2017年7月29日土曜日

日夏耿之介「園囿閑春」「悲劇役者の春の夜」

 きょうも『転身の頌』から二つ詩を読みます。

   園囿閑春

夜半の村雨小心の忍び足にうち過ぎぬ
哀思に濡れ霑(そぼ)ちたる花苑(はなぞの)の央(もなか)にありて
閑暇は過去(こしかた)を孕(はら)みつ現当(げんたう)の夢に仮睡し
月は追憶に蝕ばまれて色青く嘆嗟(なげかひ)す也
わが幻人(げんじん) かかる折りしも悲しく
いと古風なる寝衣紅(あけ)に艶めかしく
白鞣(しろなめし)の小靴(をぐつ)なめらかに履き鳴らし
青き夜帽(ナイト・キヤツプ)前飾りおどろおどろしき
かの紫夢(むらさきのゆめ)に鍍金(めつき)せられ現出(あらは)るめり
幻人の声 琳璆(りんきう)と黄金(きん)に光り音し
地の黒影(こくえい) 鬱悒(うついふ)のバス咳(しはぶ)きすれば
遙か彼方の街角(がいかく)より風狂者の銀笛響き来り
悠長なる行潦(にはたづみ)に宣叙調(せんじよてう)の点線奔(ほとば)しりいでて
夜半の雨有(また)もや一切(しき)り閑談に耽りゆく覩(み)ゆ

   ◇

「囿」(ゆう)はもともと鳥獣を放し飼いにするという意で、「園囿」は草木を植え、鳥や獣を飼うところをいいます。

「現当」は、仏語で、現世と来世。この世とあの世。現未。げとう、とも言います。

「白鞣」は、色染めをしてないなめしがわ。

「幻人」とは、ふつう人の目をくらます術を使う人のことをいいます。妖術、忍術、魔法、奇術、手品などを含みます。もともと西域に起こったもので、唐を通じて伝来、天平時代にはかなり盛んになっていたようです。

「琳璆」は、玉がふれあって鳴るすがすがしい音、あるいは水のさわやかな音の形容として用いられます。

「鬱悒」は、心配事などがあり、心がふさがることをいいます。

宣叙調は、レチタティーヴォ、叙唱のことでしょう。オペラ、オラトリオ、受難曲、カンタータなどでみられる形式で、歌というよりも朗読のように歌われます。

 「その天然の美音もて、百錬千磨したる抑揚をその宣叙調(レチタチイヲオ)の上にあらはしつ」(鴎外「即興詩人」)


   悲劇役者の春の夜

道化たる古雅の衣(きぬ)まとへる悲劇役者のひと群は
春の夜の雨の巷をさざめきて縫ふ
人間の命より溢れ出でし膩(あぶら)とかせし春の雨
青く愁ひ怡びに痩せ 白脛顫動(しろはぎをののか)す女等を矚(み)よ
また 頬赤き美少人(びせうじん)の疾走哉
美興(びきよう) すべて春空(そら)より降(くだ)り 快感 地(つち)に湧く歟
巷巷に灯(ともしび)笑ひ
飾窓 銀にざんざめけば
甃石(しきいし)のアスファルトもバスす也
心煕(こころたの)しきこの宵を
道化たる悲劇役者の一群が
ぞめきの姿湮(さ)えゆけば
古き世の笛吹き奏(なら)し
若き按摩(あんま)も踊り出づ
鬚白(ひげしろ)き哲学教授が皺だめる額に刻む
索迷の苦茗(くめい)醍醐味
巷巷に怡悦(よろこび)あふれ
生活は街頭に海波を逶迀(うね)る

   ◇

「膩」には、脂っこい、しつこい、飽き飽きする、うんざりだ、ねばねばする、細かい、垢(あか)などの意があるようです。

「巷」には、人が大ぜい集まっている賑やかな通り、町中といった意味のほかに、道の分かれる所、分かれ道、岐路という意もあります。

「ぞめき」は、浮かれさわぐこと。遊郭や夜店などをひやかしながら歩くこと。

「湮」の音読みは、「イン」。うずもれて、跡形もなくなることをいいます。

「苦茗」は、苦い茶、質の悪い茶。

仏教では、牛や羊の乳の精製過程を、乳味、酪味、生酥味(しょうそみ)、熟酥味、醍醐味の五段階の味で表わします。

このうち「醍醐味」は、精製の段階を経て美味となった最高級の風味や乳製品を指し、このことから物事の真のおもしろさや仏教での衆生に例えられることもあります。

*写真は「ハドリアヌス帝のヴィッラのモザイクに描かれた悲劇と喜劇用の仮面(wiki)

0 件のコメント:

コメントを投稿