2017年1月3日火曜日

「ドゥエロ川のほとりで」に投影された歴史①

7月のなかば、よく晴れた日だった。
ぼくはひとり、岩山の裂け目をぬって、
くねる軽が落とす影を拾いながら ゆっくりと登っていった。
時おり 足を止め 額の汗を拭い、
喘ぐ胸に 息を送りこんだ。
あるいは 身体を前にかがめて 足を速めた、
右手の 羊飼いの杖を想わず棒切れに
身体をあずけ 身を寄せかけて。
ぼくは 猛禽類、高地の鳥が巣作りする
丘陵をよじ登っていった。
強い香りを放つ 野生の植物――ローズマリー、タイム、サルビア、ラベンダーを踏みしだきながら。
険しい原野に 灼熱の太陽が照りつづけていた。
Mediaba el mes de julio. Era un hermoso día.
Yo, solo, por las quiebras del pedregal subía,
buscando los recodos de sombra, lentamente.
A trechos me paraba para enjugar mi frente
y dar algún respiro al pecho jadeante;
o bien, ahincando el paso, el cuerpo hacia adelante
y hacia la mano diestra vencido y apoyado
en un bastón, a guisa de pastoril cayado,
trepaba por los cerros que habitan las rapaces
aves de altura, hollando las hierbas montaraces
de fuerte olor —romero, tomillo, salvia, espliego—.
Sobre los agrios campos caía un sol de fuego.


「ドゥエロ川のほとりで」は、このように始まります。詩人は、ドゥエロの源流へと険しい岩山を登って行きます。それは同時に、時をさかのぼることでもあるのでしょう。

丘陵をよじ登り、山へとわけ入っていくと、深い青空のなかをハゲワシが一羽、悠然と旋回するのを目にします。

そのあたりから、過去のスペインの歴史のなかへと足を踏み入れることになります。

2017年1月1日日曜日

「ソリアの地」から「スペインの地へ」④

今年も、ゆっくりと少しずつですが、アントニオ・マチャードへの散策をつづけていきたいと思っています。よろしくお願いします。

マチャードがスペインの「醜い魂」を厳しい目で見つめ続けたのは当然、祖国への深い愛に支えられたもので、「たくましき腕のイベリアの男」に希望を託して、のことなのでしょう。

エントラルゴはさらに、「マチャードによれば、真の詩人は、時間の――己の時間の――はかなさを鋭く生き、同時に、それ独自の表現によって、それを永遠化しようとする。詩人がその野心的な目的を達成するには、そうした表現はどのようなものでなければならないのであろうか。

その答えは、詩的感動とは無縁な人の耳には逆説的に響くであろう。つまりその表現は、表現された瞬間の一回性とはかなさを、もっとも生きいきと暗示的に示さなければならないのだ。……

もし詩人が瞬間のはかない一回性を生きいきと暗示することができるなら、その一瞬は生き残り、生き続けるであろう。なぜなら詩人のおかげで、それは一種の不朽の美的永遠性を獲得したからである」と指摘しています。

マチャードの詩の対象は、エントラルゴが示唆するように、常に時間の中でとらえられています。

そして、詩人がいま見つめている「スペイン」という対象についても、過去から現在、そして未来へと流れていく時間、すなわち歴史の中でとらえていこうとします。

そうしなければ「時間のはかなさを鋭く生き」、その一瞬を生き残らせ、生き続けさせることはできないからです。そうした詩人の真意は、必ずしも読者に容易に伝わるものではないのですが。

「カスティーリャの景色の心理的解釈に、マチャードの場合、カスティーリャの歴史的解釈が加えられる。アントニオ・マチャードにとって――“98年代”の人々にとっても同様――カスティーリャの大地は、スペインの運命の瞑想に招く開かれた木のようなものである」 とヘスス・アリエタはいいます。

カスティーリャの悲しく、気高い大地の現実における低迷は、その岩山や荒野、荒んだ町とともに栄光の過去を詩人の胸に蘇らせます。

そして、過去の栄光と現在の衰退という光と影のコントラストによって浮きぼりにされた「時間のはかなさ」を、詩人は「鋭く生き、同時に、それ独自の表現によって」永遠化しようとするのです。

こうした「真の詩人」たる表現が典型的に見られるのが、以前に少し触れた「ドゥエロ川のほとりで(A oriillas del Duero)」でしょう。次回からは、この詩について、掘り下げて考えてみることにします。