2017年8月9日水曜日

長谷川龍生「理髪店にて」④

1932(昭和7)年に就役した「高雄」「愛宕」「摩耶」「鳥海」の高雄型重巡洋艦4隻は、太平洋戦争で各地を転戦、多くの戦果を挙げました。しかし4艦そろって参加したレイテ沖海戦で、「高雄」を除く3艦は相次いで沈没します。

高雄型で唯一生き残った「高雄」=写真、wiki=も、レイテ沖海戦のときの修理が済まない航行不能の状態で、シンガポールで終戦を迎えることになります。


レイテ沖海戦は、1944(昭和19)年10月23日から25日にかけて、フィリピンとその周辺海域で起こった日本海軍とアメリカ海軍など連合国軍との一連の海戦。この戦いの結果、日本海軍の連合艦隊は事実上壊滅し、太平洋戦争の趨勢は決したともいわれています。

そのころになると巡洋艦の主要な敵は、「鳥海」や「高雄」が造られたころ想定されていたような魚雷ではなく、航空母艦などから飛び立つ飛行機になっていました。

戦艦に代わって航空母艦が主力になると、それを護衛する防空艦も必要となります。米国では防空巡洋艦がたくさん造られ、日本軍は巡洋艦を防空巡洋艦に改造しようと計画しましたが思うようには進みませんでした。

さらに、米国ではすでに戦前に造った巡洋艦への魚雷搭載を廃止していたのに、日本は依然として魚雷戦に固執した装備しか持ち合わせていなかったのです。日本軍の巡洋艦は、時代の趨勢に逆行していたわけです。

詩「理髪店にて」の前半の主人公、重巡洋艦「鳥海」は、そんな宿命を背負ってフィリピンの中部にあるサマール島沖合の海へと進撃し、最期を迎えることになります。

「鳥海」がレイテ沖海戦に突入した1944(昭和19)年10月23日、高雄型4艦すべてが米潜水艦の攻撃を受けるものの、「鳥海」だけは被害を受けずに済みます。翌24日の米航空機部隊の攻撃でも損害はありませんでした。

しかし、25日のサマール沖の海戦では、米駆逐艦の砲撃や護衛空母「カリニン・ベイ」の艦載機による攻撃を受け、右舷船体中央部に被弾。甲板に装備していた魚雷が誘爆して、機関と舵が破壊される致命傷を負います。

さらに艦載機部隊の攻撃では、機関室前方に500ポンド爆弾を受け、火災とともに大破。そして、この日のうちに駆逐艦「藤波」の魚雷によって処分されています。乗組員は「藤波」に乗り移りましたが、「藤波」も空襲で撃沈され、両艦の乗組員全員が死にました。

沖合が海戦の舞台になったサマール島は、フィリピン中部にあるヴィサヤ諸島の一つ。面積約1万3000平方キロで、ルソン島、ミンダナオ島に続いてフィリピンで3番目に大きい島。南西にあるレイテ島とは、最狭2キロの幅の狭い海をはさんで隣り合っています。

さて、このへんで「理髪店にて」にもどることにしましょう。

  しだいに
  潜ってたら
  巡艦鳥海の巨体は
  青みどろに揺れる藻に包まれ
  どうと横になっていた。

冒頭の5行、句点で括られた一つの文からすれば、鏡を前に椅子に座って散髪してもらっているお客は、沈没した船を引き上げる仕事をしているサルベージ会社の潜水夫ということになるでしょう。

「鳥海」が海中深く、藻に包まれてどうと横になっていた。ということは、戦艦「武蔵」など多くの艦艇が沈み、約1万人が犠牲になったとされるレイテ沖戦の悲劇の海の深みへと、この潜水夫は潜って帰ってきたばかり、あるいは潜水作業に携わった特別な経験の持ち主ということになります。

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