2017年7月31日月曜日

日夏耿之介「神学教授」「挨拶」

 きょうも『転身の頌』から二つ詩を読みます。

   神学教授

空気は春にぬるみ
雲しどけなく泪(なんだ)ぐみ
水流は環舞宴(くわんぶえん)にのぞみ
大いなる顔上天(じやうてん)に形(あらは)れて
神学教授の瞳まことに青し

   ◇

「神学」は宗教、特にキリスト教で、その教理を体系化し、信仰の正統性や真理性、さらに、その実践について研究する学問。ヨーロッパの大学で神学部は、最も古くからある学部の一つです。

「環」は、輪の形、めぐって端がないこと、一まわりまわる、めぐる、めぐらす、かこむこと。「環舞」という踊りがあるのでしょうか?。

「上天」には、そら、天、天上、天上界の中ですぐれている方の天などの意があります。


   挨拶

われ感ず
存(ながら)ふる積儲(もの)の挨拶を
わがこころの曠野に落日(いりひ)して
わが哀憐(あいれん)の花苑(はなぞの)にひと村雨(むらさめ)しければ
はたた神 世を領(しろ)し
雨後の清純こそ来りたれ
われ感ず
存ふる積儲の挨拶を

   ◇

「積儲」は、本来は「蓄(たくわ)える」という意味のようです。

「村雨」は、強く降ってすぐ止む雨のことをいいます。「群れた雨」の意で、群雨、叢雨とも書きます。歌川広重の「東海道五十三次/庄野・白雨」=写真、wiki=の白雨も村雨のこと。



「はたた神」は、はたたく神の意味で、激しい雷を指します。夏の季語で、たとえば山口青邨に「はたた神下りきて屋根の草さわぐ」という句があります。

2017年7月30日日曜日

日夏耿之介「伝説の朝」「痴情小曲」

 きょうも『転身の頌』から二つ詩を読みます。

   伝説の朝

古伝の春の朝まだき
あまた郡民のまづ臥し匿れて
血汐吐く玉冠も
顔色(いろ)蒼白めし古塔の破風(はふ)も
姦妊の宵の内扉(うちど)も
石級下に泪(なんだ)さしぐむ処女林も
すべて心暖かき春の日の光うれしみ興じ
浪漫底格(ろまんちく)の絹衣 古雅のうち被(かづ)き
悠久の姿力(すがた)あり 現界(ここ)にあらはる
かかる祈り
樹の間に来啼く紅樹歌童(うぐひす)の
いと快くいと婉雅なる
されどまた弾力ある顫音(せんおん)を心に聴く歟
烏乎(ああ) 伝統の美と
美より生れし異(あや)しき生命(いのち)とを讃美す

   ◇

「破風」=写真、wiki=は、東アジアに広く分布する屋根の妻側の造形のこと。もともと切妻造、入母屋造の屋根の妻側部分を広く示す名称です。

屋根の平側に、ドーマーのようにあえて部分的に切妻造の屋根をつけ、破風として屋根装飾を施す例が日本の神社や城郭建築に見られます。

「石級」は、石の階段、石段のこと。「この石級は羅馬(ローマ)の乞児(かたい)の集まるところなり」(鴎外訳「即興詩人」)

「処女林」とは、自然のままの森林、原生林のことです。


   痴情小曲

春のあしたの日も寒く
沈沈とものみな黙(もだ)す牢獄(らうごく)の
窓に靠(よ)り青き爪喰(つめは)む囚人(めしうど)か

真昼の街の片かげに
ちやるめらの音(ね)を在りし日に忍(しの)びては
白足袋(しろたび)の穢(よご)れも厭ふ売女かな

ながれて澱(よど)む悪水(あくすゐ)の
濁臭(だくしう)に白宵(ゆふべ)の唄をながめては
身の末を嘆(かこ)ち顔なる船子(ふなこ)かな

梵音(ぼんのう)みだる僧院の
内陣にかげとぼとぼと燃えかがむ
黄蠟(くわうらふ)のひびきを愛(め)でむ朽尼(くちあま)か

日は沈み
月出(い)でにけり

     ◇

「靠」には、寄りかかる、もたれる、という意味があります。

「船子」は、船長の指揮下にある人、水夫、船方。土佐日記に「楫取り、船子どもにいはく」とあります。

「梵音」は、五種清浄の音を発するという、梵天の王の声。読経や仏教の音楽の意で使われることもあります。



「黄蠟」は、蜜蜂から分泌され、蜜蜂の巣の主成分をなす蠟のことです。

2017年7月29日土曜日

日夏耿之介「園囿閑春」「悲劇役者の春の夜」

 きょうも『転身の頌』から二つ詩を読みます。

   園囿閑春

夜半の村雨小心の忍び足にうち過ぎぬ
哀思に濡れ霑(そぼ)ちたる花苑(はなぞの)の央(もなか)にありて
閑暇は過去(こしかた)を孕(はら)みつ現当(げんたう)の夢に仮睡し
月は追憶に蝕ばまれて色青く嘆嗟(なげかひ)す也
わが幻人(げんじん) かかる折りしも悲しく
いと古風なる寝衣紅(あけ)に艶めかしく
白鞣(しろなめし)の小靴(をぐつ)なめらかに履き鳴らし
青き夜帽(ナイト・キヤツプ)前飾りおどろおどろしき
かの紫夢(むらさきのゆめ)に鍍金(めつき)せられ現出(あらは)るめり
幻人の声 琳璆(りんきう)と黄金(きん)に光り音し
地の黒影(こくえい) 鬱悒(うついふ)のバス咳(しはぶ)きすれば
遙か彼方の街角(がいかく)より風狂者の銀笛響き来り
悠長なる行潦(にはたづみ)に宣叙調(せんじよてう)の点線奔(ほとば)しりいでて
夜半の雨有(また)もや一切(しき)り閑談に耽りゆく覩(み)ゆ

   ◇

「囿」(ゆう)はもともと鳥獣を放し飼いにするという意で、「園囿」は草木を植え、鳥や獣を飼うところをいいます。

「現当」は、仏語で、現世と来世。この世とあの世。現未。げとう、とも言います。

「白鞣」は、色染めをしてないなめしがわ。

「幻人」とは、ふつう人の目をくらます術を使う人のことをいいます。妖術、忍術、魔法、奇術、手品などを含みます。もともと西域に起こったもので、唐を通じて伝来、天平時代にはかなり盛んになっていたようです。

「琳璆」は、玉がふれあって鳴るすがすがしい音、あるいは水のさわやかな音の形容として用いられます。

「鬱悒」は、心配事などがあり、心がふさがることをいいます。

宣叙調は、レチタティーヴォ、叙唱のことでしょう。オペラ、オラトリオ、受難曲、カンタータなどでみられる形式で、歌というよりも朗読のように歌われます。

 「その天然の美音もて、百錬千磨したる抑揚をその宣叙調(レチタチイヲオ)の上にあらはしつ」(鴎外「即興詩人」)


   悲劇役者の春の夜

道化たる古雅の衣(きぬ)まとへる悲劇役者のひと群は
春の夜の雨の巷をさざめきて縫ふ
人間の命より溢れ出でし膩(あぶら)とかせし春の雨
青く愁ひ怡びに痩せ 白脛顫動(しろはぎをののか)す女等を矚(み)よ
また 頬赤き美少人(びせうじん)の疾走哉
美興(びきよう) すべて春空(そら)より降(くだ)り 快感 地(つち)に湧く歟
巷巷に灯(ともしび)笑ひ
飾窓 銀にざんざめけば
甃石(しきいし)のアスファルトもバスす也
心煕(こころたの)しきこの宵を
道化たる悲劇役者の一群が
ぞめきの姿湮(さ)えゆけば
古き世の笛吹き奏(なら)し
若き按摩(あんま)も踊り出づ
鬚白(ひげしろ)き哲学教授が皺だめる額に刻む
索迷の苦茗(くめい)醍醐味
巷巷に怡悦(よろこび)あふれ
生活は街頭に海波を逶迀(うね)る

   ◇

「膩」には、脂っこい、しつこい、飽き飽きする、うんざりだ、ねばねばする、細かい、垢(あか)などの意があるようです。

「巷」には、人が大ぜい集まっている賑やかな通り、町中といった意味のほかに、道の分かれる所、分かれ道、岐路という意もあります。

「ぞめき」は、浮かれさわぐこと。遊郭や夜店などをひやかしながら歩くこと。

「湮」の音読みは、「イン」。うずもれて、跡形もなくなることをいいます。

「苦茗」は、苦い茶、質の悪い茶。

仏教では、牛や羊の乳の精製過程を、乳味、酪味、生酥味(しょうそみ)、熟酥味、醍醐味の五段階の味で表わします。

このうち「醍醐味」は、精製の段階を経て美味となった最高級の風味や乳製品を指し、このことから物事の真のおもしろさや仏教での衆生に例えられることもあります。

*写真は「ハドリアヌス帝のヴィッラのモザイクに描かれた悲劇と喜劇用の仮面(wiki)

2017年7月28日金曜日

日夏耿之介「古風な月」「聖痕」

 きょうも『転身の頌』から二つ詩を読みます。

   古風な月

泪(なんだ)にみてる無際涯の気海を
漕ぎゆくは ぴかぴかとひかる
もの古りし鍬形兜に前飾られし
三日月のごとき夫(か)の光の快艇(ヨット)なり
風 天心より吹きいでて
岡と森とその緑を環(めぐ)る掘割と
掘割に泛ぶ難破せし笹舟と
夜警の巡邏(じゆんら)のごとく彳(た)ち睡れる煙突と
天主公教会の堂母の破風(はふ)とを
揺曳ある迷景に顫動せしむるとき
(こは雨をふくみて黙せる卯月の夜なり)
われは なにとはなくも固定表情の
神楽舞に用ゆる滑稽にして神厳なるべき
翁面(おきなめん)の抽象凝視を想ふ
こころ このとき歩みを歇(とど)め
たよりなき小乗の感傷性に殉死せむとし
ひたすらに肉情の奔躍を蔑視しつつ
絶望を育める更生者のありて
月蝕の夜の十字街に索迷せるさまに
また かの蘇生(よみが)へりしモナ・リイザの幻に眼(まなこ)釘打たれて
くごもりつ くごもりつ
巌間(いはま)を迸(ほとば)しる小泉の爆声は
息つまり からくも叫ぶ也
ああ 古風なる月よと

   ◇

この詩の入った「古風の月」という節のタイトルには「ユピテルは、恒に、サツルヌスの胃を免れる。――アルテュル・ゴビノオ『文芸復興』第二版序」という但し書きがあります。

「鍬形」は、鍬をかたどったところから、「兜」(かぶと)の前部につけて威厳を添える一種の前立物をいいます。時代劇などでよく見かけるように、金属や練り革で作った2本の板を、眉庇につけた台に挿して角のように立てたもので、長鍬形、大鍬形、獅噛(しがみ)鍬形、三つ鍬形などの種類があるそうです。

「天主公教会」は、ローマ-カトリック教会の明治・大正期の呼び名です。公教会とも略されます。

「顫動」は、小刻みにふるえ動くこと。

「神楽舞」(かぐらまい)は、神前で奏する、日本古来の舞い。


   聖痕

かかる宵
熱疫(や)める満月はあまた磋嘆(さたん)し
星どもことごとく嘲笑せり
心忙しく茂林を漫歩(そぞろあ)りきつつ
わが哀傷の聖痕(すてぐまた)を凝視(みつ)めたり
また われは如何なる物欲に心牽かれざるべし
この地球のきしめき自転(めぐ)るにつれても
素秋(あき) 中空にはびこりつ
まま 冷たき夜風這ひ蟠居(わだか)まりぬ
わびしき限りなければ
白く暖き寛衣(がうん)に この身ふかく匿(かく)れ
いづくの里に赴くならむ
たえず つぶやきて
ああ『月魄(つき)は涓(なが)れぬ』と

   ◇

「磋嘆」はなげくこと、あるいは感心してほめるという意味。嘆息磋嘆ということばもあります。

「蟠居」(ばんきょ)は、根を張って動かないこと、わだかまること。その地方一帯に勢力を張っていることをいいます。

「寛衣」(かんい)は、ゆったりと大きく仕立てた着物のことで、ここではガウンをイメージさせています。



「涓」は、音読みだと「ケン」。小さい流れ、水のしずく、わずか、きよめる、などの意があります。

2017年7月27日木曜日

日夏耿之介「涙を喰ふ者」「火の寵人」

 きょうも『転身の頌』から二つ詩を読みます。

   涙を喰ふ者

透明清純にして 味甘(あぢあひうま)く かつ にがし
白宵(ゆふべ)白宵にあまたの涙を喰(くら)はなむ
かつて数おほく薄明舞台をよろめき歩める者
いま明るき洋燈(らむぷ)とともに夜を奔らなむ
薄暮(くれがた)の草原(くさはら)に戯(たはむ)る処子らは
生命(いのち)とともにいそしみて
いそいそとその泪(なんだ)を捧ぐ也
捧げもの小胸(こむね)にみたば
愛は跣足して生活を踏みしだき
常春楽土きたるなるべし
頽唐を課税し 絶望を負債せしむる
淫蕩世界を泛み出でて
狂ひたまむるる
あまた そこらなる
あまたの涙(なんだ)を喰ふ者

   ◇

「処子」は、未婚の女性、おとめ、処女の意の他、処士すなわち民間にあって、仕官しない人を言うこともあります。

「跣足」は、はだし、すあし。

「頽唐」は、勢いが衰え、くずれ落ちること。健全な思想が衰え、不健全な傾向に進んでいくようすをいいます。

「淫蕩」のほうは、酒色にふけってだらしがないことです。


   火の寵人

惟(これ)を嗜む千万冠子蟲(かんしちゆう)を その嗟嘆(なげかひ)を
破灌子(はくわんし)等肥満(ふと)り弾力ある裸身(はだかみ)にして
牡豹(をへう)の如く白日の青床に横る時
肉障の各処より汗と発散する異風の香に咽ぶ
其柔く粘気ある真白き蹠(あなうら)に呂(べえぜ)せん歟
かの放肆なる笑ひを綴る
腓脛(こむらはぎ)の輝く感触に眩暈す
凡そ髪毛の洒落(しやらく)なる刺衝心理の落付たる享感を喜(この)む
あらゆる内気なる皮膚の羞める恍惚の繊美に傾倒す
此等感覚性蠱惑(こわく)の法悦よ
更に更にこれらなに者よりも
希くば 神よ 神よ
崇(けだか)く健康にして叡智夥しき妙人の
艶ある雙頬(さうけふ)の通路を下る白光真珠の一群を搾取せしめよ
涙(なんだ)の中心にて感ずるは悉皆(しつかい)世界の好色横断面也
そのいとをかしき重積なり
宝石鉱の燦爛(さんらん)ある至高情緒の心ゆく顫音也
六月月夜(げつや)の燐光ある耽楽(たんらく)の抽象的内在美也
想像(おもふ)は
白く冷き星涙に濡れそぼてる丹朱花の生香ある花弁に呂する。
健かなる紅顔子の黒瞳(こくとう)より
自然(おのづから)に奔(ほとばし)り出る白熱の水液也
視よ 覩よ
かかる玉瑶大地に落ち散り
力あれど青さめし炎(ほむら)と火(も)え昌(さか)るを
今全世界を死力にて我心臓を重圧すと夢見たり
然れども常にかかる涙(なんだ)の酵出する火によりて
酷愛せらるるを喜ぶもの我也
火よ! 火よ!

   ◇

この詩には「ひと日日光の熱を楽しむ老いさらばひたる檞樹の下にて歌へる歌」との前書きがあります。

「寵人」は、ちょうにん、または、ちょうじんと読み、愛している人のことです。

「冠子」は、鶏のとさかの意味とか。

「肉障」は、唐の楊国忠が多くの美女を周囲に並べて、寒さ防ぎの屏風がわりにした故事のこと。肉屏風、肉陣。

「悉皆」は、ふつうは、残らず、すっかり、全部の意で用いられます。

「紅顔」は、年若い男の血色がよくて皮膚につやがある顔の意ですが、古くは美しい婦人の容貌にも用いたそうです。

2017年7月26日水曜日

日夏耿之介「うるわしき傀儡なれど」「翫賞」

 きょうも『転身の頌』から二つ詩を読みます。

   うるわしき傀儡なれど

うるはしき傀儡なれど
みにくかる生存なれど
わが右手(めて)の脈搏を相応(ふさは)く乱調せしめ
わが小むねの赤き血汐を溷濁(こんだく)せしめ
わが青春の光ある肌膚(きふ)を窘蹙(きんしゆく)せしめ
つひにわが肉体より
力と美とを駆り落し
すべて
まことわが心を圧死せしむ

うるはしき傀儡なれど

   ◇

「溷濁」は、混濁と同義で、いろいろなものがまじってにごる、といった意味がありますが、「溷」は、川の流れの上に作った小屋の意からか、「かわや」とも読まれます。

「傀儡政権」などといわれますが、「傀儡」は、あやつり人形、くぐつ、でくのこと。また、自分の意志や主義を表さず、他人の言いなりに動いて利用されている者のことをいいます。

「窘蹙」は、すくむ、ちぢまる状態。



   翫賞

われ旃(これ)を嗜む
この婉美(えんび)なる無思念とその弾力ある激感と
戯謔(ぎぎやく)好きなる鮮血を珍蔵する腿肚(こむら)と
かなたこなたなる自由なる表皮の磁力と温度とを
旃によりて涙感するは
呂(べえぜ)によりて出産する法悦と
抱擁の醗酵する解脱と
電光のごとき人間神化の痙攣のすべて也
されど ああ 夙く小夜の出牕を闔(と)ぢて
かの紅法衣よりほの瞥ゆる
旃が内なる世界をしていと熟睡(うまい)せしめよ

   ◇

「翫賞」は、風景・美術品などを味わい楽しむこと、鑑賞。

「戯謔」(ぎぎゃく)は、たわむれ、おどけ。「こは、固 (もと) より戯謔に過ぎざりき」(鴎外訳「即興詩人」)

中国語では、ふくらはぎのことを「小腿肚子」というようです。

「呂」(りょ)は、中国や日本の音楽理論用語で、中国では、12律のうち偶数番目にあって陰性をもつと考えられていた6個の律をいいます。日本では雅楽や声明の音階の1つを意味します。

2017年7月25日火曜日

日夏耿之介「坂路に於ける感触」「白き足」

 きょうも『転身の頌』から二つ詩を読みます。

   坂路に於ける感触

日は 黄色(わうじき)に膿み爛(ただ)れ世界(よ)に腹這ひ
凡て物象は三稜形灰白の墳墓を築く

わが肉は青白き衰耗面紗(すゐもうめんさ)に臥し隠れて
わが心は裂傷の神経性疼痛に戦きけり
しかれどもわが便乗の街上電車のみは
限りなく凄まじき偏盲の惰力に奔馳(ほんち)す

その警鈴(べる)は 紅き点線の誇張ある継続にして
車台は海嘯の相(かたち)して今坂路(はんろ)を溢れ下らむとす
不思議なる法悦はかの春潮の若(ごと)くはやく
悪運の前知に慄(わなな)くわが胸の小函をみせたり

わが心はかの若く美しき阿嬢子が
天鵞絨(びろうど)の繊巧ある水落の周辺なり

   ◇

「衰耗」衰え弱ること。

「面紗」はベール、「黒色の長い面紗をかぶり」(永井荷風「ふらんす物語」)。

「海嘯」は、海鳴り、あるいは満潮のとき、河口に入る潮波の前面が垂直の高い壁状になって砕けながら川上に進む現象をいいます。

「阿嬢子」は、「お嬢さん」ということでしょうか。


   白き足

人人は木彫の静止を保ち
小景の両側(りやうそく)に群り集ふ

急行列車のひと列(つら)は
心みち気驕れる青年侍従が
ことさらなる厳峻の威容以て
いづくよりか奔り来りぬ

年老いし踏切番は
冷殺の微笑とともに
把手を手にとり持ちつつ
若き犯婦の白き足を
淡紅の半霄(なかそら)高くささげたり
されど列車は 躁狂者の悲鳴を放ち
いち早くその常軌により逸し去りぬ
踏切番の老人は私語しつつその静居にかくれ
人人はその硬直を自ら解きていま蠢動す

   ◇

「把手」(はしゅ)は、手に握る部分、取っ手のこと。

「躁狂者」は、ある事に非常に熱中している人、マニア、神がかり、気違い、といった意味があります。

「蠢動」(しゅんどう)は、虫などがうごめくこと、物がもぞもぞ動くこと。「不満分子が蠢動している」などと、つまらないもの、力のないものなどが騒ぎ動くことに使います。

2017年7月24日月曜日

日夏耿之介「漂泊」「遊民序歌」

 きょうも『転身の頌』から二つ詩を読みます。

   漂泊

「女性」と呼べる声あり
さながら凱歌のごとく世界(よ)に満つ
他は野犬の徒らに吠え続くるあるのみ
星は眼(まなこ)血走りて切(しき)りに星座を離れ
地は息づかひ激しく脈搏(みやくう)てり
ひたすらに 風吹(ふ)き浪あれ
あまつさへ 黄金(こがね) 山に吹き出で
白銀(しろがね) 谿(たに)に流れいでたるさへあるに
いま われ何地(いづち)いづくに漂泊(さま)よふらむか

   ◇

「漂泊」は、流れただよう、所を定めずさまよい歩く、さすらうこと、流浪。

「あまつさへ」は、「あまっさへ」の「っ」を、促音でなく読んでできた語で、別の物事や状況が、さらに加わるさま。特に悪い事柄が重なるときに多く用いられます。

「何地(いづち)」は、どこ、どの方向。方向や場所についていう不定称の指示代名詞。平家物語に「おのれはとうとう、女なれば、いづちへも行け」とあります。「いづく」も、どこ、どちらといった意で、同じく平家物語には「薩摩守忠度は、いづくよりや帰られたりけん」などとあります。


   遊民序歌

心つねにたはむる
 ――人かく云へり われもまたかく信ず――
偉(おほ)いなるたはむれよ
触手ある飛躍よ
飢者の餌(ゑば)を漁るがごとき
少人(せうじん)の春に憧がるるがごとき
警吏の自動車に轢殺せらるるがごとき
航空機の時ありて墜落するがごとき
おごそかなる確性(かくせい)の実事にして
崇(たふと)ぶべき真理のかげなり

すべて戯れは道義の一也

   ◇

「触手」というのは、主に無脊椎動物の、頭や口の周囲から伸びる柔らかい突出部分=写真、wiki=のことをいいます。感覚細胞が多く分布し、触覚や捕食の働きをします。

「轢殺」は、電車や自動車などの車輪でひき殺すこと。

「実事」(じつごと)は、一般には、真実であること、真剣であること。歌舞伎では、判断力を備え、人格的にすぐれた人物の精神や行動を写実的に表現する演技のことをいいます。

2017年7月23日日曜日

日夏耿之介「伶人の朝」「青き神」

 きょうも詩集『転身の頌』から二つ詩を読みます。

   伶人の朝

山門は四十歳の去勢者のごとき
その風貌と足踏みとをもて聳(そそ)り立てり
格天井に浮彫彩画ありて
十二匹の畜類は夫(か)のあらゆる奇蹟のごとく
単なる冷嘲(れいてう)をもて俯瞰す也
時は秋晴の朝(あした)なりき
若き伶人(れいじん)は小琴(をごと)掻き鳴らしつつ
その驕慢の一路を歩みきたれり
跫音(きようおん)は快き中音(アルト)に高く波打てり
この時丘の公孫樹(いてふ)は風なくて
金色の朽葉を振ひ落せしが
葉は太陽にきらめきわたり
白金の鴎を空気中に踊れりしか
伶人は歩みをとどめ得ざる也
その瞳は堂母の冷厳(れいごん)と伝統美とに
焼きつけられしもののごとくに爾(しか)くありき
斯(かか)る冒険の後脱出なせしこの人に
外光ふたたびかの奢侈なる美服を照し出(いで)しとき
門内の一隅に偃曝(ひなたぼこ)りしてただ仮睡せる
偏盲の女乞丐(をんなかたゐ)は何事か夢語をなせりき
朝(あさ)はきはめて寂寞なりき

   ◇

「冷嘲」は、冷ややかにあざけり笑うこと。

「伶人」は、雅楽を演奏する人=写真、wiki=、楽人、楽師。1870(明治3)年に太政官に置かれた雅楽局の楽人につけられた名称でもあります。

「偃」は、のいふす、あおむけに寝る、倒れ伏す。

「偏盲」は、片方の目が見えないこと。両目の大きさが著しく異なる人をいうこともあります。

「乞丐」は、こじき、ものもらい、物知らず、ばか者の意。


   青き神

ある夜寒―歌亡き宵(よ)也
嗤(あざわ)らふかの遊星の隙間(あひまあひま)を 閑閑と
わが世に来航(きた)る青き神神をわれ観たり
神の眼(まなこ)は 腐魚の臭ひを放ち
跫音(あしおと)は突風のごとく黝(かぐろ)き積雲を蹴上げつつ

窓に坐凭(ゐよ)り 限りなく愁ひ啼けば
神かたはらに彳みし

わが脈搏は 靭(つよ)く最高度に大波打ち
雪白(しろ)き肌膚(はだへ)のおのおのは
鋭(と)き夜の空気に軋(きし)みて
火を発(はな)たむとす

響なく色なく香なきいく刻に
この逢遭(はうさう)は人間の言の葉をも亡(な)みしたり
わが庭の小鳥のむれは気敏(けさと)くして
僅か七分の後に閑閑と遠離(とほざ)かりゆく神神のかげを睹(み)しか

音立てて燃ゆる空気と
狂ほしく叫ぶ大地と
かの仮睡に落ちゆかむとする昊天(おほぞら)の下(もと)にあり
啾啾(しうしう)と愁ひ泣き且跼蹐(きよくせき)する小さき我がかげを瞥(み)て
小鳥らの私語(さざ)めくを感ず也

   ◇

「凭」は」、もたれるという意。ここでは、窓にもたれているということでしょう。

「逢遭」は、めぐりあうこと、出会い。

「啾啾」は、小声でしくしくと泣くさま。



「跼蹐」は、跼天蹐地(きょくてんせきち)の略。高い天の下でからだを縮め、厚い大地の上を抜き足で歩く意。肩身がせまく、世間に気兼ねしながら暮らすこと、ひどくつつしみ恐れることをいいます。

2017年7月22日土曜日

日夏耿之介「黒瞳」「照る日の下に」

 きょうも『転身の頌』から二つ詩を読みます。

   黒瞳

燭(そく)の灯をとれ
灯は憤怒(いか)りて いくたびか乱舞したれば
火逝かば
寂莫(じやくばく)の夜の暗黒(やみ)の黒瞳(ひとみ)をみとれ
闇は 性急につぶやけり
暗黒は眼(まなこ)をしばだたけり
爾(なんぢ)は闇より生るる嗤笑を聆(き)きしか

   ◇

「寂莫」は、じゃくまく、とも読んで、寂しいほど、ひっそりしているさまをいいます。

「嗤笑」(ししょう)は、あざけり笑うこと、嘲笑。「此言を聞く者、咸(みな)予を嗤笑して以て狂と為し」(幸田露伴「運命」)


   照る日の下に

照る日の下に 暗黒世界あり
裸身(はだかみ)にして 人人奔(わし)り狂ふ
男あり女もまた在り
緘黙(かんもく)は世界に咳(しはぶき)す
わが右手(めて)を翻せば
人人俯仰(ふぎやう)して仆る
たとへば砂丘の上に横死する魚類の若(ごと)し
人人笑ひ泣き且つ怒る
私語するもあり
押しなべて一顫音(せんおん)を引くのみ
わが弓手(ゆんで)を振れば
轟(とどろ)きありて地は乾割(ひわ)れ
人人悉く没落し去る
懸念に勝(た)へざる也

   ◇

「緘黙」(かんもく)は、原因によらず、明瞭な言語反応が欠如した状態を指します。

「仆る」は、「たうる」。「たおれる」の文語形、倒る、殪る、斃る、とも書きます。

「顫音」は装飾音の一種トリルのことで、ある音と、それより二度上または下の音とをかわるがわる素早く鳴らします。

「弓手」は、弓を持つほうの手、左の手をいいます。

2017年7月21日金曜日

日夏耿之介「寂寥」「神領追憶記」

 きょうも『転身の頌』から二つ詩を読みます。

   寂寥

身を抱擁(だき)しめる秋の沙(いさご)
白くひかる
波の穂がしら
たはむれ遊ぶ異民の女(をみな)らよ
心は塩垂れ ためらひがちに
身は弱く生命(いのち)の息を圧(お)して
ああ 心寥(さび)し
漁人(ぎょじん)よ 白鴎(はくおう)よ 若き散策者らよ
大地も秋に 覚醒(めざ)め
海光のみかぎりもなく
日を孕(はら)みて蕩揺(たうよう)する海辺に

   ◇

「塩垂れ」は、みすぼらしいようすになる、元気がないように見えること。「しょぼしょぼと塩垂れた姿で帰って来る」(花袋「田舎教師」)。

「白鴎」は、全身白色で全長73センチほどある大型のカモメ。北極圏で繁殖し、冬鳥として北日本の沿岸でみられます。

「蕩揺」は、ゆり動かすこと、ゆれ動くこと。「春は何時しか私の心を―し始めたのである」(漱石「硝子戸の中」)


   神領追憶記

わが神を
かの幻惑と威力と抱擁との
凄まじき統一者の神領をわれ想ふ

黔首(まちびと) あまた住みあひて
定業(さだめ)られたる小事業いそしみぬ
われも亦心狂へるみそさざいのごとく
翔(と)びかつ舞へり
ひと日虚空に颱風の羽ばたきありて
神苑の長者天降(あも)りたまひぬ
形相(かたち)なく色調(いろ)とてなし
況(ま)してその道(ことば)をや
怕(おそ)れ慄へる心の上にわれはただ響を感ず
かくて畢(つひ)に凄惨だるかの末日は来りにけり
その夕(ゆふべ)あまた人の子おとしめられつ
そは悉く盲目(めし)ひたる牧人なりき
黔首はいと自誇(ほこ)れる悲鳴を放ちあひ
居残れる男 女と袂別(わか)れゆきぬ
ただ一人 裸形女人は発狂の発作著しく
『とどめたまへ』と繰り返し繰り返し
人人のあはひを縫ひぬ

いく人かおとしめられし
いく人か居のこれりしを
忘却(しら)ず ただ懐(おも)ふ
偉(おほい)なる野のわが神なつかしく
怕ろしき神領の白宵(ゆふべ)白宵を

   ◇

「神領」は、神社の領地、社領をいいます。明治維新以前、全国の神社にその運営の経済的基盤等のため、神地、神田、神戸、神郡、御厨、御園、朱印地、黒印地などとよばれる地があり、神社がそこを管理して収入を得、ときにその地の行政権、司法権ももっていました。

「黔首」(けんしゅ)は、むかし中国で庶民はかぶりものをせず黒髪を出していたことから、人民、庶民の意。

「怕れ」は、(神を)おそれ多く思うこと。

2017年7月20日木曜日

日夏耿之介「堕ちきたる女性」「野心ある咳」

 きょうも『転身の頌』から二つ詩を読みます。

   堕ちきたる女性

昏黒(くらやみ)の霄(そら)たかきより 裸形(らぎやう)の女性(をんな)堕ちきたる
緑髪(かみ)微風(そよかぜ)にみだれ
雙手(もろて)は大地をゆびさす
劫初(ごふしよ)の古代(むかし)よりいままで 恒に堕ちゆくか
一瞬のわが幻覚(まぼろし)か
知らず 暁(あけ)の星どもは顔青ざめて
性急に嘲笑(あざわ)らふのみ

   ◇

「昏黒」は、ふつうは「こんこく」と読んで、日が暮れて暗くなること、日没のことをいいます。

「霄」は、大空、はるかな天。

「劫初」は、仏語で、この世の初めのことをいいます。


   野心ある咳

心 孤(ひと)つ身
たまたま泪(なんだ)に浴(ゆあ)みしけり
慄(ふる)へ揺くさまざまの血脈よ
聖(きよ)き刹那の法悦に色青さめし生命(いのち)の貌(おもわ)よ
もの哀しき前(さき)の世のまぼろしよ
ああ 野心ある咳(しはぶき)の音(ね)よ

   ◇

「揺く」(あよ・く)は、ゆらぐ、ゆれることです。「群玉 (むらたま) の枢 (くる) に釘刺し固めとし妹が心は揺くなめかも」(万葉集、4390)



「刹那」はもともと、仏教でいう時間の最小単位で、一つの意識の起こる時間をいいます。『正法眼蔵』には、「一弾指の間に六十五の刹那ありて」と、1回指を弾く間に65の刹那があるとされます。

2017年7月19日水曜日

日夏耿之介「海底世界」「憤怒」

 きょうも『転身の頌』から二つ詩を読みます。

   海底世界

青き水面(みなも)を透(すか)して
日はほの赤くさせり

魚鱗(ぎよりん)のむれ 乱れ擾(さや)ぎて
海草の隙(あはひ)に匿れ しばしば
雑色(ざつしき)の埃及(えじぷと)模様を織りなせしかば
なかば錆びたる沈没船の砕片は
黒色(こくしよく)砂山のいただきに金字塔を築きたり
水死者の蹠(あなうら)たかきよりきたる

魚鱗のむれみだれさやぎ いま
若き新来者(まらうど)を相抱擁(いだき)たり
覩(み)よ ここにして不思議なる観念(こころ)の裡(うち)に
青ざめし死者の笑顔を
死者は踊れる也 狂へる也
魚は魚とむすび 貝は貝とむすび
悪(ああ) 人と人は相接すなり

まとゐは尽きねど
水死の人 人魚と化(な)り
砕片は塔をなす
滄溟(おほわだ)の底(そこひ)にして
人すべて鱗族(りんぞく)たるをえうす

ああ 日はほの赤くこの世界を訪るる

   ◇

「魚鱗」は、文字通りに読めば、うろこのことですが、うお、さかな、そのものを指すこともあります。また、兵法で、魚のうろこの形のように、中央部を突出させて人の字形に配置した陣形をいうこともあります。

「蹠」は、あしうら、あしのうら。

「滄溟」は、青海原。

「鱗族」は、うろこのある動物、魚類のことです。


   憤怒

白金の烈夏の熱砂の街頭に
緑髪のもの仆れたり
心敏(こころさと)き風とく砂礫を運び来て
物静けき埋葬に忙(いそ)げば
勇敢なる雄蟻はために行潦(にはたづみ)に憤死せり
ひそやかに含羞草(おじぎさう)の青さめし表情に心そそげ
愛すべきくさかげろふの狂舞歇みはて
疲憊(ひはい)に頭(かうべ)うなだれし雑草の小陰に
われは重傷せる地蜂の盲目(めしひ)たる歓語を聆(き)く
毀(こぼ)たれし舶来玩具の各(おのおの)に痴呆対話あり
燃えはてし葉巻の頑迷(かたくな)なる怨声(ゑんせい)を聆くや
女人の屍(しかばね)にも日光の顫音(せんおん)あり
噫(ああ) 黽勉(びんべん)なる日のひかりの営みを覩(み)よ
屍(しかばね)は神に還元(かへ)りゆく也
かかる自然の各部につきて観察せよ
午後の街上に憤怒はわが心情(こころ)を拊(う)つ

   ◇

「行潦」は、雨が降って、地上にたまり流れる水のこと。

「疲憊」は、動けないほどに疲れること、疲れ弱ること。

「聆く」は、きく、さとる、と読んで、聞く、悟る、了解するといった意味があります。

「黽勉」は、つとめはげむこと、精を出すこと、里見弴の「今年竹」に「黽勉よく努めて忽ち世の認むるところとなった」とあります。

2017年7月18日火曜日

日夏耿之介「さかしき星」「闇の化怪」

 きょうも『転身の頌』から二つ詩を読みます。

   さかしき星

すさまじき滄溟(おほわだ)に泛(うか)び漂ふ
小(ち)さく醜く古風なるわれに
さかしき星の青く淋しく揺れ揺れて
波間に泛き沈むをややながめてあれば
生命(いのち)はじじと燃え下(さが)り
水沫(うたかた)ふかく消え亡びむとおぼゆ
かかる淋しき星の稟性(こころ)よ
畏れ崇(たふと)び恋ひしたふはわれなり

   ◇

「うたかた」というと普通は「泡沫」という字を使いますが、ここではふつう「みなわ」と読む「水沫」。もともと「みなあわ」の音変化で、こちらも水のあわ、はかないことのたとえに使われます。

「滄溟」は、ふつうは「そうめい」と読んで、あおく広い海、青海原のこと。

「稟性」は、「ひんせい」、生まれつきの性質、天性の意です。


   闇の化怪

化怪(けくわい)は光れり
土蛍(つちほたる)のごとし
化怪は夥し 尽きざる也
あらゆる夢を産卵しつつ
闇の徂徠(ゆきか)ふこの夜(よる)をあゆめり
悲嘆するは何人ぞ
夜を誰何(すゐか)するあるは何人ぞ
悪(ああ) 化怪は世にみちみちわたれり
われは何故にかく夜を安臥しうるか

   ◇

「怪」とは化け物、変化(へんげ)、もののけ。

オーストラリアの洞窟などにいる、幼虫が青白い光を発するヒカリキノコバエという昆虫が「土蛍」として知られています。日本で土蛍というと、ホタル類の幼虫=写真、wiki=、中でもマドボタルの幼虫を指すことが多いようです。

2017年7月17日月曜日

日夏耿之介「抒情即興」「かげ」

 きょうも『転身の頌』から二つ詩を読みます。

   抒情即興

あたたかい日 あかるい日
この晴れた秋空高い由比ケ浜
沙(いさご)の上に臥(ふ)しまろぶ
身は熱に口かわき
心は杳(とほ)き神の息吹きに口かわく
あたたかき沙のやはらかさ こまやかさ
天恵(めぐみ)ふかい太陽は
大海(おほわだ)にぴかぴか光る宝玉(ほうぎよく)をばら撒いて
空に眩しい銀網(ぎんまう)をいつぱいに張りつめ
波にくちつけ 沙にまろぶ
あまりに昏黯(くら)い肉身と
病める心と

   ◇

「由比ケ浜」は、いまの鎌倉市南部、相模湾に面した海岸。鎌倉時代には御家人同士の激戦地で、処刑場でもありました。

「杳」はふつうは「よう」と読んで、はるかに遠い、奥深く暗いという意もあります。


   かげ

日はまなこ病み
世は痙攣(けいれん)す
叫喚死(さけびし)し
どよもし亡(ほろ)び
なべては皆偶像なるか
時ありて
かげのごとくきたり
かげのごとくそふ

   ◇

「叫喚」は、「阿鼻叫喚」というように、大声でわめきさけぶこと。

「どよもし」の「どよ(響)もす」とは、音や声を響かせる、どよめかせる意があります。

2017年7月16日日曜日

日夏耿之介「死あらむのみ」「花の中の死」

 きょうも『転身の頌』から二つ詩を読みます。

   死あらむのみ

太陽(ひ)のもと
老幼男女狂奔(ひとびとはし)り煩(まど)ひ
吹くそよ風咳(しはぶ)きゆきすぎ
操兵の菰(らつぱ) 天心に傲(おご)りて
狐いろの小径(こみち) ひんがしに邪(よこしま)を織る
死あらむのみ

   ◇

「咳き」は、せきをすること、またはせきばらいのこと。

「菰」(こも)は、通常は、マコモを粗く編んだむしろ、こもむしろのことを指します。ここでは、兵士を訓練・指揮するラッパにこの漢字を用いています。

「狐いろ」(きつね色)は一般に、名前の通りキツネの体毛のような、薄い茶褐色を指します。


   花の中の死

朱夏(なつ)の日の後園(こうえん)に燃えたつ花は
恒にやはらぎて睡(ねむ)れる也
燃えかつ睡れるは ただ花あるのみ
日はひねもす
ものかなしき小さき花の片丘に光の塔を築く
寒風(かぜ)すさみ 日も亡びし宵(ゆふべ)
睡れる花のさなかに逝かむ

   ◇

「朱夏」は、五行思想で赤色を夏に配するところから、夏の異称として用いられます。また人生の真っ盛り、30代前半から50代前半くらいをそれに喩えていうこともあります。

「後園」は、家のうしろにある庭園や畑。

「片丘」は一般的には、一方が切り立て他方がなだらかになっている丘をいいます。

2017年7月15日土曜日

日夏耿之介「海光」「災殃は日輪にかがやく」

 きょうも『転身の頌』から二つ詩を読みます。


   海光

ふか海は もの哀れに日光(ひざし)を招(よば)ひしかば
明(あか)き光 ことごとく蒼海にとり忙(いそ)ぐ
ああ すべて光は波に入らむ
この宵(ゆふべ) 海に散りしく無数の船よ
船に乗れる逞ましき白水郎(あま)だちよ
おん身ら大海に何をか漁(すなど)れる

丘に攀ぢ松吹く風と一(ひとつ)の海景とを眺めてあり

   ◇

「白水郎」の「白水」は中国の地名。水にもぐることのじょうずな者がいたというところから、漁師、海人(あま)のことを白水郎(はくすいろう)というようになったそうです。

「攀」の読みは、ハン、よじる。よじ登る、上の人にすがりつくの意です。


   災殃は日輪にかがやく

災殃(まがつび)は日輪(ひ)にかがやく
黔首(くび)あたま 現生(ここ)もとに生まれいでなば
すさまじき神の息
かならず大地を割らむ
昨夜 寒き夜の曠野(あれの)にたちて
黟き森 眠れる濁江のうち
醜く蟠居(うづく)まれる街巷(まち)より
かすかなる神の奇しき塏笑(あざけり)を聴き得たり

   ◇

「黔首」(けんしゅ)の「黔」は黒い色のこと。古代中国で、一般民衆は何もかぶらず、黒い髪のままでいたことから、人民、庶民のことをいいます。

「災殃」はふつうは、「さいおう」と読んで、わざわい、災難のこと。

「黟」の音読みはエイ、 イ。訓読みは、こくたん。ここでは「くろ・き」でしょうか。

「蟠居」は、蟠踞(ばんきょ)、根を張って動かないこと、その地方一帯に勢力を張っていることをいいます。

2017年7月14日金曜日

日夏耿之介「軽舸の歌」「心虚しき街頭の散策者」

 きょうも『転身の頌』から二つ詩を読みます。

   軽舸の歌

透明の泪(なんだ)の湖(うみ)に
軽舸(こぶね)泛(うか)べ
ほのぐらき岸の花 真白く花咲きみだれ
夕風は淑やかに水浴を摂る
繊(ほそ)りし水竿(みさを)
蒼白き漣(さざなみ)の下腹を転(かへ)せども

日輪(ひ)は逝き 私語(ささめき)をのみて
面(おも)伏せる自然(もののね)の顔の上
舸(こぶね)は黙(もだ)しあゆみ
その歩武永遠(あゆみとこしへ)に遅き哉
噫(ああ) 明星よ
おん身が冷たき瞳を遁れいづる泪の雫は
わが舸(ふね)の水竿に泊(は)て 光りぬ

わが軽舸(こぶね) いづくに赴(ゆ)くや

   ◇

「軽舸」は、ふつうは軽快に走る小舟、舟足の速い舟の意。

「水竿」は、水底・岩などを押して、それによって船を進める棹。普通、竹で作ったものを用います。

「遁れ」は、逃れ、と同義で、のがれること。この場合は、好ましくない状態になるのを回避する、といった感じでしょう。「冷たき瞳を遁れいづる泪の雫」というのは、なかなか意味深長な美しい表現です。


   心虚しき街頭の散策者

視神経のいちじるしき疲憊(ひはい)と羞明(しうめい)と
あまりに夥く凝視したるか
街頭には黔首とその家畜とその自動車とがあり
柏は万葉(ばんえふ)を日光(ひざし)に笑(ゑま)ひ
国境線は路傍に頑迷(かたくな)の枯座をつづく
なにゆゑに微風はかく潜行するか
われは心虚(こころむな)しき街頭の散策者にすぎざる也

時ありて 耳辺(じへん)に水声(すいせい)す
猗(ああ) かかる大高原の途上において
逆巻き嗔恚(いか)る水流音をわれ感ず

なにゆゑにかくわれは心忙(こころいそ)ぎ逍遥するか
こころ 縛(いまし)められたるか
この瞳閉ぢざるべからず

   ◇

「黔首」は、人民、庶民、たみくさ。「黔」は黒色のことで、昔、中国で庶民はかぶりものをせず黒髪を出していたことに由来します。

「枯坐」はものさびしくひとりですわっていること。ここでは「国境線」がすわっています。

「水声」(すいせい)は、「谷川の水声」というように水の流れる音。耳もとに水の音がしてきたのでしょう。

「瞋恚」(しんい、しんに)は、怒り、仏教では、十悪の一つで、自分の心に逆らうものを憎み怒ることをいいます。

2017年7月13日木曜日

日夏耿之介「ある跪拝のときに」「畏怖」

 きょうも『転身の頌』から二つ詩です。

   ある跪拝のときに

そば降る小雨は緑林(ぬすびと)のごとく忍び来て
泪(なんだ)の搾木(しめき)を捉へしか
ああ 追憶(おもひで)は身内に温流をめぐり
眼も赤く哭きはらし
息たえだえに
われは跪拝して 生存を感謝してあり
神よ おん身ぞ逝くべけれ

   ◇

「跪拝」(きはい)は、ひざまずいて礼拝すること。

「緑林」は、前漢の末期、王莽(おうもう)が即位した後、王匡(おうきょう)・王鳳(おうほう)らが窮民を集め、湖北省の緑林山にこもって盗賊となり、征討軍に反抗したという、「漢書」にある故事から、盗賊のたてこもる地、また、盗賊のことをいいます。

「搾木」は、2枚の板の間に植物の種子などを挟んで、強く圧力をかけて油をしぼり取る木製の道具。身をしぼられるようなつらい状態のたとえにも用いられます。


   畏怖

心の皮膚(はだ)青ざめ
あらき風を忌(い)む
熱き泪(なんだ) 心の眼(まなこ)より転(まろ)びいで
薄暮(くれがた)の流沙(りうさ)に交らひぬ
ああ 内なる火 赤赤と火(も)え立ちて
繊(かぼそ)きたましひの身を燬(や)きしか

われは西空(せいくう)に泛(うか)べる瀟灑(せうしや)なる新月を覩(み)たり
夜風は呼吸(いき)にわろければ
青き帽誇(ほこ)りかに飾りて
暖かき思念の寝床(ベツド)に忙がなむ
晨星(しんせい)はいつ消ゆべきか
夜半(やは)にも上る黒色の太陽あらめ
心の肌膚(きふ)は繊弱(かよわ)くして
叱嗟(ああ) いつか亡びむ身ぞ

   ◇

「燬」の読みは、キ、やく。やきつくす、火の勢いが激しいなどの意味があります。

「瀟灑」は、すっきりとあか抜けしているさま、俗っぽくなくしゃれているさま。

「晨星」は 明け方の空に残る星のことです。

2017年7月12日水曜日

日夏耿之介「崖上沙門」「無言礼拝」

 きょうも『転身の頌』から二つ詩です。

   崖上沙門

衣赤き沙門は稚く ただひとり
瞑目(めとぢ)て崖上(がいじやう)に彳(たたず)めり矣
断層面に八月の日光(ひ)は驕り
夏空(そら)は懈怠(けたい)を孕み 汗ばみたり
閑古鳥は風防林に蘭秋(あき)を呼び
青春の蜥蜴(とかげ)らは
緋に燃えたる花崗巌(くわかうがん)の傷趾(きずあと)に
緑色の飾紐(りぼん)を結べり
かかるとき
南風は大盗(たいたう)のごとく闖入しきて
さてかろく咳(しはぶき)して 出で去りぬ
草原(くさはら)は枯草熱に疼(いた)みて 屡(しばしば)傷痛の銀波をあげ
山脈は肩そびやかし
おもむろに延び 欠呿(あくび)す
沙門は瞑目(めとぢ)たり 永劫に

   ◇

「沙門」は、サンスクリット語の音写で、「つとめる人」の意味があります。ゴータマ・ブッダとほぼ同時代に出現したインドの新たな思想家たち、あるいは、出家して修行を実践する人たちを指します。

「懈怠」(けだい)は、仏教用語では、仏道修行に励まないこと、怠りなまけること。六大煩悩の一つあるいは二十随煩悩の一つとして数えられています。

「閑古鳥」は、カッコウ=写真、wiki。鳴き声が物悲しいので、寂れていること、寂れた店を閑古鳥が鳴いていると表現されます。

「蘭秋」は、ふつうに読めば「らんしゅう」、秋のはじめのことです。


   無言礼拝

竝樹街(なみきがい)に鉄軌(てつき)あり
長剣のごとくひかり 延び延びと
地平の焦点さして夙(と)く走れり
夜 月光ここもとに泊(は)てて
蒼白(あをじろ)きアンダンティノを綴る
沈黙は僭主(せんしゆ)のさまに世界(よ)を領(しろ)し
「時」は光の縷(いとすじ)を綱渡り
永劫さして忙げるなり
珍事(こと)ぞおこれる
万有(もの)の響 音 擾(さや)ぎわたりて地軸を揺蕩(ゆすぶ)り
災殃(まがつび)のごとく奇襲しきたりしかば
夜の花 不慮に眼ざめ
深林(もり)の若葉等は相抱擁(あひいだき)て吐息つき 慴伏(せふふく)す也
しばしの後 何者かの悲鳴は
擾乱の昏迷に口火点(つ)け
怕るべき叫喚世界(よ)を聾(し)ひむとす

されど視よ一分時(いつぷんじ)の後
何事かありたる

万物折目正しく静坐し
忍者(しのびのもの)の若(ごと)くにその声を呑み
樹(こ)の間ふかく
沈黙と黯黒(あんこく)とは密通のくちつけに心狂へる

無言礼拝(むごんらいはい)のとき いまぞ わが子らよ
わが子らよ

   ◇

「アンダンティノ」は音楽の速度標語で、アンダンテ(歩くような速さで)よりやや速めに、の意。「怕(おそ)る」は、気遣い不安がる、危ぶみ心配すること。

「僭主」は、前7世紀の後半から前5世紀の前半にかけて、ギリシアの多くのポリスに現れた独裁的な支配者の総称です。英語のタイラント(tyrant)はこれに由来します。彼らはほとんどが貴族の家柄でしたが、貴族政の乱れに乗じてこれを倒し、非合法な独裁政を打ちたてました。

「慴伏」は、ふつう「しょうふく」と読んで、おそれひれ伏すこと、勢力におそれて屈服する意があります。

2017年7月11日火曜日

日夏耿之介「羞明」「訪問」

 きょうも『転身の頌』から二つ詩です。

   羞明

孟夏の十字街をおもへ
神ありて ここに街樹(き)を現はし
幹ありて水枝をたもち
枝ありて若葉をささげ
葉ありて果実をまもり
果(み)ありて核種をふせぎ
核ありて細胞をみとれる
細胞に性染色体のありて
稟性(ひんせい)のいとなみに勤(いそ)しめり
これ事実也
類推の至上指令ぞ
風は街頭に亡び
日輪(ひ)は高く頭上に盈(み)ち耀(かがや)き
人馬なく 鳥語なく 色相なく
物象に陰影あるなし
世界(よ)は あげて銀製の大坩堝(おほるつぼ)のみ
わが神経 かかるとき 羞明し歔欷(きよき)する也

   ◇

「羞明」は、まぶしいこと、まぶしさ、異常にまぶしさを感じる病的な状態をいいます。

「稟性」は天性。

「歔欷」は、すすり泣くこと、むせび泣きのことです。


   訪問

誰(た)ぞや 風 黒(かぐろ)きこの宵
内なる扉ほとほとと打ちたたくは
こころ 重傷して昏睡(まどろ)めり
こころ 夢の環境(めぐり)の彼岸(かのきし)に埋没(うづも)れてあり
あかき灯(ひ)のもと邇(ちか)くつどひて
わが懇切なる兄弟姉妹(けいていしまい)ら
夜(よ)の歓会(まとゐ)に酔(ゑ)ひぬるを
ああ 誰ぞ軟かき黒夜(こくや)の空気かき乱して
こころ憎くも忍び音(ね)の訪問(おとづれ)は
灯の侍童(じどう) 赧(あか)く愕ろき
淑やかに延びちぢみ
冷淡なる時圭(とけい) あしおと高く
人人 一旦に死を孕まむ
誰ぞや ほとほと 扉きしめき
物象ことごとく いま戦慄す

   ◇

「昏睡」は、現在ふつうには、外界の刺激に全然反応せず、反射もほとんど消失した最高度の意識障害のことをいいます。

「侍童」は小姓のこと。

「赧」は、あからめる、顔が赤くなる、恥じるなどの意があります。

2017年7月10日月曜日

日夏耿之介「真珠母の夢」「悲哀」

 きょうも詩集『転身の頌』から二つ詩です。

   真珠母の夢

こころの閲歴いともふかく
手さぐりでもてゆけば
明銀のその液体のうち
いろさまざまの珠玉あり
黄と藍は泪ぐみ
身もあらず臥(ふ)しなげき
緑と樺は泛(う)き泛きと
なか空に踊りぞめき
そこ深く黒玉坐して動かざるに
紅ひとり笑みつつもたかだかと泛み遊べり
さて 曇り玉ひとつ
泛きかつ沈み
蕩揺のしづけさに酔ふ

真珠母(しんじゆも)の夢

   ◇

「真珠母」(しんじゅぼ)は、真珠層ともいわれ、貝類などが外套膜から分泌する炭酸カルシウム主成分の光沢物質をいいます。

「樺」の読みには、かにわ、かば、かんばがあります。かんばは、カバザクラ、シラカバの古名ともされます。上代には、舟に巻いたり器に張ったりした、その樹皮をいいます。万葉集に「しきたへの枕もまかず、樺巻き作れる舟に」。

「蕩揺」(とうよう)は、ゆり動かすこと、ゆれ動くこと。


   悲哀

羸弱(るゐじやく)は この身に警策を打ち
心は 喘鳴(ぜんめい)して呼吸(いき)途絶えむ
心とともに沙(いさご)深く身を横臥(よこた)へてあれば
仲霄(そら)を別離(わか)るる日光(ひざし)うるみ
黒髪(くろがみ)おのおの寒慄(さむ)けく立ちあがり
なにものか わが家(や)を遁避(にげさ)らむとする若(ごと)し

   ◇

「羸弱」(るいじゃく)は、衰え弱ること、からだが弱いこと。

「警策」は、禅宗で座禅中の僧の眠けや心のゆるみ、姿勢の乱れなどを戒めるため、肩などを打つ木製の長さ1メートルほどの棒。

「沙」は、 すなのことです。

2017年7月9日日曜日

日夏耿之介「騒擾」「雲」

きょうも『転身の頌』から二つ詩です。

   騒擾

騒擾は 高きより来る
黎民(ひとびと) 聾(みみし)ひたるか
聾(みみし)ひなば 眼(まなこ)をみひらけ
薔薇(さうび)の花の紅(あけ)をうれしみ
八月の日の日の光の銀色にうち興じ
深く谿間黒燿の黝(くろず)めるをめでよかし
眼(まなこ)疲れなば 爾が嗅官(きうくわん)を使用せよ
かの味識(みしき)にても事足れるを
爾は訖(つひ)にその黄ばみ波うてる肌膚(きふ)の
かのいと荒き感触を斥けむと欲(ほ)りするか
輪環(りんくわん)の久遠をめぐりめぐりて
天上より降り来るかの騒擾(どよもし)を如実(まま)ならしめよ
または 爾の生をして 一旦
かなたに住居せるかの嬌憐と媾引(あひびき)せしめよ

   ◇

「騒擾」(そうじょう)は集団で騒ぎを起こし、社会の秩序を乱すこと。

「黎民」は、一般人民、庶民、万民。

「輪環」は、数学的には、ドーナツのような形をしたトーラスのことをいいます。


   雲

戦闘は大気緑明のもなかに在り
夙(と)く参加せざらめや
赤く爛(ただ)れし裂傷を繃帯(はうたい)し
その輝く銀冠を逆立てるよかし
日に涙(なんだ)あり
微風の跑(だく)を趁(お)ひ従(お)ひて
おんみは一万尺の巌頭(がんとう)に来り彳めり
おんみは戦線杳(はる)かに濁血(だくけつ)の不可思議を聴く
軟かき足なみを攮(ぬす)めよかし
泪ぐめる夕暮方は早も波打ち来れり
かくて夜の捷利必ずこれに次がむ
おんみは今や形態(かたち)なき白馬(はくば)の手綱を牽(ひ)く

   ◇

「跑」は、走る、駆ける、逃げる、歩く、奔走する、駆けずり回るといった意。

「攮」は、本来は(短剣や銃剣で)突き刺すこと、短剣、あいくちのことをいいます。

「捷」は訓読みで、かつ、はやい。「捷利」(しょうり)は、勝利と同義です。

2017年7月8日土曜日

日夏耿之介「夏落葉」「少人に予ふる歌」

きょうも『転身の頌』から二つ詩です。

   夏落葉

無辜と純鮮と
その水無月の日の後園を
白日(まひる)の鐘音(かね)いと疎慵(ものう)げに手まさぐり
日の光 行潦(にはたづみ)の面(おもて)に驕(おご)りて
かがやく 逞(たく)ましき 老はてたる
檞樹林(かいじゆりん)第一樹枝の若葉だち
しらじらと 燃えたちしとき
仄昏(ほのくら)き榛樾(しげみ)のほとりを 夙(と)く翔(かげ)り
はたと墜つる朱夏(なつ)更けし朽葉(くちば)ありけり
そのひびき 地を揺(ゆ)りし

   ◇

「無辜」(むこ)は罪のないこと。

「行潦(にはたづみ)」は、雨が降ったりして、地上にたまり流れる水。

「檞樹林」は、「檞」(かしわ)の林か。

「榛」は、はしばみ、雑木や草が群がり生えること、やぶ。

「樾」は、木陰の意だそうです。


   少人に予ふる歌

八月は野の白宵(ゆふべ)に心おごりたるに
都市(みやこ)よりの早乙女(さをとめ)だち
山ふもと 洋館は白き仔羊(こひつじ)のごとく
七つの若き瞳をまばたき初めてけり
その大いなる聖手(おんて)を延して 今や
神は海上遠く夕映(ゆうばえ)の黄金砂(きんさ)を鏤(ちりば)めたまひぬ
爾(きみ)が椿萱(かぞいろ)も 爾(きみ)がよく秘めたる妹好(ひと)も
胸疾(や)みたまふ女兄(あねぎみ)も 仇敵(きうてき)の一団も集ひしぞ

憖(ああ) まんまろき青(あを)大空のもと
しどけなき砂丘に攀(よぢのぼ)り
夏夕風(なつゆふかぜ)の赴くなべに
哀傷(かなしき)かぎりなき頌(うた)に生きよ しばしなりとも

   ◇

「椿萱」は、椿堂が父を、萱堂が母をたとえて、父母のことを指します。

「憖」は、ふつうは「なまじ」「なまじい」と読みます。中途半端であるさま、いいかげん、なまじっか。しなければよかったのに、という気持ちで用いられます。

「頌」は、「しょう」と読む場合、古くは、中国最古の詩集『詩経』で、全詩を六つのジャンル(六義)に分けたうちの一つで、宗廟の祭礼における舞楽の歌をいう。「ほめうた」を意味します。



特有の文体で、農事の神々、祖先、君王の盛徳などを形容し、賛美、頌揚、祈求するものでした。後に、対象が鬼神帝王から一般人や普通の事物へと拡大され、漢の揚雄の「趙充国頌」、晋の劉伶の「酒徳頌」、唐の韓愈の「子産が郷校を毀らざるの頌」などが作られました。

2017年7月7日金曜日

日夏耿之介「王領のめざめ」「驕慢」

 きょうも『転身の頌』から詩を二つ。

  王領のめざめ

人人よ 王領(おうりやう)こそは覚醒(めざ)めつれ
時ありて 王土の番卒は
緇(くろ)く黄なる抱服をその身に纏ひ
夜守(よもり)の燭(しよく)をかかげ
あけぼのに 一位の森を巡警す

日出で 月逝(さ)り
森には露かがやけども
赤く爛(ただ)れし王土の春は
かつてひとむらの野の花の花咲き狂ふ
繁殖の怡悦(よろこび)だに遞(つた)へたることもなし
また 皎(しろ)き日光(ひのひかり)の鋭(と)き香ありて
吹上(ふきあげ)の水沫(みなわ)に噎(むせ)べど
樹(こ)の間に光る幻覚(まぼろし)の彩(あや)のみ栄(は)えて
青き小禽の囀りだに得聞えず

いま 昴宿(すばる)いで
夕風 疾(はや)く駛(はし)り
膨張(ふくら)める地平の遥か杳(はる)かかなた
あわただしき夜の跫音(きようおん)をきく
あはれ 王領の濁れる春宵(よひ)に
わが女王(によわう)らも 王子らも
いちはやく めざめたり
おそらく永劫に覚醒(めざ)めしならむ

禽謝(とりしや)し花凋(しぼ)み
天然と中宵(ちゆうせう)としばし抱擁(いだ)きて
哀楚(かなしみ)や幽欣(よろこび)の歓会に楽しび耽けるとき
王領こそは覚醒めつれ
そはおそらく 永劫に覚醒めしなるべし

   ◇

「抱服」は、もともとは「捧腹」。「捧」はかかえる意で、ふつう、捧腹絶倒というように、腹をかかえて大笑いするさまをいいます。。

「遞(逓)」には、逓信、逓送というように、横へ横へと次々に伝え送る意。

「遥か」は遠くまで眺望が開けているさま、「杳か」には奥深く暗いさまを表すようです。


   驕慢

蘭引(らんびき)の上に踊る心
梟木(けうぼく)の傍(かたへ)に はた 彳(たたず)む心
心は天地(あまつち)の魂に倚り加餐(かさん)し
また 宇宙新教徒の気軽き微笑(ほほゑみ)を企つ

されど神よ 多く災(わざはひ)する事なかれ
開けゆく夜の間の小さき叫び
晨星(しんせい)とともに消えはてむ迄

   ◇

「驕慢」(きょうまん)は、おごり高ぶって人を見下し、勝手なことをすること。

「蘭引」は、ランビキ、兜釜(かぶとがま)式焼酎蒸留器。江戸時代に薬油や酒類などを蒸留するのに用いた器具、「梟木」はさらし首をかけておく木、獄門台のようです。

「加餐」は、養生すること、健康に気をつけること、「時節柄御加餐ください」。

「晨星」は、 明け方の空に残る星のこと。

2017年7月6日木曜日

日夏耿之介「夜の思想」「紅宵」

 きょうも『転身の頌』から二つの詩を読みます。   

   夜の思想

なにものかあり 鬨声(ときのこえ)はわれを連行(はこ)ぶ

われは 瓦斯体(がすたい)のごとく揺曳(えうえい)す
われは 数多(かずおほ)くの世界とその前後(あとさき)とを瞥(み)たり

昏瞑(やみ)はしばしば悲鳴をあげ
その下霄(しもぞら)に黄色の月ひとつ泛べる
微風(そよかぜ)は心をして温情ならしむ歟(か)

あはれ おびただしきわが心の産卵哉

   ◇

「揺曳」(ヨウエイ)は、ゆらゆらとただようこと。また、音などがあとまで長く尾を引いて残ること。

「昏瞑」(コンメイ)は、暗いこと、暗くてようすのわからない意。


   紅宵

野にいでて
淑(しと)やかに
吐息(といき)すれば
昊天(そら)は沈み
地は臥(ふ)しまろび
落日(いりひ)のみ
きらきらと
世界に膨張(ふくら)む

   ◇

題の「紅宵」はコウショウと読んでおこうと思います。

「昊天」はふつう「こうてん」と読んで、夏の空、広い空、大空のことをいいます。

「まろび」は、まろぶ、転ぶ。ころがる、ひっくりかえる、倒れるといった意味です。

2017年7月5日水曜日

日夏耿之介「白馬の歌」「洞穴を穿て」

きょうも『転身の頌』から二つの詩を読みます。   

   白馬の歌

稚(いとけな)き造化(もの)われら
敬虔(けいけん)の心一途(いちづ)に捧げまほしく
薄暮(はくぼ)の河畔にぬかづく
きみの白馬(はくば)にうち騎(の)り
殉情の星より僥倖(げうかう)のごとく降(くだ)りたまへる
岡巒(やま)も艸木(き)も深林(もり)も野もいま怡悦(よろこび)に顫(ふる)へたり
瞳は繊(かぼそ)く麗はしく柔(やさ)しげに謙仰しつつ
爾が崇貴(けだか)き白馬を仰ぎ胆望(み)たり
烏呼(ああ) なのものの痴言ぞ 蕪穢(ぶわい)するは
跪坐して久しく己(おの)が脈搏をとるわれに
なにものぞ これ亡びゆく枯葉(こえふ)のみ
爾(きみ)は遠来(きたれ)り
白馬の騎士 至上なるもの
もろ手もて爾(おんみ)を抱擁(いだ)かむ

   ◇

「巒」は、音読みでは「ラン」、やまなみ、山の連なり、峰を意味します。

「蕪穢」は、雑草などが生い茂って、土地が荒れていることをいます。 「最も近き道は、最も蕪穢なるものなり(西国立志編 )」


   洞穴を穿て

暟(しろ)き朱明(まなつ)の高原にいと深き洞穴を穿て
雲雀(ひばり)は露けき叢(くさむら)に狂ひ
地蜂は垂直に出陣すなるを

大いなる洞穴を穿(うが)ちをはらば
猴利根(かしこ)く喧擾(かしま)しき老幼男女を埋没せむ
夕日 巒巒(やまやま)を血塗りて
白日のいともの静かなる殺戮もはてなば
亡きもののために夜鳴鳥は歌うたはなむ
このとき爾(きみ)は 青く悩める弦月の
神経質なる微笑に逢着するならむ

   ◇

「暟」は、ふつう「カイ」「てらい」と読みます。霜や雪が一面、白く見えるさまを「皚 皚(がいがい)」ともいいます。

「朱明」は、ふつうは「シュメイ」と読み、夏のこと、太陽をさすことも。類語に、朱夏があります。

2017年7月4日火曜日

日夏耿之介「塵」「青き隕石」

きょうも『転身の頌』から二つの詩を読みます。   

   塵

塵ひとつ泛びたり
日輪(ひ)はいときらびやか哉
航空騎士敢行歟
光れる天童の巡察歟

虔(つつ)しみ畏(いやま)ひて ひたすら
天来のおのが所持せざる力を頌(ことほ)ぐ

   ◇

「騎士」とは、もともと、中世ヨーロッパにおいて荘園の支配を保障される代わりに騎兵として戦うことを義務付けられた身分のことを指します。

「歟」の訓読みは、か、や。文末の助字、疑問・反語を表す助字として用いられます。「頌」には、たた(える)、ほ(める)といった訓読みがあります。

「天童」は本来、仏教の守護神や天人などが子供の姿になって人間界に現れたものをいます。


   青き隕石

白き光おびただしく放てる碧き隕石の墜落は
巷に悲鳴の花咲かせり
此時賢人来り 多く蒼人艸(たみくさ)を呼ばひて曰(い)へりき
子らよ 悲しき愕(おどろ)きもて神は爾(おんみ)の胸を燬(や)けり
出でよ 戸外(こぐわい)に趁(わし)れ 俯聴(ふてい)せよ
仰げよ 彳めよ 将た祈禱(いの)りてあれ
神はわが世の扉口(とぐち)に在(い)ませりと

   ◇

「趁」の読みは、ふつう「おう」「チン」。追う、という意味があります。「俯聴」は、「ふちょう」ともいい、うつむいて耳をすます意味です。

「蒼人艸」は、民草(たみくさ)、青人草(あおひとくさ)、すなわち、人民、蒼生、国民のことなのでしょう。人が増えるのを、草が生い茂るのにたとえた言葉。日本書紀(神代上訓)に、「葦原中国(あしはらのなかつくに)に有らゆるうつしき青人草の」とあります。

「俯聴」の「俯」には、うつむく、身をかがめて下を向くという意があります。

2017年7月3日月曜日

日夏耿之介「AB INTRA」「汚点」

きょうは『転身の頌』から二つの詩を読みます。

   AB INTRA

降り積もる深雪の中の太陽より
惨死せる縞蜥蜴(しまとかげ)の緑金の屍(しかばね)より
暴風の日の林間湿地より
初夏陽炎(やうえん)の瞳の契点(さなか)より
沸きのぼれる銀光水液(ぎんくわうすゐえき)
流動体結晶の水沫(みなわ)の果
はた悉皆(あらゆる)幻覚の心なす 翼ある天童

   ◇

「ab intra」は、ラテン語で「内部から」の意味。逆は「ab extra」だそうです。

ニホントカゲ=写真、wiki=は、幼体の体色が黒や暗褐色で5本の明色の縦縞が入っていることから「縞蜥蜴」と呼ばれることがあります。


   汚点

赤き五月の満月の手綱のもと
万物は皎(ましろ)く烈しく息つかひす
連峯(れんぱう)は軟らかく小胸膨張(むねふくら)み
隠逸に足うら延ばせる大傾斜面也
瞑目(めとぢ)たる風防林の黒衣(こくえ)の裾めぐり
銀声して狂ひ奔(はし)る幽澗あり
聴け 正義に枕(よ)る水車場の雄叫(をたけび)を
色青さめ吐息する谿谷の夜風の醜状(さま)を
ああ かかる夜爻(よさり)
世界より世界を貫きて
叫(おら)び翔(かけ)る月夜烏(つきよがらす)の悲鳴と
白布(びやくふ)の汚点のごときその影と
勁(つよ)く遒(つよ)くわが心を彳立(たたず)ましむ

   ◇

「澗」(カン)は、谷、谷水のことを指します。「爻」(ギョウ、コウ)は基本的に「まじわる」の意。「勁」には、ぴんと張りつめているイメージ、「遒」には、せまる、近づいてくる感じがします。

2017年7月2日日曜日

日夏耿之介「晶光詩篇」

きょう読むのは「晶光詩篇」です。タイトルに「sweetnessは強調より生れ出づ。――ウオルタア・ペイタア」という添え書きがあり、短詩12編で構成されています。

霄(そら)は悲しび
遊星の眼を哭(な)きはらし
さめざめと
銀の泪(なんだ)す 卯月の夜!

地平は紫に暮れ
人在らず
雲駛(かけ)りゆけば
丘はしきりに小躍りすも!

秋の日 黄にただれ墜ちて
霊(こころ) まんまろく跼蹐(かが)みたり矣
万象(もの)の光亡(ほろ)びはて
呼吸(いき)だに陰影(かげ)もなきに!

こころの重錘(おもり)落ちたり
第三の小窓をあけ放てよ!
瑠璃いろの夏の世界を
爾(おんみ) ただ哀しき白鳥にてこと足らむ!

薄暮(くれがた)の街路 銀(しろがね)にひかり
雙刀(さうたう)の相交線(そうかうせん)をつくるなかに
雲よりうまれし一鳥(いつてう)は
嗟呼(ああ) かくありて惨死するならむ!

小さき鳩の叫びごゑ!
明色(めいしょく)の背景に起き臥しし
大きくたかく力つよき
わが呼吸(いき)のものかげ!

たましひは夜の月にやどる
黒瞳(ひとみ)には緑の髪にほひぬ
爾(きみ)が佳人(をみな)の銀鐶を巵(さかつき)に投じなば
あらゆる没落を感じずべき邪(か)

かぎりもなき悲哀を汲み収(と)り
かぎりもなき沈黙の壺に封じぬ!
いく世の春を睡(ねむ)りさり
なほわれは仲夏白日(なつのまひる)の清乱を恋ひしたふ

大気はあけぼのに酔ひて
黔(かぐろ)き家竝(やなみ)みだらにも波うてり
赤き木の実 地に墜ちしかば
旻序(あき)はつひに逝(みまか)りしか!

やはらかき雙(ふた)つの手 半霄(そら)をすべり来て
顫(ふる)へたる心をとらへぬ
泪(なんだ)の浴泉をたちいでて
かく美装(びさう)せるわれなり!

市民の跫音(あしおと)は恒にもの悲しくまろび
小鳥は哀憐(あいれん)の灯を
白日の虚空に点ず!
こころ一定(いちぢやう)にもとめやまねど

青く哭しめる
世のすべての女性(によせい)をかきいだかば
女人らはたえざる楽奏に嬉(うれ)しみ
かつは おどろおどろしき朝暾(あさひ)を嗤笑(わらは)む!


「晶」は、きらきらと輝く意。また、原子が規則正しい配置をとった鉱物の形をいいます。なぜか私は、現代の発光ダイオードの光を連想しました。

「霄」は、大空、はるかな天のこと。音読みは、ショウ、セウです。「卯月」は、陰暦四月の異名、卯の花月、夏の季語です。

「駛」の音読みは「シ」、訓読みはふつう「は-せる」「はや-い」で、馬を速く走らせるときなどに使われます。速く走ることの意で、「駛走」「急駛」などの単語もあります。「急駛せる車の逆風(むかいかぜ)に扇(あお)らるるが」(紅葉・金色夜叉)

「跼蹐」は「跼天蹐地」(きよくてんせきち)の略で、ふつうは「きょくせき」と読みます。おそれつつしんで、からだを縮めること。 「この不自由なる小天地に長く跼蹐せる反響として」(福田英子『妾の半生涯』、明治37年)

「重錘」は「じゅうすい」とも読まれ、特に分銅などのような錘(おもり)のことを指すようです。「瑠璃いろ」は、やや紫みを帯びた鮮やかな青。

「雙刀」は、中国の刀の一種で、一つの鞘(さや)に二つまたは複数の刀身が入っているものをいうそうです。

「鳩」の名は、パタパタと飛び立つときの音に由来するようです。「九」+「鳥」の「九」は鳴き声(クルッククゥー)からという説も。漢字「鳩」のキュウ(漢音)やク(呉音)も、鳴き声に近い感じがします。

古墳の石室から銀鐶が見つかった、というような話を聞くことがあります。ここの「銀鐶」とは古代、指などに付けた輪の形をした飾り、あるいは、玉や鈴にひもを通して肘のあたりに巻いた装身具のことでしょうか。

「巵」は「し」ともいい、むかし中国で使われた酒杯。鉢形で、両側に環状の取っ手がある大杯をいうそうです。

「仲夏」は、夏の3か月の中の月、陰暦五月の異名。「白日」は、真昼のこと、白昼。「白日夢」という言葉もあります。

「旻」は、「あきぞら」の意味。日光が淡く、心細い秋のそらをいいます。「旻序」は、秋節、つまり、秋季、秋の季節という意もあるようです。

「半霄」はふつう「はんしょう」と読み、中天、中空、半空、空のなかほど、などの意味だそうです。「美装」は、美しよそおい。『或る女』(有島武郎)には「生活の美装という事に傾いていた」とあります。

「跫音」は「キョウオン」とも読み、足音のこと。足音がかつかつと聞こえるさまを「跫音戛然」(キョウオンカツゼン)といいます。

「朝暾」は「ちょうとん」とも読んで、朝日、朝陽のことを指します。国木田独歩の『愛弟通信』に「真紅の朝暾瞠々として昇りそめたり」とあります。

2017年7月1日土曜日

日夏耿之介「癡者をして」「死と愛と」

きょうも『転身の頌』から二つの詩です。

   癡者をして

臨終(ほろび)ゆく王者の喔咿(ほほゑまひ)は哀切(かなし)くとも
その泪(なんだ) ことごとく透明なるを
多数(おほ)き市民の歓笑をしたはむは
なほ訖(つひ)に瞑目(めとぢ)て遁逃(にぐ)るがごとけむよ

癡者 われらをして
ただひとたびの孤寂(ひとり)あらしめよと祈る也

   ◇

「癡者」(おろかもの)の「癡」(ち、痴)は、仏教が教える煩悩のひとつ。愚癡(ぐち、愚痴)、我癡、無明ともいいます。 万の事物の理にくらき心をさします。仏教で人間の諸悪、苦しみの根源と考えられている三毒、三不善根の一つ、という意にも使われます。


   死と愛と

小胸ひろげて
死なむ哉
生命(いのち)は中有沓(ちゆううはる)かに翔(と)び
かの聡明(さか)しき星辰(ほし)に泊(やど)かるべき耶(か)
愛には天恵(めぐみ)あり
我に死あり

   ◇

「中有」は仏語で、四有(しう)の一つ。死有から次の生有までの間、人が死んでから次の生を受けるまでの期間を指します。7日間を1期とし、第7の49日までとされます。一般に、空中、空間の意味にも使われます。