(がいし)は、中国語で子供のこと。「昧爽」(まいそう)は、明け方のほの暗い時を指します。

「十二」の「ガブリエエレ・ダヌンチヨ」(Gabriele D'Annunzio、1863-1938)=写真、wiki=は、イタリアの詩人、作家、劇作家。ファシスト運動の先駆的な政治的活動を行ったことで知られています。日本では、三島由紀夫も、大きな影響を受けたようです。

「享楽は自分にとつて多く概念的に終始した」という一文は、耿之介をしる一つのヒントになるかもしれません。

「羞明」(しゅうめい)は英語でphotophobia。医学的には、強い光を受けたときに、不快感や眼の痛みなどを生じることで眼や神経の疾患が疑われます。鴎外の「青年」に「鈍い頭痛がしていて、目に羞明を感じる」とあります。

「モンテイヌ」は、16世紀ルネサンス期のフランスを代表するモラリスト、ミシェル・エケム・ド・モンテーニュ(Michel Eyquem de Montaigne、1533~1592)。「著書」というのは、主著の『エセー(Essais、随想録)』でしょうか。

「十三」の「スピノザ」(Baruch De Spinoza、1632-1677)は、オランダの哲学者、神学者。デカルトやライプニッツとならぶ合理主義哲学者として知られ、ドイツ観念論やフランス現代思想へも大きな影響を与えました。「汎神論」は、すべてのものや概念、法則が神の顕現であり神性を持つ、あるいは神そのものとみる思想、世界観のことです。



「カアライル」(Thomas Carlyle、 1795-1881)は、19世紀イギリスの歴史家・評論家。ヴィクトリア朝時代を代表する言論人であった。代表作に、『英雄崇拝論』、『フランス革命史』、『オリバー・クロムウェル』、『衣装哲学』など。神、預言者、詩人、帝王など「世界の歴史は英雄によって作られる」と主張したことで知られています。

2017年6月16日金曜日

日夏耿之介『転身の頌』序⑥

 きょうは『転身の頌』序の「八」から「十」です。



古代波斯白毛道衣派(スーフヰズム)哲人の一人が、たまたまの法悦に陥つた際、『われは神なり』と称えへ、天界の極秘を悉く其の徒弟等に伝へた。

事は数回反復された。一人の徒弟がある日の恍惚から覚めた師にこれを告げた。

哲人は面色を変へて愕き、且つ徒弟の情を謝し、さて『かかる事が将来再び繰り返されたならば、直ちにこれで己れを刺してくれ』と一振の短刀を手渡した。

翌日、師はまた法悦に入つて天界の秘を伝へ初めた。徒弟は矢庭に飛び掛かつて師の咽喉を刺した。

此の時、短刀は鉄板に当つたやうに撥ね返つて、徒弟の咽喉深く突き刺つた。

法悦は神の意志である。個体は選ばれた神子である。人力以上の処に超人力が在る。天才は神から下つたか。人から上つたか。



『まことの詩は、詩人でなくて詩人其のものである。』われらは詩の透明な光を、内なる世界より仮象世界へ、抽象より具象へ軈て紙上に捕獲せむとする慾望に捉はれる。このとき言葉が生れる。

言葉は仮りの媒介者であるが、内なる世界に交渉の度合深ければ深いだけ言葉を愛籠する情致が深くなる。言葉は、それに泥みすぎることのない程度で専念に磨かねばならぬ。

心性史の金鉱から掘り出された言葉の粗金(あらがね)は、磨くに従つて燦然の光を放つ、此の時自づから言葉は詩興の壺に嵌まる。言葉を絶対に駆使するには、彼等をその伝統の羈絆から切り放たねばならぬ。

言葉は心の庭で心が磨き出しやがて形の与へられるのであるが、其の歴史を一一に亡ぼして新しい個性を与へねばならぬ。性命の鮮血をそそがねばならぬ。



象形文字の精霊は、多く視覚を通じ大脳に伝達される。音調以外のあらゆるものは視覚に倚らねばならぬ。形態と音調との錯綜美が完全の使命である。

この『黄金均衡(ゴールドウン・アベレイジ)』を逸すると、単に断滅の噪音のみが余計に響かれる。

象形文字を使用する本邦現代の言語は、其の不完全な語法上制約に縛られて、複雑の思想と多様の韻律とを鳴りひびかするに先天的の不具である。

文語と日常語的文語との各区分もややこしい問題である。

多くの議論以上、われらは今の日常語を完成する使命を痛感してゐる。

内なる世界を顧みると、われらは詩作に際し、此の痛感以外に、以上三体の言葉を自由に種別に順応せしめて使用したい欲求を有つことを余儀なくされる。

此の詩集には主として文語使用の詩篇のみを集成したが、所詮、読者自ら、文語の固陋な因習の邪悪的半面から努力して蝉脱する時、簡勁の古文体詩篇も自ら全く鮮やかに新しい近代の性命を帯びて再生するであらう。

此の集の永遠性の一部を此の点に鉤掛ける。


「波斯」は、ペルシャ。「白毛道衣派(スーフヰズム)」すなわちスーフィズム(Sufism)は、イスラーム教の神秘主義哲学。担い手のスーフィーにイズムをつけて、こう呼ばれたそうです。

スーフィズムでは、導師の指導のもと禁欲的で厳しい修行をするそうです。白い布状の服を身につけて一心不乱にまわる回旋舞踊(ズィクル)とうものをして、神との一体化を求めるということです=写真、wiki。

「九」では、「まことの詩は、詩人でなくて詩人其のものである」などと、言葉と詩についての耿之介の考え方が明確に示されています。

「羈絆」(きはん)は、「羈」も「絆」も牛馬をつなぎとめるものの意であるところから、行動する者の妨げになるものや事柄。きずな。ほだし。束縛。寺田寅彦の「藤棚の陰」に「この世の羈絆と濁穢(じょくえ)を脱ぎ捨てる」とあります。

「十」の「断滅」は、字の通り、絶やし滅ぼすこと。「噪音」は、 振動が不規則で、振動時間がきわめて短く、音の高さが特定できない音。あるいは、騒音のことをいいます。



「三体の言葉」とは、「文語」「日常語的文語」「日常語」ということでしょうか。「簡勁」は、言葉・文章などが、簡潔で力強いことをいいます。

2017年6月15日木曜日

日夏耿之介『転身の頌』序⑤

きょうは『転身の頌』序の「六」と「七」です。



かかる傾向は、天才をも且つ賤民の酒料のために不当の労役に服させ、彼岸の友をも覗ふ火器をも負はしめる。

謬り進められた文化、不消化の教養、悪の一旦の勝利は世界戦争の第一の口火を点じた。此の戦役は悪疾の年重つた末に迸り出た膿血である。

若しかかる戦ひが、ある善良な結果を導くとしたら、それは少くとも前世紀から今代に及ぶ文化の根本精神の触手が恒に不断に悪傾向に向つてのみ増進させられて来たと云ふ恐ろしい事実の自覚を強ひる迄にある。

近代民主々義の実生活上の理想は、正しい民、謙虚ある民、神を跪拝することを知る民による民主ではない。

既に、覚醒は彼らの大脳を刺衝して居る。彼等は根底より改更しなければならぬ。

正しき文化の様式は、まことの人間の生活型式は、何時の時代にも恒に天才の脳裡にのみあつて覚認(リヤラヰズ)される。

民人は天才の前に昔の神に対するのと等しき謙仰にて礼拝しなければならぬ。

そして天才の幻覚の裡から万能の審士の正しき箛を吹奏させなければならぬ。かく励むは民人の与へられたる責務である故に。



霊感の神馬(ペガサス)に鞭打つて天界に徜徉する詩家と、思念の綱を手繰つて実在の聖体盒に参ずる哲人と(優れた宗門の偉材は、両個を兼ねたるもあれば、其の一により法悦の秘観に入るもある)は、偏寵の神子である故に、神の意志による人間霊性の最大級の奔躍が彼らによつて試される。

この使命は自然の自発的意欲である。この出産は混沌に於ける炎の出現である。かれらの足跡は一一に神の業績である。

経験の種々相と眼前に展開された現象界の華麗に眩惑されて、人間は神の物の中心の心根を読む術を識らぬ。

各時代於て凡そ衆愚は霊性頽廃の断崖に彳み、思慮するところなく神の御国のための正義に罵詈の癡言を吐く真理の仇敵である。

天才を神の御国に働かしめるのは神の意志である。天才を人界で働かしめるのは民人の責務である。

天才は神と人との溝渠に横たはる桟橋である。今代民主々義の理想は、この桟橋に向つて火を放たむとする。

黒金の如く堅固に孔雀の如く壮麗な真理は恒に孤寂と崇貴との間にのみ産れる。


この詩集は、人類史上最初の「世界戦争」である第1次世界大戦(1914-1918)の最中に出版されました。第2次世界大戦が勃発する以前はまさに「World War」と呼ばれていました。

後に「大正デモクラシイ詩壇」からの批判にさらされる天才主義的、高踏派的な考え方が端的に述べられています。

「神馬(ペガサス)」=写真、wiki=は、ギリシア神話に登場する伝説の生物で、鳥の翼を持ち、空を飛ぶことができる馬。「霊感」の象徴とも、されています。

「盒」(ごう)は、飯盒などとして使われますが、中国語では小箱、ケースといった意味があるようです。上田敏の「海潮音」に「日や落入りて溺るゝは、凝るゆふべの血潮雲、 君が名残のたゞ在るは、ひかり輝く聖体盒」などとあります。

「罵詈」(ばり)は、罵詈雑言といわれるように、口汚くののしること。「癡言」(ちげん)は、いいかげんな言葉、たわごと。

2017年6月14日水曜日

日夏耿之介『転身の頌』序④

 きょうは『転身の頌』序の「四」と「五」です。



特に、科学の破産を経験し既成宗教の更改と其の新しき見方説き方に腐心する現代にあつて一部の注心を索いてゐる媒霊者らの提示した心象の諸問題は、上代煉金道人らの残して去つた不思議な心緒の自由な飛躍とともに、ブレイクの幻覚した小動物の精霊に関する描写や、イエイツがたまたまなる生霊徜徉の記録などに完き芸術上表現を得てゐるが、すべて表現に依る離脱、芸術に依る霊覚を経験した選ばれし人々のフレクシブルな心霊は、かうして、詩家稟賦の詩技の黄金の鍵により、久遠の国の関の扉をただ貧しい心持で一杯に押し開く。



詩技の事は稟性神賜であつて、後天の精進は、末梢を矯め直し、詩家純真の気稟をば、邪路に迷はぬやう、延延と快活に育むのに過ぎぬ。

専念の努力が遂に熟達の境に臻つた例は、画事に多く見るが、多くそれは、ある後天の生理、人為、偶発の障礙に匿され、長く仮睡してゐた本然の徳質がたまたまの精進により瞭確に闡明せられたに過ぎぬ。

この民主の時代に於て、心性鈍(うとま)しく真純の気稟に乏しい迷蒙不遜な民人が、軽佻な野望に駆られ劣材を頼んで芸術の神壇を蹂躙し汚損して憚らぬのは允し難い瀆神の一種である。

民に知らしむべからずとした本邦中世期の芸術的理想を今尚踏襲するものと迷断してはならぬ。

芸術は人間最高の心的活動の一である。

純劣不遜の民人が頓悟して此の祕壇を垣間見んとならば、若き沙門の修道の如き心にて其の知見の誇りを捨て芸術の理想の大旛の前に跪拝せよ。

秘壇の回転扉は十方の心貧しい巡礼をこばまない。

今の民主的理想を狂信する事深き輩は、神聖壇を象牙の塔よりささげ出でて巷の十字街に置く。これは許さるべき進展である。

然し、不遜と選賤劣との外に何物もない民人の凡ての安閑たる懶惰に便するために、彼等は全く芸術本然の不可思議性を閑却して何等かの型式に於て第二義芸術の制作に自足してゐる。

民人を愛撫せずして、民人の概念を愛撫する事に耽湎してゐる。

かくして民人は弥が上にも不遜と賤劣に堕してゆく。従つてそれらの理想は、誠に民人のためではなくて、『彼等の民人の概念』のために、芸術を劣等化して了ふ。

現代の民人は幸福にも、不真面目に腹這ひしてゐながら、懇切に口辺まで当てがつてくれる芸術家の芸術的食料品を不消化のまま呑み下す。

然し、遂に、最も善良な芸術は、必ずしも衆俗凡ての味解を待つことはできぬ。

足を投げ出した民人らに尊き芸術品の凡てを易く嗜むことは許されぬ。民主的時代の衆民は、心より芸苑に至るの道を知らぬ阻はれた思想上の賤民である。


「ブレイク」=写真、wiki=は、イギリスの詩人、画家のWilliam Blake(1757-1827)。銅版画職人。『ミルトン』の序詞「And did those feet in ancient time」に音楽が付けられたものが、事実上のイングランド国歌として知られています。

「幻視者」(Visionary)の異名を持ち、唯理神ユリゼンやロスなどの神話的登場人物が現れる『四人のゾアたち』など預言書と呼ばれる作品群で、独自の象徴的神話体系を構築しました。

「イエイツ」は、アイルランドの詩人、劇作家のWilliam Butler Yeats(1865-1939)。ロマン主義、神秘主義、モダニズムを吸収、イギリスの神秘主義秘密結社「黄金の夜明け団」のメンバーでもありました。

「徜徉」(しょうよう)は、気ままに歩き回ること、逍遥。「稟賦」(ひんぷ)は、生まれつきの性質、稟性、稟質。

「五」では「詩技の事は稟性神賜」つまり、詩をつくるとは、生まれつきの、天賦の性質、稟質で、神からの賜りものだ、といいます。

「頓悟」とは、長期の修行を経ないで、一足とびに悟りを開くこと。「旛」は、仏や菩薩などを荘厳、供養し、その威徳を標示する旗のことをいいます。

「第二義」は、根本的でないこと、さして重要でないこと。桑原武夫の「第二芸術 ―現代俳句について―」が出て、第二芸術論争がはじまったのは、この詩集が出て約30年後のことです。

『転身の頌序』が出版された1917(大正6)年には、ロシア革命が勃発しました。2年後の1919年(大正8)年には、耿之介の母校、早稲田大学で「民人(みんじん)同盟会」が発足。高津正道、浅沼稲次郎、稲村隆一らが参加して「デモクラシーの普及徹底によって新時代の埠頭に立つ」と歌い上げていました。

2017年6月13日火曜日

日夏耿之介『転身の頌』序③

 きょうは、『転身の頌』序の「三」です。



美の狂歓に倚るジヨン・キイツの離脱は、純主観の古希臘主義を圧縮して
「美は真なれ 真こそ美なれ」
の高き道を踏んだとき、オリュムポスの山上に幻感した異教諸神の巨手によつて緑明の中空に描き出された物心一如のCockaigneである。

ロゼッティが詩集『性命の家』に於ける麗人の美貌に力服されるのは、かの覚認せられた肉塊の秘奥に安坐する神意の不可思議性を織巧に感悟し得たからである。

これら陶酔者の三昧境は、リュカデイヤ巌頭の古代女詩人が、『うるはしきヘラスの全図よりも、少人よ、おん身を』と叫んだ至情、ウーマル・カイヨムの悲劇、サーディの想念とともに悉くわれらの心浄く磨き出され欣求の力強い修道の果として高きより恵まれたる地上楽園だからである。

繊く青白い病詩人の生命の小函にも、信と愛と望とにかがやいた天人の黒瞳は宿る。かかるとき、身肉は征服せられ、裸身にして清き心意は霊内融会の一視点に凝縮せられる。

又、かかる場合と反して、エミリ・ブロンテが女性らしき、青く澄み切つた晩祈に倚る忘我や、ジェエフリーズ、ウヮズウォース達が、自然界の核心深く食ひ込む凝視の黒く冴えわたつた心眼にも、同じく、物の象を掴むで、象の奥に眼をひたと瞑ぢて横臥する心の完き生命を掘り出す性命力が確存し、美に倚る解説者が美を愕くべき透視力で眺めて美の奥の力に想到する様に、彼等は物象を祈念の涙で力服して、霧霽れて緑の山々が姿を現ずるやうに、物の象は淡雪のごとくに溶けさり、すべて万有の精神は悠久の力を帯び神霊となつて顕現する。

かくどのやうに違つた様式による芸術も、変つた流派も、表現人の性命自らが偉大なれば偉大であるだけ深刻に精緻に瞭確に宇宙実在の基本精神を発見し、新しき創造の歓喜を一身に浴びて神人合致の福祉に参しうる。


「ジヨン・キイツ(John Keats、1795-1821)は「ギリシャの古壺のオード」(Ode on a Grecian Urn)、「秋に寄せて」(To Autumn)などで知られる英国ロマン主義の詩人。結核を患い25歳の若さで亡くなっています。ローマの新教徒墓地に葬られ、墓石には「その名を水に書かれし者ここに眠る("Here lies one whose name was writ in water")」と彫られているそうです。

「ロゼッティ」は、19世紀英国の画家・詩人ダンテ・ゲイブリエル・ロセッティ Dante Gabriel Rossetti(1828-1882)=写真、wiki=のことでしょう。詩集『生命の家』(“The House of Life”1871)は、彼が手がけていたステンドグラス製作の共同制作者ウィリアム・モリスの妻ジェーンとの愛を綴った101篇のソネットからなり、ペトラルカンソネットと呼ばれるイタリアの古典詩の様式を模し、abba+acca+dde+ffeという脚韻を踏んでいます。

「Cockaigne」は、コケーニュ。贅沢と怠惰の想像上の土地、逸楽の国。中世ヨーロッパのユートピアの一つ、とされました。

「霊肉融会」は、とけて一つに集まること。 子規の「獺祭書屋俳話」に「神理天工、一心一手の間に融会して」



『嵐が丘』の「エミリ・ブロンテ」(Emily Jane Brontë、1818-1848)は、「No Coward Soul is Mine(私の魂は怯懦ではない)」など抒情詩人としても知られています。

2017年6月12日月曜日

日夏耿之介『転身の頌』序②

 きょうは、『転身の頌』序の「二」です。



貧しきわれにも、夜更けてしばしば病苦に眼覚め、一二時間の枯坐観想を強ひられるとき特に、あるひは白日の閑寂な密林、光り眩ゆい海辺の散策の折りなどにも、また偉人の残し与へた古名品に臨む時などにも、言ひ表はし得ない快活なたましひが、渾身の血潮を悦ばしい力に充ち満ちた、しかし淑やかな奔躍に駆り、肉身はかすかに顫へて、ものとしもないときめきに胸わななく一瞬時がある。

この時夜ならば枕頭にいつも置いてある白紙に焦慮することなく、この自らをとどめんと努める。

この大喜悦は、宗門の徒によって法悦と称ばれ、芸術の表現人によつて霊感と仮りに名づけられてゐる。

表現者の稟性の種別に応じて、霊感はさまざまの時と処とに鬼人のごとく出没する。

あるものは酒精又は印度大麻の蟲惑の媒力を要し、あるものは腐れかかつた林檎の香をかぎ、またあるものは聖経を踊して、眼前に形態を備へて出現する幻覚を夢心地に禦ぎながら、夢幻の間に表現の努力を了へる。

霊感は、又、表現人によつて著しく虐遇され、殆ど其の可能性を認められない事すらもあるけれど、多く之れは、彼れの心向の特殊性に基くのであつて、かかる人の場合でも、霊感は自由に遠慮なく潜行して謙虚な行ひを果してゐる。

単に一庶物の並列があらうと、積極の緊張した心の一聯鎖があらうと、外貌に現れたものには、固より何のかかはりもない。

所詮、偉いなる力は、時を竊んで人間の胸深く忍び入り、腕をつたはつて指頭のペンに顕れ出て、軈て文字となり言葉をなして分娩が完了する。

優れた詩人は、ひたすらに謙抑篤実な実在本体への媒霊者(メデイアム)である故に跪拝せられる。

詩人の精進は、いつもその心の大洋に浪打つ生の律動の生命を直視する各努力であり、又、唯一大霊への黙禱、本体への思念である。

その純真にして敢為なるべき『我』の生活が、たまたま狐疑の索迷に陥没してゐるとき、時あつて多くの擬霊に欺かれ、また、自己自らのために誑かされる。

詩人のたましひは玻璃の傀儡である。黄蠟の人形である。かれらは、地熱や日輪の光のために溶ける。自らの火のためにも身を亡ぼす。

最も繊美に神経的に反響を持続する機具は、常に最も高貴に造られねばならぬ。

宇宙に遍満した光あるたましひは、表現人の心緒に錯交し、心の硝子管をつたはつて、あらゆる人の感覚を通じ其の心霊らの面前にまで展開される。

芸術史上多くの、Beatific Visionは、この奇蹟の春の朝の鳥声である。


耿之介は、1906(明治39)年、16歳の春、脳神経病を患って京北中学校を中退するなど、若いときから「病苦」とともにありました。

「枯坐観想」とは、ものさびしくつくねんと座って、思いを凝らすことをいいます。

「法悦」とは、仏教の教えを聞き、味わって喜ぶこと。あるいは、なんらかの状態において生じる恍惚感のこと。

「竊」は「窃」。ぬすむ、ひそかに。他人の物をこっそりぬすみ取ること。

「狐疑」は、狐(きつね)は疑い深い性質をもつというところから、相手のことを疑う意。「誑」の読みは、たぶら(かす)です。



「beatific vision」は、見神。キリスト教で、霊感によって神の本体を感じ悟ること。神霊の働きを感知することの意です。

2017年6月11日日曜日

日夏耿之介『転身の頌』序①

きょうからしばらくの間、長野県南部、飯田市が生んだ詩人、日夏耿之介(1890-1971)=写真、wiki=の最初の詩集『転身の頌』を、おおまかに眺めておくことにします。

飯田市にある日夏耿之介記念館による解説には、耿之介について次のように紹介されています。

〈詩人、文学者、翻訳家として多彩な文芸活動を展開した日夏耿之介。日夏は、明治23年(1890)に、城下町の風情薫る下伊那郡飯田町で生まれました。独特の美意識に貫かれた詩風は識者の間で高い評価を受け、自ら「ゴスィック・ローマン詩体」と称します。早稲田大学、青山学院大学教授を歴任後、郷里飯田で晩年を過ごしました。〉

『転身の頌』は、早稲田大学文学部英文科を卒業した3年後の1917(大正6)年、耿之介が27歳のとき、家蔵版として刊行されています。なんとも、漢字の読みを追っていくだけでも四苦八苦してしまう難解な詩が並んでいます。

この詩集には、その時点における彼の詩論と目される長い「序」(一~十三)が付いています。とりあえず「序」から読み始めていきます。きょうは『転身の頌』序(一)です。


『転身の頌』序



凡そ、詩篇は、所縁の人に対して、実在が、そのまことの呼吸の一くさりを吹き込めたものの、或る機会の完き表現でなければならぬ。

それは、選ばれたものにも儘ならぬ、選ばれぬものへの宿命的示唆である。

媒霊者のない自動記書(オートラテイング)である。また言へば、天来の『智慧』である。詩家は霊感の浮橋に依つてのみ、しばしば、神の御国に歓遊する。

虫類の細微体から宇宙諸相の大いに臻(いた)る悉皆触目の存在当体は固より、かりそめにも人間の心緒に渦巻くあらゆる情感の揺曳は、詩人の対境として、遙かの国の内陣秘龕から賦与せられた『窄き門』である。

この不可思議の扉口を過ぎて、汪々と絶対の神の伊吹きが貫き流れる。現象界と、現象界から放散する薫香との二個から切り放たれたまことの神慮がはつきりとのぞみ観られる。

されば、霊感の受難週は、小やかな詩人の個体をも、易く神人融会の『賢人石』のなか深くに押し匿す。

かかる聖なる異香の流動は選ばれたものの全てを捉へて、入神(トランス)の中有境に投げ込む偉いなる虚空の手である。

    ◇

霊媒者などと呼ばれる人たちは、「死者の霊が下りてきた」などと無意識的にペンを動かしたり語りかけたりします。

日本では「神がかり」「お筆先」とも呼ばれていました。そうした「媒霊者」を介さない「自動記書(オートラテイング)」だと言っています。

当然、アンドレ・ブルトン(1896-1966)らシュルレアリスム(超現実主義)の詩人たちが試みた詩作の実験「オートマティスム(自動記述)」が念頭に置かれているのでしょう。



「龕(がん)」は、石窟や家屋の壁面に、仏像・仏具を納めるために設けられたくぼみ、あるいは、仏壇や厨子のことです。「入神(トランス)」とは、技能が上達して、人間わざと思えないようなな優れた域に達することをいいます。

2017年6月10日土曜日

吉野弘「I was born」⑬

「I was born」について八木忠栄は「吉野弘の詩の最高傑作としてよく知られている作品だが、さらに言えば、現代詩が生んだ最高傑作の一つと言っていい」と高く評価しています。

これまでも見てきたように「I was born」は、1952(昭和27)年、吉野弘が詩作をはじめた26歳のときに作った投稿第2作目です。

その出発点で、完成された最高傑作をもつということは、その芸術家の人生にとってどういう意味をなすのでしょう。若くしてオリンピックの金メダリストになるようなものなのでしょうか。

もちろん「I was born」で注目を集め、高い評価を受けたことが、その後の吉野の創作への意欲をかき立て、詩人としての地位を確固たるものにしていったのでしょう。

と同時に、それ以上の作品を書かなければ、というプレッシャーのようなものも、生涯どこかにつきまとっていたのかもしれません。

ともかく、この「最高傑作」が吉野の文筆家活動の出発点となりました。そして、アルチュール・ランボーのように若くして筆を折ることも、小説家や評論家に転身することもなく吉野は2014年1月15日に87歳で亡くなるまで60年以上にわたって、詩を書き続けました。

「僕は詩は認識だと思うんだ。詩に限らず、芸術は、事物を人間の意識の中にもたらすための一種の言語だと思うわけだ。感動というのは、謂わばそれの端緒だ。感動の未発達の曇った状態から確実と明晰との段階に高めるための作業が即ち認識だ」(「詩とプロパガンダ」)。

けばけばしい過度な表現を厭い、温かい眼差しと分かりやすい言葉で「生」をさぐり、人間の営みを淡々と描きだす「認識」の詩。吉野の詩をすべて読んだわけではありませんが、そうした詩への姿勢には、生涯、一貫したものがあったように思えます。

     I was born

 確か 英語を習い始めて間もない頃だ。

 或る夏の宵。父と一緒に寺の境内を歩いてゆくと 青い夕靄の奥から浮き出るように 白い女がこちらへやってくる。物憂げに ゆっくりと。

 女は身重らしかった。父に気兼ねをしながらも僕は女の腹から目を離さなかった。頭を下にした胎児の 柔軟なうごめきを 腹のあたりに連想し それがやがて 世に生まれ出ることの不思議に打たれていた。

 女はゆき過ぎた。

 少年の思いは飛躍しやすい。 その時 僕は<生まれる>ということが まさしく<受身>である訳を ふと諒解した。僕は興奮して父に話しかけた。
――やっぱり I was born なんだね――
父は怪訝(けげん)そうに僕の顔をのぞきこんだ。僕は繰り返した。
――I was born さ。受身形だよ。正しく言うと人間は生まれさせられるんだ。自分の意志ではないんだね――
 その時 どんな驚きで 父は息子の言葉を聞いたか。僕の表情が単に無邪気として父の眼にうつり得たか。それを察するには 僕はまだ余りに幼かった。僕にとってこの事は文法上の単純な発見に過ぎなかったのだから。

 父は無言で暫く歩いた後 思いがけない話をした。
――蜉蝣(かげろう)という虫はね。生まれてから二、三日で死ぬんだそうだが それなら一体 何の為に世の中へ出てくるのかと そんな事がひどく気になった頃があってね――
 僕は父を見た。父は続けた。
――友人にその話をしたら 或日 これが蜉蝣の雌だといって拡大鏡で見せてくれた。説明によると 口は全く退化して食物を摂るに適しない。胃の腑を開いても 入っているのは空気ばかり。見ると その通りなんだ。ところが 卵だけは腹の中にぎっしり充満していて ほっそりした胸の方にまで及んでいる。それはまるで 目まぐるしく繰り返される生き死にの悲しみが 咽喉もとまで こみあげているように見えるのだ。淋しい 光の粒々だったね。私が友人の方を振り向いて<卵>というと 彼も肯いて答えた。<せつなげだね>。そんなことがあってから間もなくのことだったんだよ、お母さんがお前を生み落としてすぐに死なれたのは――。

 父の話のそれからあとは もう覚えていない。ただひとつの痛みのように切なく 僕の脳裡に灼きついたものがあった。
――ほっそりした母の 胸の方まで 息苦しくふさいでいた白い僕の肉体――。


「I was born」について、清岡卓行は次のように評しています。

〈生まれることが受身であるだけではないこと、いやむしろ能動であることを示す《卵》のイメージの感動は、十分に伝わるだろう。

そして、主人公の中学生の内部に可能性として感じられる、生まれないことの幸福を思う死への傾斜が、原理的には《卵》に象徴される盲目的な生の欲望と合致することが、今さらのように新鮮に気づかれるだろう。

内部矛盾の瞬間的な解消。ぼくは、この散文詩を読んだときの感動を今も忘れないが、それは、詩における生へのリズムと死へのリズムの根源的な照応にかんするぼくなりの思考に、強力な一つの支柱をあたえてくれるものであった。

このような意味において感謝する他人の詩作品は、ぼくにとって「I was born」のほかにはない。〉

2017年6月9日金曜日

吉野弘「I was born」⑫

    夕焼け

  いつものことだが
  電車は満員だった。
  そして
  いつものことだが
  若者と娘が腰をおろし
  としよりが立っていた。
  うつむいていた娘が立って
  としよりに席をゆずった。
  そそくさととしよりが坐った。
  礼も言わずにとしよりは次の駅で降りた。
  娘は坐った。
  別のとしよりが娘の前に
  横あいから押されてきた。
  娘はうつむいた。
  しかし
  又立って
  席を
  そのとしよりにゆずった。
  としよりは次の駅で礼を言って降りた。
  娘は坐った。
  二度あることは と言う通り
  別のとしよりが娘の前に
  押し出された。
  可哀想に。
  娘はうつむいて
  そして今度は席を立たなかった。
  次の駅も
  次の駅も
  下唇をギュッと噛んで
  身体をこわばらせて――。
  僕は電車を降りた。
  固くなってうつむいて
  娘はどこまで行ったろう。
  やさしい心の持主は
  いつでもどこでも
  われにもあらず受難者となる。
  何故って
  やさしい心の持主は
  他人のつらさを自分のつらさのように
  感じるから。
  やさしい心に責められながら
  娘はどこまでゆけるだろう。
  下唇を噛んで
  つらい気持ちで
  美しい夕焼けも見ないで。


1959(昭和34)年に出された第2詩集『幻・方法』に入っている有名な詩です。「I was born」と同じように、「夕焼け」も、「生」の問題を扱っています。

「I was born」が普遍的な「生命」に焦点をあてているのに対して、「夕焼け」が対象にしているのは「人生」ということになるでしょう。

〈――蜉蝣(かげろう)という虫はね。生まれてから二、三日で死ぬんだそうだが それなら一体 何の為に世の中へ出てくるのかと そんな事がひどく気になった頃があってね――
 僕は父を見た。父は続けた。
――友人にその話をしたら 或日 これが蜉蝣の雌だといって拡大鏡で見せてくれた。説明によると 口は全く退化して食物を摂るに適しない。胃の腑を開いても 入っているのは空気ばかり。見ると その通りなんだ。ところが 卵だけは腹の中にぎっしり充満していて ほっそりした胸の方にまで及んでいる。それはまるで 目まぐるしく繰り返される生き死にの悲しみが 咽喉もとまで こみあげているように見えるのだ。淋しい 光の粒々だったね。私が友人の方を振り向いて<卵>というと 彼も肯いて答えた。<せつなげだね>。〉

「生まれてから二、三日で死ぬ」蜉蝣の生と単純に比べれば、人生は長い。でも、受身(I was born)で生まれてくるように、生まれてからも、法律や慣習、社会的なルールや倫理、他人の目や世間体などさまざまな受身的な要素にしばられながら暮らしています。

そうしたさまざまな受身的要素にさらされながらも、私たちは自分なりの生き方や幸せを探して暮らしているのです。そうしたルールや倫理にムシャクシャして反発してけんかしたり、逃げてはまた戻ったりしながら。中には、犯罪をおかしたり、自死の道を選んでしまうケースもあります。

  固くなってうつむいて
  娘はどこまで行ったろう。
  やさしい心の持主は
  いつでもどこでも
  われにもあらず受難者となる。

「夕焼け」の娘のように、「やさしい心の持主」であればあるほど、善良であろうとすればするほど、心の中にある倫理観や他人の目などさまざまなものに責められ、押しつぶされるような重圧にさらされます。そして、「われにもあらず受難者」となってしまうのです。

こうした人生の矛盾はどこからくるのでしょう。「生」とは、もともとそうした矛盾をはらんでいるものなのでしょうか。それとも人間という生物、人間がいま作り出している社会というものが不自然で、いびつな所以なのでしょうか。吉野の詩を読んでいるとしばしば、そんなところに考えが及びます。

とはいえ、詩「夕焼け」の最後は「美しい夕焼け」という自然へとひらかれていくし、「I am born」では、カゲロウの腹の中にぎっしり充満した卵の「光の粒々」が、輝きを放っています。読者である私はそれらに、ホッと救われる思いをいだきます。

ときに「責められ」、ときに「せつなげ」であっても、「生」は美しいのです。

2017年6月8日木曜日

吉野弘「I was born」⑪

〈  父は無言で暫く歩いた後 思いがけない話をした。
――蜉蝣(かげろう)という虫はね。生まれてから二、三日で死ぬんだそうだが それなら一体 何の為に世の中へ出てくるのかと そんな事がひどく気になった頃があってね――
 僕は父を見た。父は続けた。
――友人にその話をしたら 或日 これが蜉蝣の雌だといって拡大鏡で見せてくれた。説明によると 口は全く退化して食物を摂るに適しない。胃の腑を開いても 入っているのは空気ばかり。見ると その通りなんだ。ところが 卵だけは腹の中にぎっしり充満していて ほっそりした胸の方にまで及んでいる。それはまるで 目まぐるしく繰り返される生き死にの悲しみが 咽喉もとまで こみあげているように見えるのだ。淋しい 光の粒々だったね。私が友人の方を振り向いて<卵>というと 彼も肯いて答えた。<せつなげだね>。そんなことがあってから間もなくのことだったんだよ、お母さんがお前を生み落としてすぐに死なれたのは――。〉

「生まれてから二、三日で死ぬ」という宿命にあるカゲロウ。数千個の卵を産み落としても、孵化するのにふつう10日以上かかるそうですから、カゲロウの親は幼虫を見ることなく生命を終えることになります。「I was born」に出てくる「お母さん」も、わが子の顔を見ることなく死んでいます。

「I was born」は、雑誌『詩学』の1952(昭和27)年11月号に発表されました。このとき吉野弘は26歳。詩を発表した直後に吉野は結婚し、2人の娘の父となりました。


カゲロウや「お母さん」と違って、生まれた娘たちと出あう感動を味わうことができたのです。『遊動視点』=写真=の「紐」というエッセーには、次のように記されています。

〈長女は産婦人科の病院で生まれたが、次女は自宅で、しかも産婆さんの手で生まれたので、そのとき、臍の緒なるものを、この目でしかと見ることができたのである。

襖で仕切った向うの部屋で、産婆さんの威勢の良い声がした。「お嬢さんですよ」産婆さんは私と妻に言った。産婆さんの両掌の上に赤ん坊が俯伏せになっていた。

少し紫がかった肌で、白粉のようなものが、所々に付着していた。そして赤ん坊の腹からは、太い半透明の臍の緒が、電話のコードのように実に頼母しくゆれていた。

まぶしい程の臍の緒の中心を走っている赤いものは血液だと、産婆さんに教えられ、私は、言うべき言葉を思いつかなかった。

なんという力強い紐だったろう、なんという美しい生命の紐だったろう。私は目のさめるようなすばらしい紐を、そのとき見たのであった。〉

父親として、生命をつなぐ「目のさめるようなすばらしい紐」を目にしました。しかしが、「生を得る」ということは、同時に「死をわけあたえられる」ことでもありました。「I was born」の収められた第1詩集『消息』に、「初めての児に」という題の次のような詩があります。

  お前がうまれて間もない日。

  禿鷹のように
  そのひとたちはやってきて
  黒い皮鞄のふたを
  あけたりしめたりした。

  生命保険の勧誘員だった。

   (ずいぶん お耳が早い)
  私が驚いてみせると
  そのひとたちは笑って答えた。
   〈匂いが届きますから〉

  顔の貌(かたち)さえさだまらぬ
  やわらかなお前の身体の
  どこに
  私は小さな死を
  わけあたえたのだろう。

  もう
  かんばしい匂いを
  ただよはせていた というではないか。

わが子が生まれるやいなや、「匂い」を嗅ぎつけてやってきた生命保険の勧誘員。それに対して、詩人は「顔の貌さえさだまらぬ/やわらかなお前の身体の/どこに/私は小さな死を/わけあたえたのだろう」と思います。

前にあげた『遊動視点』のエッセーの中で吉野は、臍の緒のほかに、もう一つの「紐」を取り上げています。

〈「紐」という言葉を聞いたときに思い浮かぶ、もう一つのイメージがある。たとえば百科事典などで、ある人について調べる場合、必ず目につくことであるが、その人の生まれた年――それは殆ど西暦で書かれているが――その生まれた年と死んだ年とが、短い線で結ばれていることである。

すでに亡くなっている人の場合だと、あまり、この線の印象は強くないのであるが、現在まだ生きている人の場合、生まれた年にくっついているこの線は、なぜか不気味である。この線はこう言っているわけである「この人物はまだ生きている、つまり、まだ死んでいない」。



この世に生を享けている人は例外なしに、自分の生まれた年の下に、この、あまり縁起でもない紐、見えない紐をぶら下げているのである。このことは、ちょっと気どって言えば、生命はすべて、死の紐つきだということになるだろうか。〉

2017年6月7日水曜日

吉野弘「I was born」⑩

    仕事

  定年で会社をやめたひとが
  ――ちょっと遊びに
  といって僕の職場に顔を出した。
  ――退屈でしてねえ
  ――いいご身分じゃないか
  ――それが、一人きりだと落ちつかないんですよ
  元同僚の傍の倚子に坐ったその頬はこけ
  頭に白いものがふえている。

  そのひとが慰さめられて帰ったあと
  友人の一人がいう。
  ――驚いたな、仕事をしないと
    ああも老(ふ)けこむかね
  向い側の同僚が断言する。
  ――人間は矢張り、働くように出来ているのさ
  聞いていた僕の中の
  一人は肯き他の一人は拒む。

  そのひとが、別の日
  にこにこしてあらわれた。
  ――仕事が見つかりましたよ
    小さな町工場ですがね

  これが現代の幸福というものかもしれないが
  なぜかしら僕は
  ひところの彼のげっそりやせた顔がなつかしく
  いまだに僕の心の壁に掛けている。

  仕事にありついて若返った彼
  あれは、何かを失ったあとの彼のような気がして。
  ほんとうの彼ではないような気がして。


詩「仕事」は、吉野弘の第3詩集『10ワットの太陽』に収められています。

〈 少年の思いは飛躍しやすい。 その時 僕は<生まれる>ということが まさしく<受身>である訳を ふと諒解した。僕は興奮して父に話しかけた。
――やっぱり I was born なんだね――
父は怪訝(けげん)そうに僕の顔をのぞきこんだ。僕は繰り返した。
――I was born さ。受身形だよ。正しく言うと人間は生まれさせられるんだ。自分の意志ではないんだね――
 その時 どんな驚きで 父は息子の言葉を聞いたか。僕の表情が単に無邪気として父の眼にうつり得たか。それを察するには 僕はまだ余りに幼かった。僕にとってこの事は文法上の単純な発見に過ぎなかったのだから。〉

受け身である「I was born 」、「生まれさせられ」た、存在させられた人間。こうして与えられた「生」というのは、一生、「受身形」でありつづけるのでしょうか。

私たちは、自らの意志で自らの生き方を決め、自らの好きな人を愛し、自らやりたい仕事をします。当然、すべてがそんなにうまくはいくはずはないのだけれど、ふつうはそうしたいと思っています。

でも「受身形」で生を受けた人間は、誕生してから後も本来的には、そんなに意志的、主体的になり得るものではないのかもしれません。詩「I was born 」を読んで私は、ふと、そう感じました。

たとえ食べるため、家族を養うためにつづけてきた仕事であっても、いざ、そこから離れ、やることがなくなると、詩「仕事」にあるように、落ち着かず、老けこんでしまうというようなことはよく聞きます。

本当に生き甲斐を感じ、自ら切り開き、自己実現をしている思う仕事や職業についたとしても、ひとはそれを「天命」と、「天職」と呼びます。天から授けられた、どこか受身的なとらえかたをするわけです。

けれど、詩人は、

  ――人間は矢張り、働くように出来ているのさ
  聞いていた僕の中の
  一人は肯き他の一人は拒む。

そして、

  仕事にありついて若返った彼
  あれは、何かを失ったあとの彼のような気がして。
  ほんとうの彼ではないような気がして。

と思います。そんなふうに、私も感じます。

たとえ一人っきりで惨めな最期を迎えても、いい歳になっても、天や“遺伝子”にさからってでも、「受身形」ではない自分なりの人生を生きてみたいと思っています。

2017年6月6日火曜日

吉野弘「I was born」⑨

「I was born」を読むと、私はいつも『利己的な遺伝子』のことが頭に浮かびます。

「我々は遺伝子という名の利己的な存在を生き残らせるべく、盲目的にプログラムされたロボットなのだ」という有名な書き出しで知られるイギリスの動物行動学者リチャード・ドーキンス=写真、wiki=の著書だ。

ドーキンスは「自然選択の実質的な単位が遺伝子である」とする、遺伝子を中心とした進化理論を提唱したことで知られている。


『The selfish gene』という題名で1976年に出版。1991年に邦訳が出て、国内でも大きな話題を呼びました。

われわれ生物は「遺伝子によって利用される“乗り物”に過ぎない」という比喩表現は、私にとっても「こんな考え方もできるんだ」と驚きでした。

「なぜ男は浮気をするのか」「なぜ世の中から争いがなくならないのか」といった問題についても、自らのコピーを増やそうとする遺伝子の利己的なふるまいから、ドーキンスは解き明かしてみせました。

ところで、はかないものの代名詞のようにいわれるカゲロウだが、以前もみたように、石炭紀後期にすでに地上にいたことがわかっている。およそ3億年ものあいだ「生」をつなぎ、遺伝子を生き残らせてきたのです。

それに比べるとわれわれ人類の歴史は、まだ無いに等しい短期間ですが、とりあえずなんとか500万年くらいは生命のバトンを繋いでいます。これも、利己的な遺伝子のなせるワザということでしょうか。

〈 少年の思いは飛躍しやすい。 その時 僕は<生まれる>ということが まさしく<受身>である訳を ふと諒解した。僕は興奮して父に話しかけた。
――やっぱり I was born なんだね――
父は怪訝(けげん)そうに僕の顔をのぞきこんだ。僕は繰り返した。
――I was born さ。受身形だよ。正しく言うと人間は生まれさせられるんだ。自分の意志ではないんだね――
 その時 どんな驚きで 父は息子の言葉を聞いたか。僕の表情が単に無邪気として父の眼にうつり得たか。それを察するには 僕はまだ余りに幼かった。僕にとってこの事は文法上の単純な発見に過ぎなかったのだから。〉

ドーキンス流に考えれば、利己的な遺伝子の“乗り物”として「人間は生まれさせられるんだ」ということになるのだろう。そして、

〈――蜉蝣(かげろう)という虫はね。生まれてから二、三日で死ぬんだそうだが それなら一体 何の為に世の中へ出てくるのかと そんな事がひどく気になった頃があってね――〉

カゲロウが「何の為に世の中へ出てくるのか」かといえば、「遺伝子という名の利己的な存在を生き残らせる」ため、ということになります。そのために、

〈口は全く退化して食物を摂るに適しない。胃の腑を開いても 入っているのは空気ばかり。見ると その通りなんだ。ところが 卵だけは腹の中にぎっしり充満していて ほっそりした胸の方にまで及んでいる。〉

というように卵をつくり、2~3日の短い生涯を懸命に生きます。

『利己的な遺伝子』を翻訳した日高敏隆は、次のように記しています(「i feel」出版部50周年記念号)。

〈(ドーキンスのいうような)プログラムを作りあげているのは遺伝子の集団であって、どれか特定の遺伝子ではない。そしてプログラムがどのようにしてできるのかは、「ヒト・ゲノム」がわかったからといってすぐにわかるようなものではない。

このプログラムは人をロボットのように操っているのではない。遺伝的プログラムは厳然として存在しているが、それを具体化していくのは、個体であり個人なのである。

ドーキンスの『利己的な遺伝子』の邦訳が出版されたとき、それを手にした多くの人々は何か癪にさわるものを感じたらしい。しかし癪にさわると思いつつもついつい読んでしまったと言っていた。このあたりにこの本のもつ興味ぶかい意味があるような気がする。〉

われわれの生命というものが「遺伝子の“乗り物”」に過ぎないものであるかどうかはともかく、ある意味で「淋しい」「せつなげ」な構造をしていることはたしかでしょう。

「I was born」で少年が発見したように、ひとは気がついたときには生まれさせられていて、確実に待っているのは死。生きるというのは、その誕生から死までの過程でしかありません。

けれど、「目まぐるしく繰り返される生き死にの悲しみが 咽喉もとまで こみあげているように見える」カゲロウの卵たちにしても、輝いている「光の粒々」なのです。



〈私が友人の方を振り向いて<卵>というと 彼も肯いて答えた。<せつなげだね>。〉の「せつなげだね」からは、こうした「生」を精いっぱい受け止めて前向きに生きようとする、すがすがしい姿がかいま見えてきます。

2017年6月5日月曜日

吉野弘「I was born」⑧

〈満員のバスが終点に着くと、乗客たちはいっせいに出口に集まり、目立たぬように先を争った。先を争うので、かえって揉みあいになり車内の人の数はなかなか減らないのだった。

奥の座席に、二、三歳ぐらいの子供を連れた若い母がいた。子供に靴をはかせて席を立つと、大きな声で「さあ早くおりましょうね」といった。

そして子供の両肩をうしろから両手で押し出すようにして、人々の塊りの中へ、うしろからスッと割りこんだ。それはいかにも自然な動作で、たちまち、親子連れは車の外へ出てしまった。

私は感心して見送った。彼女が子供連れでなく一人きりのときだったら様子は少し違ったかもしれない。人込みを分けたのは、子供と一緒だったからこそ、自然にそうしたのではないか。母親である故に無意識にとった行為――私はそう思って感嘆したのだ。

父という立場の男だったら、なかなか、こうはゆくまい。男は、その時々の社会秩序に枠づけられ、いわゆる良識の中に生きている。だから、まず世間体を考え、世間に献身し、時には義務のために湯玉のように飛散する。

子供を守るということに限っていえば、このような良識的な父は、頼りなくてもろい。世間に色目を使う父より、まず身辺第一主義でゆく母のほうがどれだけ頼りになることか。

誰も、自分の母を、この若い母のようだとは思いたくないだろう。私もまた同じ思いだが、つきつめれば、同じであったのではないかという気もする。

私の妻の母は、極端に食糧事情の悪かった戦後のある日、子供たちに食べさせたい一念で、他人の畑から、薩摩芋の蔓を盗んできたことがあるらしい。芋には、さすがに手が出せず、芋を掘ったあとに放置された蔓を、夜陰に乗じて持ってきたとか。

「あの気の小さい母が、と思うとなんだか必死なようで滑稽で……」と妻は笑うのだが、父といわれる世の男が、恥も外聞もないこんな盗みをするだろうか。

私も世の男並みに女性を笑うことはあるが、子供のために世の掟を破るという無意識的な生活力には、とても批判の歯は立たないのである。〉


1970年に発表された「母性」というエッセイの中で、吉野弘はこんなふうに記しています。

〈 父は無言で暫く歩いた後 思いがけない話をした。
――蜉蝣(かげろう)という虫はね。生まれてから二、三日で死ぬんだそうだが それなら一体 何の為に世の中へ出てくるのかと そんな事がひどく気になった頃があってね――〉

人間のように「何の為に」なんて考えなくていいのが、昆虫のうらやましいところなのですが、あえて何の為かと理屈をつけるとすれば、もちろん「子孫」を残すためということになるのでしょう。

すでに見たように、生のある2~3日の間にメスは、交尾から産卵まで終えなければなりません。「群れ飛び」をする集団に飛び込んでオスをとらえ、素早く交尾、産卵場所を求めて飛び回った末、5000個をこえる卵を産みます。考えて見れば、とてつもない「仕事」をしているわけです。

高齢化、少子化が著しい現代ならともかく、戦時中の貧しく厳しい時代に多くの子ども産み、育てなければならなかった詩人の母の世代の女性たちにとってもきっと、「子供たちに食べさせたい一念で、他人の畑から、薩摩芋の蔓を盗んで」くることはあっても、「一体 何の為に世の中へ出てくるのか」などと考える余地はなかったでしょう。

〈 僕は父を見た。父は続けた。
――友人にその話をしたら 或日 これが蜉蝣の雌だといって拡大鏡で見せてくれた。説明によると 口は全く退化して食物を摂るに適しない。胃の腑を開いても 入っているのは空気ばかり。見ると その通りなんだ。ところが 卵だけは腹の中にぎっしり充満していて ほっそりした胸の方にまで及んでいる。それはまるで 目まぐるしく繰り返される生き死にの悲しみが 咽喉もとまで こみあげているように見えるのだ。淋しい 光の粒々だったね。私が友人の方を振り向いて<卵>というと 彼も肯いて答えた。<せつなげだね>。そんなことがあってから間もなくのことだったんだよ、お母さんがお前を生み落としてすぐに死なれたのは――。〉

「I was born」が『詩学』に投稿されたのは、1952年。1950年の朝鮮戦争特需もあって、焼け跡からの復興にもようやくメドがたち、戦後の食糧難も改善されたころのことです。ようやく父と子の間で、「生」を客観的に語る余裕も生まれてきた時代だったのでしょう。

そんなころ、「身辺第一主義でゆく」ような母を失った詩人が、「その時々の社会秩序に枠づけられ、いわゆる良識の中に」生きている父との間で交わされた対話だったのです。

2017年6月3日土曜日

吉野弘「I was born」⑦

     父

  何故 生まれねばならなかったか。

  子供が それを父に問うことをせず
  ひとり耐えつづけている間
  父は きびしく無視されるだろう。
  そうして 父は
  耐えねばならないだろう。

  子供が 彼の生を引受けようと
  決意するときも なお
  父は やさしく避けられているだろう。
  父は そうして
  やさしさにも耐えねばならないだろう。

詩集『消息』で、「I was born」の前に置かれている詩です。

父親と息子はたいてい、ある年齢にさしかかると互いに避けあったり、深い溝のようなものが生じるようになるものでしょう。この詩にあるような、「何故 生まれねばならなかったか」を深く問いかけ始めたころ、ないしは、女性や性に対してうしろめたいような特別な気持ちをいだく、思春期にさしかかるあたりからでしょうか。


〈 或る夏の宵。父と一緒に寺の境内を歩いてゆくと 青い夕靄の奥から浮き出るように 白い女がこちらへやってくる。物憂げに ゆっくりと。

 女は身重らしかった。父に気兼ねをしながらも僕は女の腹から目を離さなかった。頭を下にした胎児の 柔軟なうごめきを 腹のあたりに連想し それがやがて 世に生まれ出ることの不思議に打たれていた。〉

「父に気兼ねをしながら」も、大きくなった女性のお腹が気になって仕方のない「I was born」の少年。それは、思春期の最中にある13、14歳くらいでしょう。「何故 生まれねばならなかったか」といったことを深く自問しながらも、決して「父に問う」ことはできずに「ひとり耐えつづけ」るナイーブな少年なのでしょう。

〈 少年の思いは飛躍しやすい。 その時 僕は<生まれる>ということが まさしく<受身>である訳を ふと諒解した。僕は興奮して父に話しかけた。
――やっぱり I was born なんだね――
父は怪訝(けげん)そうに僕の顔をのぞきこんだ。僕は繰り返した。
――I was born さ。受身形だよ。正しく言うと人間は生まれさせられるんだ。自分の意志ではないんだね――
 その時 どんな驚きで 父は息子の言葉を聞いたか。僕の表情が単に無邪気として父の眼にうつり得たか。それを察するには 僕はまだ余りに幼かった。僕にとってこの事は文法上の単純な発見に過ぎなかったのだから。〉

「I was born 」の発見。そこには、「<生まれる>ということが まさしく<受身>である」という、「世に生まれ出ることの不思議」を解く糸口になるやもしれないような驚きが、少年にはあったのにちがいありません。

それは同時に、「生」というものに対して父親に問いかける言葉を持ちあわせた瞬間、でもあったのではないでしょうか。「I was born 」という言葉の発見。それが「気兼ね」を越えてとっさに、「生まれ出ることの不思議」について父親に切り出すきっかけになったのです。

〈 父は無言で暫く歩いた後 思いがけない話をした。
――蜉蝣(かげろう)という虫はね。生まれてから二、三日で死ぬんだそうだが それなら一体 何の為に世の中へ出てくるのかと そんな事がひどく気になった頃があってね――
 僕は父を見た。父は続けた。
――友人にその話をしたら 或日 これが蜉蝣の雌だといって拡大鏡で見せてくれた。説明によると 口は全く退化して食物を摂るに適しない。胃の腑を開いても 入っているのは空気ばかり。見ると その通りなんだ。ところが 卵だけは腹の中にぎっしり充満していて ほっそりした胸の方にまで及んでいる。それはまるで 目まぐるしく繰り返される生き死にの悲しみが 咽喉もとまで こみあげているように見えるのだ。〉

息子の「I was born 」の問いに対して、父親のほうも、それに直接こたえるというかたちではなく、「蜉蝣」を引き合いに出した間接的な話で応じます。

それは母と子ではおそらくありえない、息子と父親ならでは「生」をめぐる対話でしょう。それも、この上なく深みのある親子のやり取りです。

2017年6月2日金曜日

吉野弘「I was born」⑥

〈あるとき私は、I was born という英文が受身型の叙述であることに気付きました。これがもし、母国語で「私は生まれた」と書かれてある文章なら、そんなことに気付きもしなかったのでしょうが、そこが外国語の面白いところです。

母国語は、一応誰でもが、日用の方便として使いますから、物事の本質を示すものとして、考えられることはきわめて少ないのですが、外国語にふれることによって、母国語を見直すばかりでなく、言語そのものの活力にふれることができます。

さて、前述のI was born ですが、一体なぜ、こんな言葉に、こだわらねばならないのかと思うくらい、こだわっていましたが、ついに投げ出して、というよりはむしろ、この厄介者から逃げ出して、随分長い間、うっちゃって置きました。

それから多分、半年ぐらいあとのことだったと思いますが、私は大町文衛という方の『日本昆虫記』に出会い、その中の「はかない虫」の項を読んでいました。蜉蝣(かげろう)の話なのですが、こんなようなことが書いてありました。

蜉蝣の口は全く退化して食物を摂取することが出来ず、胃を解剖しても、入っているのは空気ばかり。

これでは短命なのも無理はないが、雌の腹の中をみると、卵だけが充満していて胸の方まで及んでいる云々。

私の目に突如、蜉蝣の腹の中の小さな卵の粒々が迫ってきました。亡くなった母を、私は思い、母の胎内の私を想像していました。これは、母に対する追悼の気持からだったと思いますが、間髪を容れず、例のI was born が飛びこんできました。

そうして私は以前長くこだわっていたことの意味を、一瞬理解しました。決定だった心像は、蜉蝣の卵です。

それは、ひとつの意志でした。生み出されるというひとつの宿命の心像でありながら、それは、みずから生をうけようとしている意志の心像だったわけです。

私はこの心像によって、生を負い目と感じていた私から一瞬解放されました。一種の虚無感を、卵と、母の中の私の心像が、力強くはね返してくれたのです。いくらかの曲折を経て、これは「I was born 」という散文風の詩になりましたが、この中心は、先刻もふれましたが、卵です。

死と生とが釣り合っているという心像というよりは、生が死を圧倒しているものとして、私の中に働きかけたのです。ですから、この場合は、矛盾というよりは、矛盾を突き破る力として私に感じられたものと記憶しています。〉


吉野弘は、「I was born 」を作ったころのことについて、自著『現代詩入門』の中でこのように記しています。

 少年の思いは飛躍しやすい。 その時 僕は<生まれる>ということが まさしく<受身>である訳を ふと諒解した。僕は興奮して父に話しかけた。
――やっぱり I was born なんだね――
父は怪訝(けげん)そうに僕の顔をのぞきこんだ。僕は繰り返した。
――I was born さ。受身形だよ。正しく言うと人間は生まれさせられるんだ。自分の意志ではないんだね――
 その時 どんな驚きで 父は息子の言葉を聞いたか。僕の表情が単に無邪気として父の眼にうつり得たか。それを察するには 僕はまだ余りに幼かった。僕にとってこの事は文法上の単純な発見に過ぎなかったのだから。

外国語にふれることによって「受身型」であることを発見した「I was born」。「一体なぜ、こんな言葉に、こだわらねばならないのかと思うくらい、こだわって」いたものの、「この厄介者から逃げ出して、随分長い間、うっちゃって」いたのです。

それから、半年ぐらいしたときに知った「蜉蝣の話」がきっかけとなって、「間髪を容れず」に、寝ていた「例のI was born が飛びこんで」くることになる。そして、作品として花開いたわけです。

 父は無言で暫く歩いた後 思いがけない話をした。
――蜉蝣(かげろう)という虫はね。生まれてから二、三日で死ぬんだそうだが それなら一体 何の為に世の中へ出てくるのかと そんな事がひどく気になった頃があってね――
 僕は父を見た。父は続けた。
――友人にその話をしたら 或日 これが蜉蝣の雌だといって拡大鏡で見せてくれた。説明によると 口は全く退化して食物を摂るに適しない。胃の腑を開いても 入っているのは空気ばかり。見ると その通りなんだ。ところが 卵だけは腹の中にぎっしり充満していて ほっそりした胸の方にまで及んでいる。それはまるで 目まぐるしく繰り返される生き死にの悲しみが 咽喉もとまで こみあげているように見えるのだ。淋しい 光の粒々だったね。私が友人の方を振り向いて<卵>というと 彼も肯いて答えた。<せつなげだね>。そんなことがあってから間もなくのことだったんだよ、お母さんがお前を生み落としてすぐに死なれたのは――。

「蜉蝣の話」は実際には、「父」から聞いたのではなく“コオロギ博士”として知られた昆虫学者、大町文衛の『日本昆虫記』を読んで、のことだったようですが、吉野が母を早く亡くしているのは事実なのでしょう。

〈ある経験が詩作品のモチーフになったり、若干アレンジされて作品化されるケースは少なくないが、吉野弘の詩ではとりわけ経験なり体験が、事実にそくしながら作品化しているケースが多いように思われる。「お母さん」は実際には作者が十三歳のときに亡くなったが、作品ではもちろん事実そのままに設定する必要はまったくない〉(『現代詩の鑑賞101』)と八木忠栄は記しています。

2017年6月1日木曜日

吉野弘「I was born」⑤

僕は父を見た。父は続けた。
――友人にその話をしたら 或日 これが蜉蝣の雌だといって拡大鏡で見せてくれた。説明によると 口は全く退化して食物を摂るに適しない。胃の腑を開いても 入っているのは空気ばかり。見ると その通りなんだ。ところが 卵だけは腹の中にぎっしり充満していて ほっそりした胸の方にまで及んでいる。それはまるで 目まぐるしく繰り返される生き死にの悲しみが 咽喉もとまで こみあげているように見えるのだ。淋しい 光の粒々だったね。私が友人の方を振り向いて<卵>というと 彼も肯いて答えた。<せつなげだね>。そんなことがあってから間もなくのことだったんだよ、お母さんがお前を生み落としてすぐに死なれたのは――。

多くのカゲロウの成虫の寿命は2~3日。この間にメスは、交尾から産卵まで終えなければなりません。

人間にたとえるなら、男女の出逢い、恋愛、結婚、出産をこの短い時間のなかでやり遂げなければならないことになります。大変なことです。

特に春の天気は変わりやすく、暖かい晴天は長くは続きません。成虫になったときの天候や環境も、その命運を大きく左右します。岡崎博文著『カゲロウのすべて』=写真=を参考に、カゲロウのそうした産卵の経過をたどってみましょう。


カゲロウの成虫は、早春や晩秋のころは正午ごろを中心に、初夏から秋にかけては日の出と日の入りごろを中心とした時間帯にオスが「群れ飛び」をします。「群れ飛び」は、川原のの岸辺や橋の上、道路上などで見られます。

「群れ飛び」をする集団はオスばかり。横のほうからメスが飛び込んでくると、集団のオスの一匹が素早くとらえて両者は群れから離れます。

オスは長い前脚と腹部のはしにある把持子(はじし)で、メスの腹をはさみつけるようにして体を固定し、交尾態勢に入ります。交尾は短時間で終わります。

交尾を終えたメスは産卵場所を求めて、川の上を行ったり来たり、直線的にあわただしく飛び回ったりします。産卵のしかたには大きく分けて三つのタイプがあります。

①腹部の末端から少しずつにじり出した卵のかたまりを、水際で、尾の部分を水面につけるようにして産卵を数回繰り返す。あるいは、飛びながら水面に尾部をつけて産卵する。

②直径2~3ミリの1つに固まった卵塊を腹部の末端から産んで、水面の上に落とし、一度でで産卵を終える。水に落ちた卵塊は膨らんで、お互いにくっつきあって小石などにくっつく。

③メス自身が水中に潜り、流れの中で石の裏に直接産み付ける。子どものころ川原の小石を持ち上げたとき、産卵しているカゲロウに出くわしたことのあるかたもいるかもしれない。

カゲロウの卵は長楕円形をしていて、長径約0.3ミリ、短径約0.2ミリ。卵の数は2000個から7500個程度になります。

卵の表面は、粘着性の細糸をもつもの、円形の突起をもつもの、多角形、放射状、凹凸、点状など複雑な模様が見られるもの、細糸で互いに結合しあうものなどさまざま。

岸部近くに産卵する種の卵は、表面がなめらかなものが多く、流水中に産み落とされる種の卵は、水中の小石や植物にくっついたり、互いに離れにくくなったりする構造をもっているようです。

たとえば、モンカゲロウは4月終わりから5月初めにかけて、1匹のメスが5000個をこえる卵を産みます。『カゲロウのすべて』によれば、成虫メスから採取した卵をシャーレに入れて孵化のようすを観察すると、採取日から12~20日で、孵化は一斉に起こり孵化率も高かったといいます。

しかし、たとえうまく幼虫になっても、カワゲラ、ヘビトンボなどの昆虫やウグイ、イワナ、カワムツなど淡水魚、カワガラスなどに食べられてしまいます。無事に成虫になって陸上に出ても、クモの巣にかかったり、セグロセキレイなどが待ちかまえています。

オスの「群れ飛び」やメスの産卵のときも、魚や小鳥たちにねらわれる。産卵された卵のほとんどは、天寿を全うすることなく死んでゆきます。

〈ところが 卵だけは腹の中にぎっしり充満していて ほっそりした胸の方にまで及んでいる。それはまるで 目まぐるしく繰り返される生き死にの悲しみが 咽喉もとまで こみあげているように見えるのだ。淋しい 光の粒々だったね。〉

詩の「父」が、「友人」に拡大鏡で見せてもらったカゲロウのメスを見て感じた「目まぐるしく繰り返される生き死にの悲しみ」。それは「淋しい」。けれど、そんな危ういところに置かれている「生」は、光り輝いています。